交響曲第9番ニ短調
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
66/03/19
Deutsche Grammophon POCG-5046

 許光俊が「世界最高のクラシック」にて、日光への修学旅行で観た滝の美しさに喩えて「とても感動したがすぐに忘れてしまった」などと評したのが当盤である。彼は「クラシックCD名盤バトル」にて、カラヤンの「英雄」63年盤を「内実ではなく外見への執着が《英雄》の性格と適合して、彼のベートーヴェン演奏の中でひときわ成功している」と評したが、このブル9もあるいは指揮者のそのような執着がプラスに作用したのかもしれない。いずれにしても、この演奏は美しいには美しいけれども「哀しみ」は感じさせない。つまり75年盤とは全く似ていない。(許が75年盤について語らなかったのは残念である。)これもカラヤンが「ようワカラン」指揮者であることを示す格好の例だと思う。
 第1楽章の2分17〜44秒の「インフレーション」→「ビッグバン」の激しさにいきなり驚かされる。金管は何かに襲いかかるがごとく鋭い響きを立てるし、ティンパニもそれに負けじと応酬している。ここを聴いていたら、許が滝を思い出したのも当然ではないかという気もする。カラヤンのブルックナーに対しては、確かに迫力は超弩級でも節度を保っているために上品で流麗という印象を抱くのが常であるが、それが当盤には当てはまらない。 60年代のブルックナーとして唯一というだけでなく、70年代以降の録音からはこういう荒々しさが(ライヴを除いて)滅多に聞かれないという点でも当盤は貴重である。
 唯一いただけないのは、第1楽章がアッサリ終わってしまうことである。これでは天地創造という大仕事を終えた後の達成感が全く伝わってこないではないか。神は歓喜のあまり(終わった後グッタリして「ハアハアゼイゼイ」と息が上がってしまうほど)きっと我を忘れて踊り狂ったのだから、最後の一音はこれでもかと言わんばかりに「ドシーーーン 」と足音を響かせてもらいたかった。(満点なのはヴァントMPO盤である。)ここだけは本当に惜しい。とはいえ、「ブルックナー・ザ・ベスト」で当盤を挙げた人がいるのも十分肯けるほどの出来映えである。
 ここから録音についてあーだこーだ書いてみる。先に挙げた「英雄」63年盤は私も愛聴している。解釈自体は後の84年盤とさほど違いはないのだが、音が重々しくないのがいい。(1&2番も60年代初めの録音を所有しているのだが、印象は全く同じである。)カラヤンの目次ページにも書いているが、快速テンポで響きが重厚だとどうにも落ち着かないのである。で、84年盤は中古屋行きとなった。当盤は私が所有するカラヤンのブルックナーDG盤としては、1961〜62年のベートーヴェン交響曲全集に最も近い時期の録音であるため、やはり音質もよく似ていると思う。くどくない。
 宮岡博英は「クラシック、マジでやばい話」にて「やっぱりDGの録音は妙だったんだ」「音量の調整がオーケストラの音ではなくて、機械のつまみによるものに聴こえて・・・・」などと書いていた。私は妙とまでは思わないけれども、いわゆる「カラヤン・サウンド」、つまり重厚&メタリックな音色によって聴いたらすぐに分かる70年代以降のカラヤン&BPOの録音に対しては「クセがある」「アクが強い」という印象を持っていた。「カラヤン・サウンド」のディスクでは、ディレクターのミシェル・グロッツ、およびレコーディング・エンジニアのギュンター・ヘルマンスの名を例外なく目にするから、「グロッツ&ヘルマンス・サウンド」と呼んだ方がいいのかもしれない。それはともかく、当盤ではディレクターがハンス・ヴェーバー、エンジニアがクラウス・シャイベである。(グロッツはEMIのレコーディングでもディレクターを担当していたから、当盤は彼の影響下にないカラヤンのブルックナーという点で稀少である。)イエス・キリスト教会で録音されていることも、あるいは厚化粧の施されていない素直な音に仕上がっていることの大きな理由であろう。あの「カラヤン・サウンド」とは相当に違う。(ゆえに好まぬという人がいても当然であろう。)
 ちなみに、同じ「カラヤン・サウンド」でも、私の受ける印象は70年代が「金ぴか」、80年代が(3番のページに書いたように)「ギラギラ」で微妙に違う。ここで当盤も敢えて金属の光沢に準えるならば、黒錆=酸化鉄(FeO)によるコーティングを施された鋼の発する黒光りである。それゆえ、私は(ヴァントのケルン放送響盤やカイルベルト盤などと同じく)「剛直」というイメージを抱いたけれども、それは「つまみ」による余計な調整がないためかもしれない。上で述べた演奏の「荒々しさ」も「すっぴん」の音質が貢献する度合いは小さくないはずである。9番以外も「非カラヤン・サウンド」で聴きたいものだ。
 さてさて、よくよく考えてみたら、当盤は私の所有するカラヤンのブルックナーとしては彼の50歳代の録音としても唯一のものであったのだ。つまり、壮年期の指揮者の勢いと「非カラヤン・サウンド」とのマリアージュによって生まれた名盤と言えるのではないか。先にも書いたが、75年とは特徴の大きく異なる当盤の存在意義は非常に大きい。

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