交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
70/09〜10
EMI TOCE-3477

 この演奏を「超名演と信じて疑わない」という感想がネット上のどこかに(たぶん9番専門のサイト)出ていたはずだ。それはどうでもいいが、このディスクは「論外」と言わないまでも買ってはいけない。その理由はこれから述べるが、やはり言うべきことはきちんと言わなければならない。
 最初に当盤を聴いた時であるが、第1楽章8分11秒からの「ソードードソー」の直後に「アレッ」と驚いた。次の「ソ#ードードソー」が2回繰り返されたのだから。そこをリピートしている演奏は初めてだった。もしかしたらカラヤンお得意の部分的改訂版採用ではないかと思い、ネット掲示板で問い合わせたが、そのような回答は得られなかった。その後、改訂版や第1稿も含めていろいろなディスクを聴いたが、どの演奏でもそのような処理はされておらず、これは編集ミスではないかと考えるに至った。そこで、私は発売元の東芝EMIに対し、業者サイトの「FEED BACK」というページから問い合わせをしたのである。「これは編集ミスではないか? もしそうなら交換対象とすべきでないか?」という旨の。
 結果は「黙殺」であった。最悪である。「経費がかかるので今更そんなことはできない」でもいいから返事はすべきではないか? 回答さえ得られておれば私は不承不承ながらも納得していたはずである。実はこの業者にはそれ以前にも腑が煮えくり返るような思いをさせられたことがある。こちらの短気も一因だったとはいえ、CD1枚分の金をみすみすドブに捨てる結果となってしまったのである。それ以降、この業者のCDは(中古は除いて)一切買わないことにしていたのだが、ブルックナーのディスクを集めるために封印を解いた矢先にこの仕打ちである。酷い。あまりにも酷すぎる。その後に私の取った処置は書くまでもない。(なお、英国その他のEMIにまで恨みを抱いているわけではないから輸入盤は購入している。)正直なところ、「潰れてしまった方が世の為」とまでは言わないが、「消費者を愚弄しても平然と構えているような業者には天罰が下ればいい」ぐらいには思っている。「フルトヴェングラーやクレンペラーなど、往年の巨匠による貴重な録音を劣悪なマスタリングでことごとく台なしにしている」のように、ネット上でも最も多く批判を浴びているのがこの業者だというのも事実である。(マスタリングに関してはどこかに、たぶんシューリヒトのページに書くことになろう。HS-2088の酷さはネット上でしばしば話題にされるが、私も同感である。)ついでに書くと、Grandmasterシリーズなどでマスタリングを担当している「Yoshio Okazaki」なる人物は、「クラシックのクの字も知らない」などと某巨大掲示板サイトで叩かれていたが、もし当盤が編集ミスだとしたら(回答がないので現時点ではそう判断せざるを得ない)、少なくともその点については的を射た批判であることを彼は認めなくてはならないだろう。
 ただし、これだけは断っておく。私は大人げないと自分でも思っているが、件の掲示板上で匿名での誹謗中傷(=管理者に迷惑が掛かるような行為)をするほどバカではない。だからここに書いたのである。これもぜひ言っておくべきことであるが、この業者とは対照的に誠実そのものといえる対応をしてくれた国内レーベルがある。アイヒホルンのページに登場するだろう。
 2004年にartマスタリングによる輸入盤が出た。ネット通販で1000円足らずであるが、買い直すのは癪である。本来ならリコール対象品として当盤と無償で交換されるべきであると考えているから。
 ディスク評については書く気がしない。75年盤のページにおまけとして何か書くかもしれない。

2005年1月追記1
 円高のお陰で800円を切ったこともあり、不本意ながらもEncoreシリーズの輸入盤(5 85801 2)を通販で買った。(国内盤はいくら安くても願い下げだ。)上記の不可解なリピートはなかった。やっぱりOkazakiが阿呆だったのだ。国内盤は即刻ゴミ箱行きである。とはいえ、この廉価盤も音質は決して誉められたものではなく、満足にはほど遠い。第1楽章冒頭のレベルが低いと思っていたらフォルティッシモで無茶苦茶にデカくなる。他でも同様で不自然と感じるほどに音量差を強調している。artマスタリングなのかは知らないが、高音がキンキンしていて耳あたりがキツイ。もしかしたらマスターテープが既に逝ってしまっているので、厚化粧で誤魔化すしか手がなかったのかもしれない。

2005年1月追記2
 東芝EMIは人類史上最悪のレーベルである。間違いない。以下は某掲示板のクレンペラースレッドへの投稿からの抜粋(発端部分のみ)である。

 復活と言えば、仰天のミスをハケーン。今日東芝EMIに連絡した。
 とんでもないことになりそうな気がする。

 現行のスタジオ録音盤(Great Recordings of The Century)として流通して
 いるものは、バイエルン・ライヴと全く同じ演奏です。
 両方お持ちの方は聴き比べて見て下さい。7:35過ぎに物が落ちる音がします。
 ほとんど同じ箇所で咳が入っています。4楽章の歌も全く同じに聴こえます。

 俺は、2002年に出た国内版artと、クレンペラーレガシーを聞き比べてみた。
 結論から言うと、明らかに同じ演奏だった。
 以前、両盤の演奏時間を見たとき「へえ〜、演奏時間は数秒しか違わないんだあ。
 すげー」と思っていたが、実際聞き比べてみると、同じ演奏。
 まず、冒頭のコントラバスのずれ方が同じ。
 そして、国内盤はスタジオ録音のハズなのに、
 楽章間で聴衆(だよね。やっぱり)が、セキをする音や、身をゆする音が聞こえる。
 EMIめ、マゼールに続いてまたやってくれたな

 まずもって基本のスタジオ復活が2年間もイカサマにあってたなんて、
 詐欺行為に等しいよ。買い直しというより何らかの要求できないのか。

 ここまでの流れからすると、どうやらおかしいのは国内盤だけのようですね。
 不幸中の幸いというか何と言うか。
 返事がきたら、ついでにOkazakiリマスターに関するクレームもしておこうかな。
 良い機会だと思うので。

 是非やっとくれ。
 ついでに海外盤があるものはそれに帯だけつけて売るようにさせろ。
 ないもののみ国内盤発売。これでまぎらわしくなくて済む。

 本当にもう、どうしようもない。この屑レーベルは。当然ながらその後に非難投稿が殺到した。(中には私の気持ちを代弁するようなものもあったが、あれは断じて私ではない。というより、あそこには一切書き込んではいない。)大量転載になるので止めておくが、要はクラシック愛好家の多くが「これほど芸術を破壊し冒涜するメーカーがあるだろうか。いやない。」と考えているということだ。私はこれに「購買者を愚弄する」も付け加えたい。今後どのように対応するのかが見物である。(もちろん回収→交換するのが筋だが・・・・)上記のように今回のスキャンダルは国内盤だけのようであるが、海外EMIにしたところで、上の「マゼールに続いて」にあるごとく、マゼール&BPOのブル8を再発する際に早回しして無理矢理1枚(初発盤は2枚組)に収めるという暴挙に出ていたことが年明け早々に発覚したばかりである。こういう腐った体質は国内外を問わないのかもしれない。
 よって本文に書いたことは撤回する。「驕るEMIは久しからず」、是非ともそうなって欲しいものだ。

2005年4月追記
 上記クレンペラースレのその後のやりとりを見た限り、ゴミレーベルは当盤の編集ミスと同じく、この件でも完全に頬被りを決め込む(交換はおろか謝罪広告すら出さない)らしい。これは全く私の予想した通りの展開であった。終わっとるで、ホンマ。
 話は変わって、最近隣町の図書館でHS-2088マスタリングによる「永遠のフルトヴェングラー大全集」シリーズの「運命」(TOCE-3722、2000年6月21日発売)を見つけたので借りて聞いたところ、ピッチが既所有のCDより低く聞こえたのでアレッと思った。そこで私が以前買ったブライトクランク盤(TOCE-3004、1995年8月30日発売)を取り出してみたところ、こちらの方が4つの楽章のトラックタイムがいずれも数秒短い。実は「歪みが2088倍凄まじい」盤の方がハ長調らしく聞こえ、ブラクラ盤は私が不快に感じる寸前の高いピッチに設定されていた(9番ハイティンク盤ページの追記参照)。これは私の嗜好の範疇なので措くとしても、両盤のマスタリングを担当したのはやっぱり「名盤破壊人」ことYoshio Okazaki であった。彼は自分が5年前のマスタリング時とは違うピッチに調整していることに気が付かなかったのだろうか? こういう耳の不自由な(が言いすぎだとしたら「音感の欠如した」に訂正する)技術者を抱えているレーベルには未来などあってはならないと思っているのは私だけだろうか? ちなみに、7番の「歪みが2088倍凄まじい」盤(TOCE-3724)はブラクラ盤(TOCE-6514)とトラックタイムがほとんど同じで、当然ながらピッチにも違いは感じなかった。ただし、90年10月26日発売の後者(フルトヴェングラー・ブライトクランクシリーズ)にはマスタリング担当者の名が記載されていない(上記5番と同時発売のTOCE-3006は未聴)。もしこれもOkazakiの仕業だったとしたら、マスタリング方針にまるで一貫性がないとして、さらに非難するところだが。
 このように悪行に悪行を重ねても全く反省の色一つ示そうとしない人類史上最低レーベルだが、近年の新たなる愚行については絶対に触れないわけにはいかない。いうまでもなくCCCD(コピーコントロールCD)のことである。この件に関しては既に某所に書き込んでいた。というのも、私が長いこと愛聴しているマドレデウスの新譜「無限の愛」(TOCP-67528)がCCCDとして発売されたことが、どうにも腹に据えかねていたからである。

 CDジャーナルでエッセイを連載している傳信幸氏(オーディオ評論家)
 が知人に聞いた話として紹介していたのですが、多くのレコード会社が
 悪名高きCCCDの採用を取りやめるようになった背景には
 iPodのような携帯オーディオの普及があり、パソコンで再生できない
 CDなどハナから相手にしない人が増えているためだということです。
 そして氏はこのように結んでいました。
 「そうかそうか、ざまあみろCCCD。」

この件に関しては、やはりCDJにて渡辺和彦が連載「音楽キリヌキ帖」で採り上げていた。「過ぎて改めるに憚ることなかれ 祝CCCD“撤退”」というタイトルのそのエッセイは、曽根麻矢子の新譜(エイベックス・クラシックス)がCCCDではなく、CDとSA-CDのハイブリッド盤として発売されたことを「何はともあれ、めでたい」と歓迎していた。「周知のようにCCCDやその亜種はこれまでもトラブル続出。そのことに対して生産・販売元は『悪質なデマ』または『都市伝説』のひとつとして対処していたフシがある」とのことだが、まったく酷い。渡辺は音楽雑誌の編集幹部のCDプレーヤがCCCDによって破壊されたという話を本人から聞かされたそうだが、このエピソードは上記の傳も紹介していたのであるから、十中八九事実である。(悪質なのはテメーらの方だろうが!)渡辺は、「既発売のCCCDをこっそり(または堂々と)通常CDまたはSA-CDに戻して出直してはどうか」とCCCDからの撤退を勧告していた(「でないと音楽ファンだけでなく、アーティストもかわいそうだ」は尤もである)が、エイベックスの方は曽根の例を見ても改悛の情が認められる。さて、もう一方の雄(?)はどうかといえば、これまでの購買者への対応からは「過ぎては改めるに憚ることなかれ」という正論が通じる相手とは到底思えない。まあ、四面楚歌になっても意固地に売り続けるんでしょうなぁ。ある意味で首尾一貫した会社だから。

2006年12月追記
 今月14日付のニュースによると、東芝が所有していた東芝EMIの株式を英EMIグループに完全売却し、音楽事業から撤退することを決めた模様である。これまで悪行の限りを尽くし無数の音楽愛好家(クラシックに限らない)に煮え湯を飲ませ続けてきた「東芝EMI」という名の会社がこれで消滅する。因果応報だから仕方あるまい。ただし英EMIが「東芝EMI」の商号を今後しばらくの間継続使用するというのは少々引っかかる。これでは亡霊みたいではないか。せめて最後ぐらいは潔く成仏させてやれよ。

4番のページ   カラヤンのページ