交響曲第9番ニ短調
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
82/08
Teldec WPCS-6049
 「クラシック名盤&裏名盤ガイド」で阿佐田達造が「刺激的ということでは、これが一番」と推していたので購入した。が、期待外れだった。同じ本のショスタコーヴィチ10番の項で、阿佐田はインバル盤を「と」盤(「トンデモ盤」の略)の1つに挙げているのだが、その理由が「オケが下手糞なんですよ、インバルさん(ここまで太字)。よたよたした管、締まらないリズム、音程のアブナイ弦と、まったくイイところなしで、鮮明な録音がこれに追い打ちをかけている。技NO賞(ここも太字)」というものであった。彼は当盤を聴いてもそのようなことはまったく感じなかったのだろうか? 聴後の私の第1印象は「音が汚いなあ」であったが、阿佐田が書いていることも概ね当てはまっているように思える。フランクフルト放送響の実力は北ドイツやバイエルンはもちろん、ケルンやザールブリュッケンの放送オーケストラよりも劣っているように私には聞こえる。(ただし指揮者の解釈には特に問題はない。少々速めであるがもちろん許容範囲である。) ということで、お目当てのフィナーレに辿り着く前に興醒めしてしまった。
 さて、そのフィナーレであるが何を書いたらいいだろう? (アイヒホルン盤執筆まで先送りしようか?) まあ、補筆に参加した面子が若干違っているので単純比較はできないが、やはり演奏時間がアイヒホルン盤の約2/3しかないインバル盤のテンポが相当に速いものであることは疑えない。348番初稿と同じく「世界初録音」が何よりの狙いだったインバルが、ここでも破綻だけは生じないようにと安全運転に終始した可能性はある。だからアイヒホルンのような思い入れが感じられないとしても、それは当然かもしれない。もっとも、私は両盤をジックリ聴き比べたことはないし、今後もそのつもりはないので、今は質的な違いには触れたくない。ただし、印象に残るようなフレーズは両盤ともちゃんと存在していることは確かである。なお、このフィナーレ補筆完成版であるが、部分部分は確かにブルックナーらしいのだが、全体を通して聴くと何かが違うのである。(マーラー10番の場合は「ちょっと違う」とは思うものの、それなりに聴けてしまう。)今のところ言えるのはこれだけだ。

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