交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
80/09/21
Deutsche Grammophon 413 362-2

 8番75年盤のページでは「単純な図式で説明できない」と書いたけれども、大まかな傾向としては後の録音ほど「ギラギラ」の音色になっていったと言えるかもしれない。「ギラギラ」で思い出したが、私が大学1年の時、学食の麺類(ラーメン&うどん)が120円、カレーが150円で、大盛はそれぞれ70円、80円増しだった。(その後数年の間に急速に値上がりしてしまったが、既にその頃は混雑を嫌って弁当持参にしていた。)特にうどんは天かすが取り放題だったので、金の無い時には山盛りにしてカロリーを補強するとともに、腹持ちを良くして晩飯代を浮かせたりもした。ところがある日、調子に乗って天かすを乗せすぎたのが悪かったのか(油膜は数ミリの厚さに達していた)、それとも油が古かったのかは今となっては分からないが、食後に急にムラムラ、いやムカムカして気分が悪くなり、午後の授業の間ずっと胃がもたれたままだった。以後、天かすトッピングはキッパリと止めたが、あのまま続けていたら高脂血症になっていたかもしれない。
 戻って、75〜81年にまたがっているブルックナー全集であるが、後に録音されたものほど脂ぎっているという感じがする。水面に浮かんだ油が虹色に光っているような不健全な輝きで、「綺麗事」とはほど遠い。(このタンカーによる重油流出を思わせる音色は、86〜87年録音のブラームス全集で遂に完成したと私は考えている。)当盤は全集中では1&2番と並んで最も遅い時期(80年代初め)に録音されたためか「ギラギラ感」が相当強く、「重厚でメタリック」という「カラヤン・サウンド」の特徴が遺憾なく発揮されている。中でも第3楽章は、巨大なブルドーザーがアマゾンの密林を切り開くがごとく「立ちはだかるものは片っ端からなぎ倒す」といった迫力が凄まじい。

2006年5月追記
 先日発売されたばかりの「先崎 学の実況! 番外戦」(講談社文庫)を買ってきた。この将棋プロ棋士の書くエッセイはとても面白いので、私は新刊が出る度に逃さず購入している。その冒頭の「立ち食いそばアレコレ」にこんな話が出ていた。彼は(無給なので当然だが)金のない奨励会時代に(最低2杯食べるのが必要として、)「いかに安く満腹になるか」という命題の最適解を求めて工夫を重ね、ついに「天ぷらの回し食い」という必殺技を編み出す。1杯目に「天ぷらそば」を頼むが、天ぷらにはなるべく手をつけない。そして2杯目に注文するのは「かけそば」、その中に温存しておいた天ぷらを入れるのである。先崎は「かき揚げの油がつゆに染み、その油ののったつゆにひたったそばを食べるからおいしいのだ」と解説し、「要は天ぷらに金を払っているのではなく、油に金を払っているのである」として、「天ぷらの回し食い」作戦が理にかなっていると自画自賛していた。「油の効果を利用する」という点では「天かす山盛り」作戦と一緒だが、カロリー増強を狙った私のやり方がいわば力づくの荒技であるのに対し、彼のそれは質的(食味)向上を狙いとしているから、はるかに洗練された高等戦術であるのは間違いない。完敗である。(さらに、残り少なくなったつゆにお握りを入れ、卵を載せて「卵かけご飯」を作るという究極技法まで紹介していた。)もっとも彼の通っていた店が使い古しの油で揚げていたら、私と同じく胸焼けに苦しんでいたことだろう。

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