交響曲第5番変ロ長調
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
59/03/19
LIVING STAGE LS 1003 → Music & Arts CD-1105に買い換え

(VPO盤のディスク評はほとんど脱線話に終始したが、ここもそうなることを予告しておく。)
 私が所有する中で完全に改訂版を使用したのはクナの2種だけである。マタチッチやケーゲルはティンパニ付加(前者は両端楽章の終わり、後者は終楽章だけ)のみで、シャルクのアホカットは採用していない。一方、朝比奈もノーカットだが、終楽章コーダでエキストラブラスのトッピングを行っている。(他に採用例があるかもしれないが、ティンパニほどハッキリ聞き取れないので判らない。)ここで脱線したいのは別働隊の金管についてである。
 カラヤンだったか誰だったかが、日本の大学オケの演奏を聴いて「イタリアの最も上手い交響楽団よりも上」と評したらしい。(たしかFM誌の新譜紹介記事で、早稲田大学交響楽団によるベルリン公演のライヴ盤に対する批評だったと思う。)いきなりラテンアメリカに飛ぶが、その話をパラグアイの国立オーケストラの指導に来ていた人(ただし、なぜか専門は声楽だった)にしたところ、とても「そんなレベルじゃない」(日本のアマオケの足元にも及ばない)という返事だった。別ページに書いているように、僻地に居た私はクラシック音楽をラジオ放送で聴いていたのだが、ブエノスアイレスにあるRadio Nacional Argentinaは放送オーケストラを所有しており、土曜日夜には時々演奏会の中継があった。後述するように91年にブエノスを訪問した際、放送局内でそのオーケストラによるコンサートを聴いた。(曲目は忘れてしまった。)別の日には生涯で初めてジャズのナマを聴いた。(ちなみに、海外向けはRadiodifusion Argentina al Exterior=RAEで、放送局は国内放送と同じ建物にある。私はその日本語放送もよく聴いていた。当時のアナウンサーの高木一臣さんと佐藤アイデーさんの話し方と共に、ニュースの途中でブルックナー休止も顔負けというべき数秒間のインターバルがたびたび入るのが何ともいえず可笑しかった。私は1991年にRAE日本語部を訪れ、放送にゲストとして引っ張り出されることになったのだが、そこでようやく謎が解けた。彼らは本番直前に出勤し、その日のニュース原稿を受け取ったら直ちにスタジオ入りしていたのである。そして、生放送の本番では西語で書かれた原稿をリアルタイムで翻訳しながら読んでいたのである。これには驚愕した。凄いことである。「『もっとちゃんと読め』という手紙がよく来るけど、事情をわかっていない」と佐藤さんは憤慨していた。「もう少し早く来たらどうですか」とはさすがに言えなかった。何せ放送開始は現地時間の朝の7時。私が訪問したのは冬だったが、8時前でも外は真っ暗だった。なお、このページ執筆のためネット検索して日本語によるRAEのファンサイトを発見したが、それによると日本語による国際短波放送が衛星放送の普及により役目を終えたとして次々と閉鎖に追い込まれる中で、RAEの日本語放送は2人のアナウンサー共々2004年10月現在も健在ということである。それどころか、98年から放送時間がそれまでの1日1時間が2時間へと拡大され、2002年からはアナウンサーが3人になるなど嬉しいことに発展している。「日本語放送への投書数は、RAE全言語の中でトップということもあり、局では日本語放送を重視しています。」ということの現れなのだそうだ。放送は毎週月曜日から金曜日、日本時間の19:00〜21:00まで行われ、周波数は11710 kHzである。ただし、南米でこそ極めて良好に受信できるものの、出力50kwでは日本国内での聴取は非常に困難である。周波数の見直しや出力のアップ、衛星中継利用といった改善策が求められる。なお、このサイトによると、ニュースの「間」が最近は少なくなったようで、ちょっと残念である。)
 さて、括弧内の長ーい余談から戻ると、この生中継で演奏される曲目は全く変わり映えがしなかった。交響曲に限ると、ベートーヴェンでは124番だけ、あとはメンデルスゾーンの「イタリア」ぐらい。(「未完成」もあったかな? 他にもあったかもしれないが忘れてしまった。)その数少ないレパートリーを日を置いて何度も何度も演奏するのである。この話を上述した声楽家に話したところ、「難しい曲が演奏できるわけないじゃないですか」と淡々としたもの。アスンシオンのオケはそこまでも行っていないということだった。(やむを得ないが楽器も良くないらしい。)ただし、「ブラスセクションだけは上手い、軍楽隊の中でも腕の立つ連中を集めているから」という話であった。何でも「ブラスが吹くと他は全然聞こえない」ということである。いよいよ私が書きたかったことに移るのだが、そういうオーケストラなら何を演奏しても当盤のエンディングのようになってしまうのだろう。もっとも、それ以前に崩壊してしまうかもしれないが。腕が十分に上がったらブル5を、もちろん改訂版で録音して欲しい。指揮は是非とも宇野功芳にお願いしたいところだ。

追記(というより、ここからが本文)
 これではあんまりなので、やはり当盤の印象も少し書いてみる。VPO56年盤より後の演奏だが、クナのライヴの例に漏れずモノラル録音である。ヒスノイズも耳に付くが、それとともにライヴの雰囲気は入っているので、演奏を愉しむには向いている。とにかく迫力が凄い。第1楽章冒頭からティンパニ(原典版とは音型が変えられている)のド迫力に圧倒されてしまう。フォルティッシモでは音が割れる寸前である。(幸いにして完全には割れていない。)スタジオ録音には、両端楽章コーダなど打楽器や金管が増強された部分で十分鳴り切っていないという不満があったが、当盤では指揮者はまさにやりたい放題、オケも完全燃焼しており、中でもテンポを少し落として締め括る終楽章は圧巻である。この演奏の方が批評家の間でもネット上でも人気が高いのも肯ける。5番については9番バイエルン国立管盤のページに書いたのとは逆のことが当てはまるように思う。つまり、改訂版の酷さ(グロテスクさ)をじっくり検討するためなら正規盤、クナの豪快演奏に浸りたいのであれば当盤ということである。

追記2
 岩城宏之が「楽譜の風景」(岩波新書)でこの指揮者に触れていたのを思い出した。「大汗をかいてあばれまわる自分にイヤ気がさしていた」彼は、晩年のクナとカイルベルトの「動きを極端におさえた指揮にあこがれ、特に前者の、棒の先を五センチ動かしただけで、オーケストラがフォルティッシモに爆発してしまう、あのすばらしい緊張感を、自分の理想にしていた」そうで、それをBPOとの演奏会で実際にやってみたところ「禁欲的なイワキ」などと好評だったため、VPOとも同じことをやろうと考えていたのだが、首席奏者に「喝!」を入れられてしまう。60歳を過ぎてから何度も大病を患い、70歳(エピソードが紹介されていた時点)では胃が1/4もないクナにとって、指揮棒を五センチ動かすというのが全力の大暴れに相当するけれども、若くてエネルギーのあるお前がそんな真似をするのはウソであるからアカン、と説教されてしまったのである。
 さて、当盤録音時のクナは71歳。見かけ上は「禁欲的な指揮」だったということである。それでいて、こんな大爆演を成し遂げているというのはちょっと信じられない。それほどまでに発するオーラが超人的だったのであろう。ところで、映像で観たことが全くないので彼の動作がいつから小さくなったのを私は知る由もない。大病を患う前ということで確実なのは4番BPO44年盤(指揮者56歳時)だけであるから、あるいは私が所有するそれ以外のディスクの収録時は全てそうだったかもしれない。とはいえ、60年代に入ったクナの演奏からは余計な力が抜け、その代わりに無類というべきスケール感を獲得するようになる。いわば「晩年様式」に入ったわけであるが、指揮ぶりには特に目立った変化はなかったのだろうか? やはり映像で確認したいところだ。

追記2の追記
 吉田秀和が1954年のザルツブルク音楽祭で目にしたというクナの指揮姿について、彼が「世界の指揮者」(新潮文庫)に書いていたのを今更ながら見つけた。「およそ、あんなに動かない指揮、腕というより腹でやってるみたいな指揮は、あとにもさきにも、ほかにみたことがない」とあるから、遅くともこの頃(指揮者66歳時)には「禁欲的境地」に入っていたということになる。

2006年11月追記
 最新デジタル録音の場合はあまり問題にならないが、アナログ録音の再発時におけるマスタリングの巧拙はディスクの価値に少なからぬ影響を及ぼす。ところが、モノラルでは再び(?)どうでもよくなってくると私は考えている。(例えばフルトヴェングラー&BPOによる「第九」1942年3月盤を私は3種買ったが、いずれも一長一短あると聞こえた。うち最も安価なダイソー盤が一番音が良いような気がしたが、冒頭の欠落はあまりにも痛かった。Archipel盤も悪くはなかったけれど、終楽章のいいところで変なノイズが入り、交換してもらっても同じだったので結局手放した。なので、明瞭さには欠けるもののトータルとして合格点を与えることのできるTahra盤を残した。)それに代わって音源に何を使っているか(テープ or 板)、およびそれらの保存状態が俄然重要となってくる。
 ここでもS氏のサイトから引用させていただくと、このライヴを収めたCDではMusic & Artsの新盤(CD-1105)Green Hill盤(GH-0005)、そして青裏のEn Larme盤(ELM 01-77)が音質良好のようである。ということで、Dreamlifeから今月3日に同時発売されたブルックナー3種を一網打尽で入手しようと一時は考えたのだが、4番と同じく事前にネットで検索し、上記Music & Arts盤をアマゾンのマーケットプレイスから購入した。990円+諸経費340円ナリ。ところが、その翌日にはDLCA-7012が楽天フリマに何と900円で新規出品されたから地団駄を踏んだ。諸経費を足しても1200円だから結局130円の損だ。日本語解説なしというデメリットもある。とはいえ、こっちはシュトゥットガルト放送響との「悲劇的序曲」(1963年)がオマケに付いている。4番購入の際には「ティル」が落っこちたから通算一勝一敗である、として自分を慰めておこう。
 案の定、LIVING STAGEと音質を比較すればコールド勝ち(雲泥の差)である。あちらはティンパニが連打されるとフルトヴェングラーの戦時中録音のような泥んこ状態になった。一方、Music & Arts盤はフォルティッシモでも決して混濁することがなく、とりわけ終楽章コーダは燦然と輝いているようだ。しかしながら8番のように、だからといって改訂版の良さがクローズアップされるという結果には繋がらない。ボトスタイン盤ほどではないが、軽量級と感じさせるのは諸刃の剣といえる。「エログロ悪趣味版」の演奏には、やはり「生舞台」盤のような劣悪音質こそが似合っているのを認めないわけにはいかない。(といいながら手元に残しておく気は更々ないのだけれど。)
 なお、S氏はブラームスの演奏については高く評価されているが、所有ディスク4種の音質にはいずれも不満足の様子だった。確かにヒスまみれだし、冒頭からいきなりテープの繋ぎがハッキリ確認できるなど編集もお粗末という他はない。それでも複数の名録音を残した第3交響曲(私は50年BPO盤しか持っていないが)同様の巨大な表現を堪能できたから自分としては不満はない。
 ブラ3といえば、DLCA-7012は戦時中のマグネットフォン録音(44年)としては最高ランクの音質らしい。しかしながらスルーする。ともに冒頭部分の欠落した「モルダウ」(スメタナ)と「スケルツォ」(プフィッツナー)を収録しているようだが、そういう半端物を聴くのが苦痛だからである。

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