交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ニコラウス・アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
97/04
elatus 2564-60129-2

 3番の酷い演奏に懲りていたのであるが、何かの弾みで当盤をhmv.co.jpから買ってしまった。Elatusの廉価再発盤(1000円ちょっと)だったので、ハズレでもダメージはまあ小さいだろうと高をくくっていたこともある。(とはいえ、ブックレット表紙に初発盤のような「こけおどし」写真が使われていたら、嫌悪感を催して絶対買わなかったはずである。)ところが、指揮者もあの大失敗(←勝手に決めつけんなよ)によほど懲りたのか、当盤では奇を衒ったところが影を潜め、なかなかに立派な演奏を聴かせてくれている。
 ところがところが、「クラシック名盤ほめ殺し」の著者は、この演奏について「スコアの読みがまだまだ浅いなという気がしたもんだ」と悪魔に語らせているから訳が解らない。何でもアーノンクールがバロック以外のレパートリーを指揮する場合には曲のアラ探し的な意地悪さに満ちており、それが演奏に爽快感をもたらしているようなところがあったが、当盤ではその傾向があまりにも強すぎると感じられたらしい。「まだまだ浅い」と言い放つなど、アーノンクールおよびドホナーニの3番に対する批評同様、ここでも「何様のつもりや!」と噛み付きたいところであるが、何にしても「この曲を細密に舐め尽くし」などとして推薦していた3番録音(94年12月)以降、指揮者が退歩したとでも鈴木は考えていたのだろうか?(前段落で述べた通り、私には明らかな進歩と感じられたのであるが・・・・これも「何様」だな。)ま、こんな揚げ足取りばっかりやってたらいつまで経っても先に進めないので、そろそろディスク評に戻ることにする。
 第1楽章1分41秒からのフォルティッシモは響きが溶け合っていないため汚いと感じてしまう。が、3番のようにそれ以前を聞こえるか聞こえないかの弱音で始め、突如大きくするというあざとい手法は採用していないため腹は立たない。というより、聴いている内にだんだんと面白くなってくる。どちらかといえば流れるような演奏が多いこの楽章において、刺激的というか尖っている感じの音色は相当に斬新だ。新鮮でパリッとしたキャベツの葉を切れ味の良い包丁でザクッザクッと千切りにする光景が目に浮かんでしまった。テンポ設定におかしなところはないし、主旋律と対旋律のバランスも取れている。コーダの響きも冒頭と同様に美しくないが「やりたきゃどうぞ」と許せてしまう。ただし「ソードードソー」のリズムが乱れているのは残念。(ひとえに17分25秒のフライング・ティンパニのせい。)第2楽章も「ドイツの深い森」というイメージとは無縁のスッキリした演奏で、前楽章のスタイルを踏襲している。6分23秒〜や11分台では弦の刻みが耳に付くが、この人は真っ当に進めている内にいつしか自己主張したくなって我慢ができなくなる体質なのだろう。3番同様この曲でも騒がしさを追求する彼の芸風はスケルツォと相性バッチシである。終楽章は冒頭からいろいろやってくれている。1分過ぎからチャチャ、いや合いの手を入れるホルン、2分過ぎの金管など否応なく耳に飛び込んでくる。とはいえ、ここでも音量差によるハッタリに頼っていないのは評価できる。さすがに8分39秒からの「レッミッファッミッレッミー」という弦のザク切りや10分40秒からの茶々入れホルンには、いくら何でもやり過ぎではないかと文句を言いたくもなる。が、「天の邪鬼」指揮者には何を言っても無駄だろう(諦め口調)。この楽章に私が求めている神秘性は完全に消し飛んでしまっているが、アーノンクールは最初からそんなものは求めていない、あるいは認めていないのであろう。ティンパニの打撃が加わらないアッサリした締め方がそれを象徴しているように思う。

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