交響曲第7番ホ長調
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
67/03/27〜30
SUPRAPHON COCO-78206

 「マタチッチのブルックナー」といえばまずこれである。よって、私もこのページから始める。
 宇野功芳も「名演奏のクラシック」にて当盤を(ブルックナー以外のレパートリーも含めて)ベスト盤としている。名盤人気投票でもかならず上位に来るし、今後もそういう状況は変わらないであろう。「不滅の名盤」である。私は「スプラフォン名盤マスター・トランスファー・コレクション」というシリーズ(税込2300円)で買ったが、1年も経たない内に「クレスト1000」シリーズで出てちょっと悔しかった。「レコ芸」誌の記事によると、このシリーズは限定プレスではなく継続的に発売されるということだが、いつ何時製造中止になるかわからないので、この価格で買える内に入手されることを(余計なお世話だが)お薦めしておく。
 さて、またしても「名演奏のクラシック」だが、宇野はマタチッチの桁違いの不器用さを紹介している。彼の著作はクラシック愛好家に少なからぬ影響力を持っているのは確かである。そのお陰もあってか、この指揮者を評するために「豪放(磊落)」「豪快」「無骨」などがネット上で使われるのをしばしば目にする。が、私はそれらを58番に限定したいのだ。(許光俊は「生きていくためのクラシック」のマタチッチの項で、当盤には触れず、同じチェコフィルとの演奏でも5番を、そして発売後比較的間もないフィルハーモニア管との3番のみ紹介している。この7番がいかに超名演であろうとも、彼の喩えた「岩のブルックナー」にはそぐわない演奏だから、というのが外した理由であろう。彼が同著で多数紹介していたAltusレーベルによるブルックナーCDの売り上げに差し障りがあるから、などという邪推をしてはいけない。)この繊細な曲を豪快にやったら壊れてしまう。現に9番ではそうやって失敗していると思う。では、マタチッチはこの7番では繊細な演奏をしているか、といえば必ずしもそうとはいえないのである。結局「ようわからん」ということになる。何度聴いてもわからない。どうしてこれが名演になっているのかが。
 「フライング・ホルン」を受けて第1楽章第1主題が2度目に鳴るところ(1分22秒)から少し聴いただけで、この演奏がとてつもない演奏であることがわかってしまう。(それは最後まで裏切られない。)いつ聴いてもここは胸が熱くなる。何なんだろう、この演奏は? これでは身も蓋もないが、指揮者の体内時計が刻む通りに振ったらこんな感じになるのではないか、とふと思った。オーケストラのちょっと渋い響き、ホール、録音など全てが良い方向に作用してできあがった奇跡的名演という気がする。聴いているうちに指揮者の存在を忘れてしまうという点では、ハイティンク盤と似ているかもしれない。が、それと決定的に違うのは、当盤では背後にある大きなものの存在を感じるという点である。(やっぱり具体性がない。)こういうのを文字にするのは私の手に余るのでさっさと諦めた方が良いという気がしてきた。第2楽章についてちょっと書く。
 初めて聴いたときアダージョの冒頭のピッチが低いので驚いた。第1楽章で気が付きそうなものだが、(たしか変音記号がいっぱい付く)ホ長調は私にとっては(ロ長調とか変○長調、嬰○長調のような)「中途半端な長調」なので多少の高低は気にならない。そのせいかもしれない。「ならば嬰ハ短調の第2楽章も同じことではないか」と言われたら返す言葉がないが、とにかく瞬間的に低いと感じた。7番はカラヤン75年盤→ヴァントBPO盤→ヴァントNDR盤に続く4枚目に買ったと記憶しているが、最初の3枚のオーケストラよりは確かに低い。そして冒頭のワグナーチューバのくすんだ音色が余計に低く感じさせた一因かもしれない。とにかく、非常に重苦しい始まり方である(これに匹敵するのはクレンペラー盤)。基本テンポはそんなに遅くないが、長調部分で急に足を速めたりしないので24分かかっている。が、ハ長調になる部分(10分17秒〜)やブラスのファンファーレ(13分31秒〜)など輝かしい部分で力を入れて、それが終わったら抜くというように劇的に演奏しているのでダレない。そうやって起伏を繰り返しながら次第にクライマックスに向かっていく。「これでもか」とばかりに全力を注いだハ長調の頂点を過ぎ、短調になったらあのくすんだワグナーチューバが戻ってくる。 そう、これはティントナー盤のページで書いたことだが、打楽器使用版(ノヴァーク版、および当盤で使われている改訂版)によるアダージョ演奏(上って下るという山形)としては模範的である。本当に素晴らしい。他の楽章も素晴らしい(短めに吹かれる金管とティンパニの絡みが美しいスケルツォ主部、けっして流さず力を入れるところは入れる熱演のフィナーレ)ので、いつか気が向いたら書き足すかもしれない。
 ところで、「クラシック名盤&裏名盤リスト」でこの曲を担当した平林直哉は、マタチッチの演奏(当盤&スロヴェニア・フィル盤)がオーソドックスに属するものの中で最も好きだと述べながらも、第1楽章の感動的な幕切れで突如として尻軽となり、テンポを速めるのが「どーしても気に入らない」として、結局朝比奈&新日本フィル盤を推していた。けれども、当盤1楽章のラストは21分08秒頃(最後の最後)から少しテンポが上がるものの決して尻軽・早足ではない。後のウィーン響盤とスロヴェニア盤ではもっと前から加速を始め、ラストのテンポは相当に速くなっているので、彼の言っていることもわからんでもない。が、当盤は違う。(ちなみに、私が知る限りラストスパートがもっとも激しいのはジュリーニである。)私には平林が記憶違いをしているとしか思えない。彼の書いていることに疑問を抱いたのはこれが最初だったかもしれない。

追記
 5&9番のチェコ・フィル盤のページに書いたが、「クレスト1000」シリーズのマスタリングはかなりメリハリがあるため、好き嫌いがハッキリ分かれると思う。少々高くは付いたが、この「スプラフォン名盤マスター・トランスファー・コレクション」を買ったのは正解かもしれない。渋くて落ち着いた音で聴いたからこそ、この演奏の奥深さが堪能できたのだ、と自分を慰めてみる。

追記2
 「クレスト1000」による59番のケース裏には「このCDは、COCO-78XXXの原盤による再発売商品です」と書かれており、ディスクにも旧番号が刻印されている。そのことをすっかり忘れていた。だから、おそらくは当盤もCOCO-70414と中身は全く同じである。(結局損だった。)ところで、金子建志はマタチッチのブルックナーのCDの音質が94年を境にガラッと変わっており、それより新しいものを買えば安心、というようなことを書いていたらしい。(情報源をネット上で改めて捜したのだが見つからない。某掲示板だったとしたら倉庫行きになったのだろうか?)とにかく、94年以降は「MS (MASTERSONIC) 20-BIT PROCESSING」によって音質向上が図られたということである。けれども、同じホールで録音され、同じマスタリングを施されたはずの当盤の音質は、やっぱり59番ほど鋭くなく耳に優しい感じである。特に3年しか違わない5番とここまで違うのは不思議だ。録音エンジニアとディレクターが一部違っているようだが、それだけの理由だろうか?

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