交響曲第9番ニ短調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
80/12/04〜05
SUPRAPHON COCO-70413

 正直なところ、この人の9番はイマイチだと思う。同じチェコ・フィルを振った7番から13年後、5番からは10年後の録音になるわけだが、完成度がかなり低くなってしまった。こういう場合、同じ頃に録音された他の指揮者による同オケの演奏を聴けば、指揮者(の統率力)の衰え、オケの演奏力の低下のいずれに原因があるかがある程度わかるのだが、残念ながら比較対象となるディスクを持っていない。
 第1楽章はゆっくりしたテンポで始まるが、少しずつ早足になる(私の嫌いなパターン)2分10秒過ぎあたりから、既に弦の歩みと管による合いの手が合わなくなり、「ビックバン」の少し前(2分20秒〜)でテンポをグッと落とそうとしてついにアンサンブルが崩壊する(弦よりも金管が遅くなりすぎたのが敗因)。「ボロボロ」という形容がピッタリである(これに対し、クレンペラー盤は「ヨレヨレ」)。なお、「ビッグバン」の最中(2分29秒頃)でティンパニがいったん休止するが、これは改訂版の解釈でちょっと不気味である。(13分過ぎのティンパニの叩き方もちょっとヘンである。)この曲に「終末」とか「滅亡」などを求めたい方は当盤を聴けばいいが、曲の美しさを堪能したい人には絶対に薦められない。この後もテンポがちょこまかと動く。スクロヴァチェフスキのようにそれを正確に、緻密な計算づくでやられると、私はそれを非常に耳障りに感じるのだが、当盤ではテンポの変わり目で自然な「崩し」が入っている(要はリズムが不正確である)ために、角が取れて丸みを帯びたようになっているという感じだろうか、それなりには聴ける。とはいえ、遅い部分、静かな部分の美しさには捨てがたい魅力があり、特に金管の哀愁を帯びた響きが良い。
 第1楽章の終わりは予想していたとおり、「ダダーン」がハッキリ聞こえずガッカリした。8番で暴れ回って私の顰蹙を買うような「自力型」指揮者(ヨッフム、マタチッチ、シューリヒト、朝比奈など)は大抵そうなのだが、なぜなのだろう? そして、そういう指揮者は必ずといっていいほど第1楽章と第3楽章のバランス(時間配分)が良くない。やはりこの曲も「自力型」で成功する(←私に気に入られるという意味)のは難しいようである。けれども、(ヨッフムでもそうだったが)テンポを変えるところが少ない終楽章だけを取れば十分に名演といえる(理由は前段落終わりで述べた通り)。「クラシック名盤&裏名盤リスト」でこの曲の項を執筆した阿佐田達造は、「情緒的にブルックナーを聴きたいむきには」として当盤を挙げ、「殊にエンディングは感動的で、ワーグナーの楽劇を聴いているような通俗性がある」と述べている。「通俗性」と「感動的」がどう結びつくのかは不明だが、終楽章231小節(24分39秒)からは改訂版のアイデアを採用し、消え入るような、そして全てが無に帰るような原典版のラストに劇性を付与しようと試みている(詳しくはVSO盤のページで)。
 最後になってようやく思い出したが、録音(デジタル?)は非常に優秀である。といったんは書いたのだが、非常にクリアーな音質ではあるものの部分的に強調したようなところもあり、不自然と感じる人も少なくないだろう。某掲示板には「クレスト1000盤はやたら金属的な音で嫌い」という書き込みもあった。

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