交響曲第5番変ロ長調
ニコラウス・アーノンクール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
04/06/10〜14
RCA 82876 60749 2
(ブックレットには「June 7-14」とあるが、DISC2収録のリハーサルを含むと思われる。)

 今年(2006年)11月にアーノンクールがVPOと26年ぶりの来日公演(1980年の初来日以来2度目)を行うのを記念してネット通販がセールを開催した。うちHMVでは「約41〜48%オフ」ということで、この5番2枚組(ただし上にある通りDISC2はリハーサルを収録したボーナスCD)が1200円台で売られていた。発売前の予約価格は確か1580円だったと記憶しているが最終的に見送った品である(理由は9番評ページに既述)。が、将来ネットオークションで1000円で出品されているのを見つけたら魔が差して手を出してしまうかもしれない。落札でもしようものなら諸経費込みで1300円にはなる。それならばと思ってカートに入れた。ところが、いざ注文してみたら価格が1532円に跳ね上がっていたので慌ててキャンセル。元はそうではなかったはずなのに、いつの間にかマルチバイ(輸入盤を3点買うと25%引き)の対象になってしまっていたらしい。(あるいは知らぬ内にカートから出すなど当方がミスを犯したのだろうか? ちなみに執筆時点では「キャンペーン税込価格:¥1,451」および「マルチバイキャンペーン税込価格:¥1,210」となっている。)一方、「塔」では1324円だったが、「犬」に注文したものの「お取り寄せ中」のまま長いこと待たされていた品が100円以上安いことを知ったため、(「犬」への注文を取り消し→送料無料ラインをクリアするため2点まとめて)結局そちらから買うことにした。トータルでほんのちょっとだが得をしたことになる。何にせよ、これまでの経緯から明らかなように当盤には積極的に手を伸ばした訳では決してなかった。もちろん期待などしていなかった。実は以下の一節は入手前に執筆したものである。どうせロクでもない演奏だろうと思いつつ・・・・

 「クラシック名盤&裏名盤ガイド」にてモーツァルトの協奏交響曲の選定を行った馬場広信は、「大穴」にクレーメル&カシュカシュアン盤(1983)を挙げた。ただし「鉄壁デュオが気の毒になる残念賞」として。その理由は伴奏にあるようで、「何をやってもバロック音楽にしかできない指揮者が、戦後50年で最もヘタになったオケと組んだ結果、音のピッチがなくなってしまい、テクニシャンのソロふたりが音を取れずに苦しんでいる。少しは反省してほしい。」と酷評されていた。その後少しは反省したかといえば、ブルックナーの7番では全くその徴候が聞かれなかったけれども、9番では僅かながらではあるがその色を示しているような感じである。さらに5番はブルックナーの交響曲中で最も古風で構造がカチッとしている曲だけに、この指揮者が得意とする古楽奏法もこの曲に限って功を奏している可能性も完全には否定できない。(実はそれに頼らないことにはオリジナリティが出せないのかもしれないが・・・・この点に関して最近とても興味深い演奏を聴いた。黒田恭一が司会を務めるNHK-FM日曜朝の番組「二十世紀の名演奏」9月10日放送分で紹介されたカザルス&マールボロ音楽祭管弦楽団によるモーツァルトの交響曲第38〜41番である。ここで指揮者は別段奇を衒ったことはしていない。当時の一般的な演奏スタイルそのままである。周囲がどうだとか過去の巨匠がこうだったとか、そんなことはまるでお構いなしに、彼は自分の解釈を信じてひたすらに突き進んでいる。「何か違ったことをしてやろう」といったヤマっ気など微塵も感じられない。が、結果として比類なきユニークな演奏を実現してしまっている。これには感心した。もっともらしい講釈を垂れるだけで中身のまるで伴っていなかった「ハッタリ野郎」とは月とスッポンである。既に目次ページで叩いているが、要は新奇さを追い求めるのみでは結局何の実も結ばないということだ。少しは反省してほしい。)

 最初に演奏以外の部分にケチを付ける。まず特殊ケースへの収納。ハイティンク&RCOによる8番2005年盤と同じく、割れたりヒビが入ったりした場合に交換が利かない。それはまあ仕方がないが、ジャケット写真は大いに気に食わない。例の深刻ぶった表情、しかもカメラに正対することなく少しうつむき加減で斜めから撮らせている。ロシア文学好きの方ならピンと来ただろう。新潮文庫のドストエフスキー作品のカヴァーに共通して採用されているイラスト(花輪晴夫作)と同じ構図である。(さすがにパクリではないだろうが。)わざわざ「自分は常に物事を深く考える人間なんだ」とアピールしたいのか? こういうのを見たら私に限らず「虚仮威しの極致」とでも言いたくなってくるだろう。イニシャル(N・H)を捩ったロゴマークだってそうだ。「肝心の芸で勝負せんかい!」と苛立ってしまった。
 ところが、いざ聴いてみたらビックリ仰天。冒頭から正攻法で挑んでいるではないか。第1楽章冒頭のテンポに比して「ミソドー」が少々速すぎるような気がするが許容範囲。1分40秒からのティンパニ乱打も大真面目で、決して「チンドン屋」にはなっていない。ここに限らず、打楽器と金管が活躍する場面では騒々しさを感じなくもなかったが、5番ではこのぐらい無骨であっても構わない。あまりに真っ当すぎて拍子抜けである。ここは無事クリアできたが、問題は第2楽章である。「犬」サイトのユーザーレビューに「第2楽章は古楽風に聞こえました」「ピリオド奏法は健在で、特に第2楽章に目立っています」とあったから。「アイデア倒れ」ならまだしも「全てがぶち壊し」に終わっていなければいいが。
 ところがところが、またしても裏切られた。いい意味で。1分02秒の弾かせ方は普通だが、1分48秒からの第2主題提示には誰だって耳を奪われるだろう。ノン・ヴィヴラート奏法によるザラザラした音色。全然美しくない。が、(彼の目論み通りなのか偶然なのかは不明だが)ここでは見事なまでにハマっている。何せブルックナーが俗世間に絶縁状を叩きつけたような曲だから、これくらい無愛想でも全然悪くない。DISC2収録の入念なリハーサルを聴けば、指揮者がここを最重点箇所と位置づけていたことが窺える。(とはいえ、ボーナス扱いながら(もちろん価格に上乗せなら大激怒していた)こういった練習風景までも購入者に聞かせようとするのは、やはり「オレはこれだけ深く考えてるんだぜ」などと世間にアピールしたくて仕方がないという自己顕示欲のなせる業だと思われてならない。カラヤンやヴァントが生きていたら「こんな不完全なものをわざわざ外に出すとは」とせせら笑っていたような気がする。)以前私はヘレヴェッヘの4&7番ページにて、アーノンクールによる「醜い音」についての見解に対して異を唱えたが、要はTPOさえ弁えてくれていたら文句はないのである。不良からの更正プログラムを順調に消化したとみえ、ようやく彼もそこにも思いが至るようになったのだろう。喜ばしい限りだ。(ただし直前の間を取りすぎなのは、いかにも「聴き手を驚かせてやろう」という魂胆がミエミエでいただけない。これは長年患っている持病みたいなものだから、1日も早い完治を願ってやまない。ちなみに、このあざとい演出については某掲示板でも来日公演でこの曲を聴いたと思しき投稿者から批判されていた。)
 なお、この楽章は通常の「ソードーレミーソードー」でなく「ソードーレミーーーーーーーーソーソー」で終わっている。なお、「犬」の紹介文に「作曲者の手稿譜や最新の校訂版などを精密に研究・咀嚼した」とあるが、使用楽譜については英文解説中の "Note on the score" という項でも少し言及されている。(あるいは国内盤ブックレットではさらに詳細にコメントされているのかもしれないが・・・・)ただし、先の締め方(closing bars of the Adagio)に関する「ノヴァーク自身がこの改変を1989年版に組み入れたにもかかわらず、指揮者達からは現在に至るまでほとんど注意を払われていない」という記載はいただけない。執筆者は改訂版の全部あるいは一部を採用したクナッパーツブッシュやマタチッチなどの5番演奏を聴いていなかったのだろうか? また「アーノンクールは交響曲録音に際し、これら改訂の全てを尊重したおそらく最初の指揮者」とあるが、他に耳に留まったところはなかったので私は「どーでーもいいですよー」(ドードードドレミドレー)と歌いたい気分だ。
 残りの楽章も特に気に触る所はなかった。というより終楽章の主題提示部にて例のゴリゴリで迫ってくるなど、弦の奏法を上手に使い分けることで迫力と流麗さとを両立させているのに感心した。そういえば過去に聴いたトータル70分台前半の演奏では、あまりにアッサリ味で物足りなさを覚えることが少なくなかったように思うが、当盤はラッパや打楽器の野蛮な音をも(あくまで要所で)使っているお陰で密度が濃いという印象を受ける。ここでふと思ったのだが、もしかすると合奏力が無惨なまでに低下してしまったVPOゆえ、ありきたりの演奏法で他団体と渡り合うのはもはや不可能と判断したため、指揮者は一種のショック療法を施したのかもしれない。敢えて荒々しく響かせようとしたのもその顕れであろう。兎にも角にも満足のいく出来映えであった。
 これで3番以降で残されたのは唯一6番になったが、流れ的にはやはりVPOと録音することになるのだろう。正規盤としてはシュタイン盤(1972年)以来ということになるはずだ。それは別にどうでもいいが、単に真面目にやるだけでは「立派だけれど退屈極まりない」という結果に終わってしまう恐れのある曲だけに、お得意の「ハッタリ殺法」を当盤以上に駆使して是非ともオモロイ演奏に仕上げてもらいたいものだ。少しぐらい不良に戻っても構わないから。

2006年11月22日追記
 今日の朝日新聞朝刊(都市部だと前日の夕刊か?)にアーノンクールの記事が掲載された。来日公演で採り上げたモーツァルトの「レクイエム」を今後10年間演奏しないと宣言したそうだ。それはどうでもいいが、ブルックナーの交響曲も5年封印するというのは少々気に懸かるところである。それは今回振った5番だけを指しているのか、それとも全ての 交響曲のことなのか? 後者なら6番は当分録音しないと間接的に表明していることになるが・・・・(だとしたらの話だが、やはり退屈な曲なので気が進まないのか、あるいは不人気曲ゆえレーベルが渋っているのか?)

5番のページ   アーノンクールのページ