交響曲第7番ホ長調
上岡敏之指揮ヴッパータール交響楽団
07/09/08〜09
TDKコア TDK-MA302

 チェリビダッケ&BPOによるトータル86分超のこの曲のディスク(2枚組)を聴いた時、(あくまで時間的にではあるが)「これを超えるような演奏はおそらくこの世には存在しないだろう」と思った。7番以外でもチェリはブルックナーの複数交響曲にて最長演奏時間記録を保持している。少なくとも4&5および7〜9番はそうだろうと思っていた。(もちろん3番の初稿や9番の補筆完成版は別として。最近一部で話題になったマルテの39番にしても指揮者が独自に編んだ版による演奏である。そういえばモーツァルトの40番を68分、ベートーヴェンの9番を110分もかけて演奏し、許光俊が「犬」サイトの連載「言いたい放題」で「謎の指揮者」として紹介していたマクシミアンノ・コブラはブル9も録音していると伝えられ、Berky氏のサイトでも新譜情報ページに掲載されてはいるものの一向にリリースされる気配がない。結局どうなったんや?)ところが、ある日ホルスト・シュタインが5番で92分台というチェリ越えを達成しているとの情報を入手した。その時はどうせ何かの冗談か誤植の類だろうと思っていたのだが、本当だったので仰天した。そして、それはあらゆる意味で驚愕に値する演奏だった。
 そして今度はこの上岡による7番である。何と91分! しかも相手を務めたのは奇しくも先述の超「と」盤と同じヴッパータール響である。何なんだ? もしかすると、このオケは石さんとの5番演奏(2000年10月)によって常軌を逸したスローテンポにも全く違和感を覚えなくなった、否、もっと言えばノロい演奏しかできないような体質に変えられてしまったのかもしれない。げに恐ろしきはシュタインの呪い・・・・・・などというつまらん駄洒落まで浮んでしまった。それはともかく、リリース情報を得た時点ではスルーするつもりだった。(宇野のオッサンが「未来のシューリヒトとして、ぼくが最も期待する若手」などと持ち上げていると知ったら敬遠するのがまともなブルックナー愛好家の採るべき道といえよう。ちなみに前半2楽章を収めたDISC1のトータルタイムは62分19秒、既にこの時点で修理人のハーグ盤をオーバーしてしまっている。こんなんじゃ後継者扱いもへったくれもないだろうと文句も言いたくもなる。)急遽購入へと方針変更した理由は、いうまでもなく新記録を樹立した当盤の演奏時間、加えてTDKの粋な計らいによる低価格(2枚組にもかかわらず初回生産分のみ1枚分)設定である。(後に相応の値段に改められた。例えば「犬」通販ではオンライン会員特価が4000円弱、マルチバイ適用となっても約3300円である。)
 第1楽章冒頭は予想していた以上に遅い。(なお朝の通勤車中で再生を始め、職場に着くまでに同楽章が終わらなかったのは当盤が初めてである。)1分58秒でフライング・ホルンが聞こえるが、ブックレットや各種通販サイトに掲載されている上岡の談話(使用スコアについて)によると、ノヴァーク版には疑問を感じ、ハース版にも満足できなかった指揮者が作曲家の自筆譜および初演当時のスコアから取捨選択したらしい。どうやら「ブルックナーが望んだであろう繊細なこの曲本来の響きに近づきたい」との意図に基づいてのことらしいが、版に疎い私にとってはアダージョのクライマックスで三種の神器(打楽器)が鳴る/鳴らない以外は正直「どーでもいいですよー」レベルの話である。(なお当盤では派手に鳴っている。)むしろ「曲本来の響き」を実現するためには、そんな枝葉よりも基本テンポの設定の方がはるかに重要ではないかと思われてならない。
 それにしても遅いところはメチャクチャに(今にも止まってしまうと思わせるほどに)ノローい演奏である。ゴルフスイングのリプレーなどで用いられるスーパースロー映像を眺めているような気分になる。昼食を摂った直後から当盤試聴記に取りかかっていた私は眠気をこらえるのに精一杯だった。とはいえ、さほどではない箇所については結構聴き応えもあった。演奏時間がより近接しているはずのチェリ&BPO盤よりも彼の手兵であるミュンヘン・フィルとの各種演奏との方が受ける印象は似ているような気もする。ここで思うに、客演に招いた指揮者の亀足テンポを持て余し気味だったBPOとは異なり、MPOのメンバーは彼の芸風にもすっかり慣れっこになっていたはずである。それと同じく、シュタインとの共演時には崩壊まで経験させられたヴッパータール響にもある程度の免疫はできていたのであろう。しょっちゅう間延びはするけれども中身スカスカという感じまではしなかった。(以下は八つ当たり的余談:第1楽章のコーダ、つまり最後に長調に転じてから終わるまでに約2分かけているが、朝比奈&大フィルの75年盤の同区間はそれより10秒近く長い。トラックタイムは当盤よりも5分以上短いというのに! 既にあちらのページで指摘しておいたが、彼がいかに非常識なテンポを設定したかが判ろうというものだ。あの世紀の迷盤の敗因がオケの演奏力不足以上に指揮者の構造無視であることも言を待たない。)
 と、ここまで書いては見たもののアダージョはやっぱり死にそうなくらいに遅い。もはや亀が歩むというより蝸牛が這うような感じに近い。チェンジャー付き再生装置を使用するかリッピングによってディスク交換を回避しない限り、全曲を通しで聴くのは至難の業である。もし生を聴いていたとしたら・・・・周囲に迷惑客でもいなければ吉田秀和センセと同じ経験をした可能性は高い。当盤収録のコンサート、あるいは今年(2007年)10月の来日公演では聴衆の何割ぐらいが最後まで起きていられたのだろうか?
 イチャモンついでだが、上目遣いで微笑みつつソッポを向いている指揮者のジャケット写真も「何だかなぁ」である。まるで「こんな演奏だけどぜーんぶ石ちゃんのせいでボクは悪くないんだよーん」と知らぬ存ぜぬを決め込んでいるかのような表情に見えるのは私だけ? もしかしたら正攻法による名演を目指すことは諦め、最初からウケ狙いに走っていたのではないか、さらにキワモノ扱いでも構わないから注目を浴びたかったのではないかと勘ぐりたくもなる。あるいは「未来のチェリビダッケ」への布石かもしれん。(MPO常任の椅子を狙ってるとか?)とはいえ、同時発売されたチャイコフスキー「悲愴」の方は比較的まとも(トータル約48分半)のようだから、こういう芸風がブルックナー限定であるか否かについて見極める必要はあるだろう。果たして続編は出るのだろうか?

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