交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
75/04/19
Deutsche Grammophon POCG-6048

 「4番は好きな曲なので誰の演奏でも楽しめるのですが、カラヤンの75年盤だけは許せません。」 こんな文章をネット上で見たことがある。そう言いたくなる気持ちはよく解る。
 一時期、この演奏がグラモフォンのベスト100だったか101に名を連ねていたことがある。「なんちゅうことをするんや!」と私は憤った。このエキセントリックな演奏をビギナーが聴いたら、「ブルックナーって大したことないじゃん」と思ってしまい、ブルヲタの同志が加わるチャンスが永遠に失われてしまうではないか! などといささか大袈裟なことを書いてしまったが、冷静に考えてもこの演奏は一般的とは言いがたい。「マニアック」「変態」「トンデモ盤」という形容がピッタリである。なので「何が何だかわからない」という印象を持たれてしまう危険が高いと思う。最近はベストシリーズの類を買わないのでよく知らないが、現在DG国内盤のベストで採用されているのはアバド盤だろうか? シノーポリ盤だろうか?(前者はオーソドックスそのもので、後者も意外と「まとも」である。)ヨッフム盤やバレンボイム盤は危険だ。
 さて、当盤を予備知識なしで聴いたら第1楽章1分37秒で驚くことは必定である。ヴァイオリンが「ソーファーミレドシーラ♭ラ」を何と通常より1オクターヴ高く弾くのだから。(オーマンディ&フィラデルフィア管の「くるみ割り人形」組曲でも、終曲「花のワルツ」での1オクターヴ高い弦に驚いてしまった。)これは改訂版の解釈で、フルヴェン盤、クナ盤、ワルター盤などでも聴かれるが、ここまで輝かしい音色で鳴るのは当盤だけである。(70年盤は録音の分だけ劣る。)その後1分45秒にブラスとティンパニしか聞こえない「ドーソーファミレド」が来るが、高音から低音への落差はあまりにも凄まじい。イグアスの滝から悪魔の喉笛に突き落とされるようである。滝壺というよりは機銃による一掃射撃の方が近いか? カラヤンは他にも、1楽章中間部コラールでのティンパニ、4楽章冒頭のシンバル、同楽章後半のティンパニと、少なくとも(私に判るだけでも)3箇所で改訂版のアイデアを採用している。70年盤では高音弦以外は原典版で演奏していたので、「この期に及んで何を血迷ったのか」と言いたくもなる。8番のヴァント&ギュルツェニヒ管のページで触れたが、この4番でも「両盤を聴いて年代順に並べよ」という課題を出したら、おそらく半分以上が不正解になるだろう。もっとも指揮者にしてみれば、「70年盤でとりあえず模範的な演奏を残したので、今回は自分の好きなようにやらせてもらう」ということだろうか? 優等生ほどキレたらコワイという見本のような演奏である。特にコワイのが第1楽章の終わり方。ホルンが高らかに吹く「ソードードソー」に合わせて他の楽器が「ド」を鳴らすが、「ジャン」から次第にエスカレートして「グァン」という感じになる。特に最後の「グァン」は後頭部をガツンとやられたようである。耳にこびり付いて何秒か離れない。おそらく、この「グァン」は徹底的に練習したのであろう。「おまえ実はこの『グァン』がやりたかっただけと違うか?」と言いたくなった。

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