交響曲第9番ニ短調
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
77/09/28
PALEXA CD-0530

 PALEXAというのはカナダのレーベルらしい。当盤とベーム&チューリッヒ・トーンハレ管との8番をほぼ同時期にリリースしたが、その後何か注目盤を出したという話は聞かない。HMVのサイトでは発売前に「ヨッフム&BPOの9番では最も優れた演奏」という製作者のコメントが出ていたように思うが、今は見当たらない。購入者による「指揮者の棒に起因するアンサンブルの乱れ」に言及した辛口のコメントが出ていた。「わざわざ新品を購入するのは・・・・」と思っていた私は、ネットオークションにて上記ベーム盤とほぼ同時期に入手。
 このディスクについて特に書くことはあまりない。64年盤やSKD盤のページに書いたような気に食わない解釈がここでも聴かれるからだ。だから以後は雑談だけにする。
 ヨッフムはBPOとBRSOとの振り分けでブルックナーの全集録音を行ったが、そのDG旧全集のうち、BPOとの演奏では65年10月16〜19日に録音された1番が最後になる。カラヤンは翌66年に9番の録音を行っているが、まるでヨッフムにオケの調教をさせてから録音に臨んだかのようだ。言い換えれば「前座指揮者」扱いである。(バーンスタインのマーラー9番にも同じことが言われる。)一方、SKDとの新全集はカラヤンの全集と録音時期がモロに重なっている。DGとEMIというレーベル同志の張り合いの結果であるのかもしれないが、見かけ上は「ライバル関係」である。実のところ、カラヤンはヨッフムのことをどう思っていたのだろう?
 彼は人気指揮者のクライバーは絶対に呼ばなかったし、バーンスタインの最初で最後の客演時には周知のように大騒動になった。(妨害工作を行ったなどのスキャンダルにもなった。)一方、ジョージ・セルに一目置いていたことは「ライヴ・イン・東京」のブックレットから伺い知ることができるが、ヨッフムとの関係に言及した文章は見たことがない。ゆえに以後は推測の域を出ないのだが、当盤に収められた演奏のように、両者ともに全集録音が進行中だった時期ですらBPOに客演することができたということは、やはりカラヤンは地味でスター性のないヨッフムのことを自分を脅かす存在とは見ていなかったのではないかという気がする。

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