交響曲第5番変ロ長調
エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団
87/10
Teldec 0927-41400-2

 インバルの初稿演奏についてはそれこそボロクソに書いたが、最初にまとめて買った3枚にはいずれも失望させられ、続く9番フィナーレ付きも期待外れだった。この時点で(あくまでブルックナーに関してであるが)「単なる新しもの好きのダメ指揮者」の烙印を押したため、それ以上ディスクを購入するつもりは全くなかった。ところがHMVのポイントが失効直前となった時に、間が悪いというべきかとくに購入したいディスクがなかったので、仕方なく安売りされていたULTIMAシリーズの5&6番、およびapexの7番を注文した。(魔が差したとしか言いようがないが、ついでに00&0番、1&2番も買ってしまった。)ところが、思いの外それらが良かったのである。ということで「ダメ指揮者」は撤回した。
 ここで「究極!クラシックのツボ」より、脇田真佐夫が執筆したインバルの項の一部を引いてみる。

 一つの作品に惚れ込むタイプの指揮者ではないから、
 超名演というのはなかなか生まれないが、
 作曲家の音楽のテクスチュアを聴かせる力は一流である。
 テクスチュアを読み解いて、それを音楽化することに専念し、
 それに成功すれば結果としていい演奏になる、
 という精神主義とは無縁のさめきったシニカルさが
 インバルのスタイルだ。
 おかげで、ブルックナーなどレントゲン写真を見ているようで、
 ブル・マニアには最悪の評価だった。

第二文の「テクスチュアを〜いい演奏になる」は、よく読めば「シニカルさ」のことだと判るが、下手をすれば直後の「精神主義」の説明と誤読されかねないので、正直なところ構成にやや難のある悪文だと思う。が、彼の分析自体は見事だ。私はインバルのブルックナーCDを発売直後に買っていたわけではないから、「最悪の評価」というのが具体的にどのようなものだったのかは知らない。(が、たぶん私が世界初録音の3489番に付けている難癖とは全く違っているだろう。)けれども、「レントゲン写真を見ているよう」は言い得て妙だと思う。
 確かにこの5番や6番は非常に見通し(聞通し?)のいい演奏である。パートバランスが良いだけでなく、9番のように音が濁るということもないので耳当たりが非常に良い。分離の良い録音の貢献だけでなく、アンサンブル自体も9番録音以降は緻密さが向上したのだろう。(ジックリ聴いていないが、初期交響曲もきっとそうなのだろう。)ただし、当盤でのインバルは、先の「一つの作品に惚れ込むタイプの指揮者ではない」という脇田の言葉にも示されているように、曲の特定部分に入れ込むというようなことはなく、あくまで淡々と進めていく(特に14分台の第2楽章は薄味)。トータル70分ちょっとという快速演奏である。このようなスタイルでは、既に旧東独の放送オーケストラと録音したレーグナー盤(68分台)やスウィトナー盤(69分台)が存在しており、それらの方が見通しの良さという点で上回っているため、当盤の存在意義(というよりは私が当盤を所有する意義)はあんまり感じられない。(2楽章に時間をかけるという点で異なっているが、他に優れた快速演奏としてはギーレン盤もある。)また先に述べたように、指揮者の曲に対する共感がサッパリ伝わってこないのだから、「あんた何でわざわざこの曲録音したのよん?」と訊きたくなってしまう。

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