交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
80/10/14
SONY Classical SICC-261

 カラヤンのディスク評ページのどれかで、「フルトヴェングラーの演奏は日によって全く違う」と念仏のように唱えている評論家連中に対し、こちらは異を唱えた。(「日によって演奏がガラッと変わるのは別にフルヴェンに限ったことではない。正規盤が少ない彼ゆえ、ライヴ録音が世に出回る比率が高かっただけではないか」などと書いた。1952年11月26〜27日にかけて行われたEMIスタジオ録音の「英雄」VPO盤は、同年同月30日とされるTahraのライヴ盤と少なくとも「別人のように違う」ということはない。一方、同年のBPOとの12月7日と8日ではかなりの違いが存在するようだが、初日である7日の演奏が何らかの原因で不出来に終わったためだという説もある。何にせよ、8日盤しか持っていない私は聴き比べができないため、これ以上は書けない。)他に「ベームはライヴになると別人のように燃える」も疑わしいと思っている。スタジオかライヴかというよりも、演奏・録音された時期の違いの方がはるかに大きいのではないか。ベーム&VPOによる約1週間違いの7番録音2種(TestamentのライヴとDGのスタジオ)を比べても、先のライヴの方が若干テンポが速くて即興性も感じられるが、基本的スタイルに違いは認められない。クナ&MPOの8番2種についても同じだ。それどころか、ケーゲルの8番のようにライヴ(ODE)よりもスタジオ録音(PILZ)の方がはるかに気合いが入っているという例もある。(そちらに書いたように、録音が旧東独にとって国家の威信を懸けた一大行事だったからだと私は思う。)クーベリックについても、「クラシック名盤&裏名盤ガイド」にてマーラー5番のページを担当した海老忠は、METEOR盤(MCD-024)を本命に挙げて「演奏会でのテンションの高さはスタジオ・レコーディングの比ではない」「DG盤とは次元の異なるパフォーマンス内容が素晴らしい」と絶賛している。しかしながら、「紫」盤とDG正規盤に収録されている演奏の間には実に10年もの開きがあることを彼はちゃんと考慮したのだろうか?(ならよいが、でなければ底が浅い批評と言われても仕方がないだろう。)
 さて、この3番スタジオ録音も、そういった「お念仏」がいかにいい加減なものかを我々に示してくれる格好の教材だ。「鐘」盤と5日しか違いのない録音がそんなに大きく変わるはずがない。トータルタイム差は1分ちょっとに収まっているし、トラックタイムも第1楽章を除けば大して違いはなく、よって演奏スタイルもほとんど同じである。(「鐘」盤のケース裏に記載されている第3楽章の8分34秒というのは大間違いで、正しくは7分01秒である。)
 別ページに書いたように、生涯で初めて通しで聴いたブル3である。初発CD(85年)の廃盤以降長らく入手不可状態が続いており、私はネットオークションで3連敗ほどしたはずだ。(最高で1500円しか出さなかったのだから無理もないか?)ようやく2005年5月に再発された「クーベリック至高の芸術」(グレイト・アーティスト・シリーズ)の当廉価盤で十数年前ぶり聴いたが、こんなに素晴らしい演奏だったのか、と改めて感激した。先に入手していた「鐘」のライヴと比較しても、力強さに欠けるというようなことは全くない。第1楽章の最初の1分の盛り上げ方が実に見事だ。ここに限らずフォルティッシモが全くうるさくない。楽器間のバランスがちゃんと取れているからである。また、この曲は速めのテンポでフォルティッシモを迎え、そこで腰を落として一気にエネルギーを解放するという箇所が多いが、そのテンポ設定も絶妙だ。もちろん指揮者の腕もあるが、オケのメンバー全員が曲をよく理解しているのだろう。ショルティ盤のページにも書いたが、バイエルン放響は3番との相性が抜群だとつくづく思う。さらに、このオケの開放的な音色は3稿よりも2稿の方に向いているのかもしれないという気もする。8分07秒からしんみりするところでは思わず溜息が出てしまう。11分16秒のクライマックスまでをインテンポで進めるが、この箇所においては3稿に比べるとどうしても平板になりがちな2稿の不利を全く感じさせない。(よくよく考えたら、もし退屈な2稿を生真面目につまらなく演奏していたなら、3番の初購入CDだったベームVPO盤を聴いて「アレッ、こんな音楽だっけ?」と首を傾げたはずである。つまり、あっちのページに書いたように私が版の違いに気が付かなかったのは、クーベリックが熱い演奏を繰り広げてくれたお陰だと考えられる。もっとも、チンタラ演奏に終始したベームのせいでもあるが・・・・)マタチッチ同様の名人芸である。第2楽章はちょっと惜しい。3分23秒以降など(他にもある)突如テンポが速くなる箇所は腰が軽くなるだけならまだいいが、7分17秒からはリズムが曖昧というか甘くなってしまったように聞こえるのだ。(楽譜がちゃんと読める人にとってはそうではないのかもしれないが、私がそう感じてしまうのも事実である。)後半2楽章は力感に溢れながらも端正である。バランス感覚が見事だからこその演奏だ。特に終楽章は素晴らしい仕上がりで、2稿の方が3稿よりも圧倒的に優れているじゃないかと思ったのは当盤が始めてである。結局アダージョのテンポいじりさえなければほぼ満点という評価になった。
 最後に音質だが、最新マスタリング技術を使っているためか非常にクリアーである。分離の良さも特筆ものだ。ヴァイオリン両翼配置の効果もしっかり感じ取れる。
 
おまけ
 ブックレットにある「解説は85年発売時のものを一部加筆して掲載しております」で思い出したのだが、(既に誰かがネット上で非難しているように)録音後5年も放っておかれたというのは随分と酷い話である。さて、歌崎和彦は曲目解説にて(当時はとしては極めて異例だった)クーベリックのエーザー版使用に触れている。その中で「今日一般的には、第3稿が演奏されることが多いが、その改訂はブルックナーが第8番の初演を断られて意気消沈していた中で行われたものだという、エーザーやデルレンベルクらの指摘には留意しておく必要があるだろう」というコメントが私の目を引いた。というのも、(7番BPO盤ページで執拗にほじくり返したように)ヴァントは8番のノヴァーク2稿にある短縮を「初演の直前に強要されていやいややったこと」だと述べていたからである。これに対し、3番は「最終稿だから」という理由でノヴァーク3稿を採用し、それをサポートするために「ブルックナーが望んだから」「それで初めて大成功を収めたから」という理由も付け加えている。しかしながら、もし3番の「いやいや」が本当ならば、彼のノヴァーク3稿採用の根拠が跡形もなく消え去ってしまうことになる。ヴァント危うし!(と今更書いても何にもならないが・・・・)

3番のページ   クーベリックのページ