交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮フィルハーモニア管弦楽団
83/07/23
IMG Artists BBCL 4079-2

 この人はホンマにようわからん人である。このオケと54年に4番の改訂版を録音したのをはじめ、579番でも部分的に改訂版を採用していたので、当然3番も改訂版、もしくはノヴァーク版第3稿だと思っていたのだが、エーザー版(第2稿)とは!(この人のスタイルだったら8番も改訂版でやった方が面白かったのではないか、いっぺんぐらいはそれで録音してくれたら良かったのに、と無責任なことを言ってみる。)けれども、そのお陰で私はこの版の素晴らしさに目覚めることができたのだから感謝しなくてはならない。
 この演奏でマタチッチは要所要所で決めをキッチリと入れている。例えば第1楽章2分25秒。「これでもかー」という感じで曲によってはやりすぎになる危険もあるのだろうが、この3番は(ヴァントケルン盤ページに書いたように)スケールもそこそこ大きい曲なのでこれくらいで丁度良いのだろう。私の趣味としても、地味な2稿をここまで盛り上げてくれるのは大歓迎である。浅岡弘和は「『第3』では第1楽章373小節(3稿)からの楽想が正にその種の音楽になっていて、ただ盛り上がるだけの2稿よりはよほど深い」と書いているが、確かに第2稿はフツーにやってしまうと情けないほどつまらない。(あんまり他の指揮者の悪いところを引き合いに出すのは好きではないのだが、ハイティンク盤は第1楽章を聞き終えた時点で心底退屈してしまった。作曲者がウィーン・フィルと2稿で行った初演にもし私が立ち会っていたら、やはり途中で帰ってしまったかもしれない。)
 ところが、マタチッチはそこ(9分36秒から二短調になりピークに向かうまで)も非常に劇的に演奏しており、表現の深さでも並の3稿演奏には負けていない。いったん10分13秒でほんの少しテンポを落とし、それから少しずつ加速していく。決してあざとくない。クレッシェンドの付け方も見事である。ここを不動のテンポで押し切るヴァントとは違うやり方だが、それに匹敵する感動的なクライマックスを描ききっている。11分22秒から別テンポで急に駆け出す。私が知る限り、ノヴァーク3稿でそうやっている演奏は全てダメなのだが、なぜか当盤では引き込まれてしまう。(3稿より完成度は上じゃないかとすら思ってしまった。)ティンパニのアクセントが利いているのかもしれない。ここに限らず、当盤では容赦なく打ち込まれるティンパニの楔は非常に効果的である。
 ところで、5番チェコ・フィル盤ページの追記で述べた「人それぞれ」だが、ここでも私は許光俊と感じ方が違っているらしい。彼は「生きていくためのクラシック」にて、当盤第2楽章を「開始されるやいなや、優しさが聴き手を包み込む。(中略)第5番の硬派ぶりからは想像もできない音楽だ」と書いているのだが、私は当サイト作成のためにここを改めて聴き、「アレッ、3番の第2楽章ってこんなんだっけか?」と首を傾げた。冒頭こそ優しく始まるが、50秒ほどするとハ長調になって行進曲のように聞こえる部分が現れる。それ以降も力感の込められた部分が頻出する。前楽章を引き継いだかのように。かと思えば、7分過ぎではスタスタと素っ気なく進んでしまう。楽章全体では何を表現したいのかよく判らない。またしても、だが「飄々とした感じ」である。次の3楽章が激しい短調部分と優しい長調部分とのコントラストがハッキリしていてまたいい。ここはチェリのSDR盤と並んでトップクラスだと思う。おふざけコーダがないのも良い。ラストのなだれ込むようなティンパニがキチッと締めくくっている。
 終楽章もこれまで書いてきた3楽章までと同様、テンポや音量にメリハリが利いている。こういう演奏なら2稿でも決して退屈と感じたりはしないのだ。今気が付いたが、この演奏は基本テンポの設定という点では結構いい加減である。ここで某掲示板のマタチッチ・スレに出ていた当盤評から少し。

 最高の演奏。あんなに取り付く島も無い峻厳な演奏なのになぜか癒される。
 実に不思議だ。このあたり、チェリビダッケやヴァントとは違う。適度な
 アバウトさがプラスになっているのかな。

「適度なアバウトさ」というのも、私が使った「飄々」「自由自在」「悠々自適」と中身は同じだと思う。「アバウトさ」と「峻厳な演奏」は対立する概念ではないかと思ったが、よく考えると必ずしも矛盾ではないような気もしてきた。何せ「仙人」だけにそれくらいは難なく両立させてしまうのだろう。遅ればせながら、であるが録音は非常に優秀である。残響豊富、だが過多ではない。終楽章12分過ぎの「こだま」が非常に効果的である。当盤を初めて聴いたとき、最後の「ドーーーーソーーーソッド」がド派手に終わった直後、思わず私も聴衆と一緒に拍手&ブラヴォーをしてしまった。大熱演&超名演である。
 さて、当ページ冒頭の使用版については他のページを執筆している間にも自分なりに考えていたのだが、マタチッチは54年の4番に始まり、579番でも部分的ながら改訂版を採用してきたものの、加齢とともに均衡が取れているという点で上回る原典版の良さが解るようになっていったので、晩年になるほどそちらに傾いていったということではないだろうか? 彼がもうちょっと長生きしてくれれば原典版による4番が聴けたかもしれない。そう思うとちょっと残念である。さらには3番と8番も初稿で再録音してくれたのでは、というのはさすがにちょっと考え過ぎか? (とはいえ、どちらも彼の晩年の芸風には合っているような気がする。)

追記
 マタチッチが後年は原典版による4番演奏を行っていたのを私は知らなかった。ウィーン響との演奏(74年)を収録した海賊盤CD-Rがネットオークションに出品されたが、その商品説明で初めて知った。当然ながら私はこのディスクの獲得に動いたけれども、思いの外高騰したので競り合うのを諦めた。やはり正規盤発売を待つしかあるまい。

おまけ
 既にあちこちで毒づいてきたが、私は3番の第2稿(ノヴァーク、エーザーとも)はあまり好きではない。第4楽章の終わりも第3稿に慣れた耳には「ちょっと情けないなあ」と聞こえてしまう。ノヴァーク3稿では「チャーチャーッチャ、チャーチャーッチャ、チャーチャーッチャ、チャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ」と来て、締めくくりに第1楽章の冒頭主題がニ長調で「ドーーーーソーーーソッド」と高らかに鳴らされて劇的に終わるのであるが、2稿は「チャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャチャ」の12連発がないため、ものすごく収まりが悪い。一方、「チャーチャーッチャ、チャーチャーッチャ、チャーチャーッチャ、チャン」の1稿の終わり方も決して拙くない。要は2稿が中途半端(どっちつかず)になってしまっているということである。ところで、マタチッチはこの部分に12連発こそ入れていないものの、「チャーチャーッチャ」を4回繰り返すことによってタメをつくっている。(2稿と3稿の折衷案といえようか。)その工夫のお陰で最後の「ドーーーーソーーーソッド」にうまくつながっている。2稿を使用したディスクを全て聴いたが、こうやっているのは彼だけであった。

3番のページ   マタチッチのページ