交響曲第9番ニ短調
ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
81/11/12
PHILIPS 32CD-121

 ハイティンクの9番初期盤(目次ページで触れたように、FM-fun誌によるクラシック特集で紹介されていた)のブックレット表紙のデザインは、私の記憶に間違いがなければ色違いの長方形を何枚か組み合わせた抽象画だった。(最近ネット上でもその図柄を偶然見かけたが、やはり3枚の長方形が重なっていた。)ところが、私が注文・入手したCDではえんじ色(今は「ワイン・レッド」とした方が通じやすいか?)のシャツを着た指揮者の写真になっていた。(おそらく同じ日に撮影されたであろう写真が8番のジャケットにも使われている。)このハイティンクの着こなしにイチャモンを付けた(端的に「ファッションのセンスがない」と書いていたように記憶している)文章をどこかで読んだことがあるが、何だったか忘れてしまった。近年では許光俊が「クラシックCD名盤バトル」中で「(ソリストのシフとともに)ここに写っているふたりの服装がまったくかっこよくないのは誰もが認めざるをえないだろう」と書いていたのが記憶に新しい。さらに許はハイティンクの顔にまで文句を付ける。「どう見ても悪徳企業人か悪徳官僚のような顔」なので嫌いなのだそうだ。さらに「・・・・顔のくせに、突然柔らかい音を出して驚かせたりする」と続けているが、「肉体表現」(ヘレヴェッヘ盤のページ参照)と同じく、指揮者の顔と音楽性にも相関があるとでも言いたいのだろうか? もっと詳しく聞きたいものだ。ちなみに、私は他人の服装についてとやかく言う資格は全くないと思っているので、それについてはノーコメント。顔については同意できない。まあ何にせよ、この指揮者の顔や服装からはスター指揮者になりえる要素が感じられないのは確かだろうとは私も思っている。
 さて、そういう訳で少々ダサイ(死語?)指揮者のCDを聴いた私だが、中に入っていた曲がこんなに凄いものだとは思ってもみなかった。(今後作成予定の「私のクラシック遍歴」に書くことになろうが、)私が生まれて初めて「これは凄い」と心底から感動したクラシック音楽はマーラーの9番第4楽章冒頭である。「これまで聴いてきた音楽とはまるで違う」と思ったこともよく憶えている。しかし、その後ブルックナーの9番を聴いた時には「これはとんでもないものを聴いてしまった」と戦慄を覚えた。(マーラーをはるかに超えているとも思った。)それゆえ、9番目次ページにあるような妄想話を脳内で執筆し、何年も保管し続けることになったのである。もし私が最初に聴いたブル9が当盤でなかったらどうなっていたか・・・・もちろん知る術はないが。
 当盤を聴いたことのある人にはお判りのことと思うが、この演奏の聞き物は何といっても第1楽章コーダのティンパニである。某掲示板でもそれに対する「萌え〜」(←これじゃ「某」にする意味全くなし)というコメントを見た。通常のトレモロ用の他に、特別に用意された1台が金管のリズムに合わせて「ダダーン・ダダーン・ダダーン・ダダーン」と強烈な打撃を喰らわすのである。私があれを聴いて巨人な足音、あるいは神の踊りをイメージしたのは当然だと思う。後にNHK-FMでカラヤン盤やシューリヒト盤を聴いて物足りなさを覚えたのも、ひとえにあの「ダダーン」がなかったせいである。それにしても、あれはどこから来たのであろうか?(金子建志が何も述べていないのは大いに不満だ。)改訂版由来かと思ったが、それを使用したクナッパーツブッシュ盤では確かにティンパニが変な鳴り方をするものの、エキストラの1台を加えたりはしていない。なお、旧録音でのハイティンクは普通にやっているとのこと。ますます謎だ。(もしかして神の啓示か?)ところが、CDジャーナルに以前連載されていた「徹底聴きまくりシリーズ」のブル9の回で、平林直哉は当盤のティンパニ付加には触れながらも「さほど効果的とは思えない」と評していた。信じられない! 「クラシック、マジでやばい話」の第1章「盤鬼平林は怒る!」など、彼の文章にはディスク購入に際して非常に参考になったものも少なくないが、あのコメントにはさすがに目を疑った。(平林については最近非常に立腹した件があるので末尾に書く。)
 さて、もはや音楽評論家による人気投票などではほとんど忘れられた存在であるが、当盤を高く評価している一般人は少なくないようである。その内の1人(ACOやSKDおよびそれらに関わった指揮者についての非常に充実したサイトのオーナー)は、スクロヴァチェフスキやヨッフム(78年SKD盤)の録音も面白いには面白いが、(曲の深遠さを味わうのに必要な自然体の演奏であるという点で)自分の理想に最も近いのは当盤であると書いていた。ところが、彼は別のページにて「分厚い響きを作りだしていき、巨大なクライマックスに聴き手を導く様」を例に挙げてヨッフムの64年BPO盤とよく似ていると述べている。これには思わず「エエッ!」(←ビビる大木口調)と叫びそうになった。ともにACOの常任指揮者の地位に就いてはいたけれども、ハイティンクはヨッフムの悪い点は学ばなかった。そのように私は考えていたからである。この9番を例に挙げると、ハイティンクは無茶なテンポの動かし方をしていないし、もちろん「ビッグバン」直前でポーズを置くという愚行は犯していない。けれども、私は当盤を改めて聴いて彼の主張にも一理あると思った。その点も含め、当盤の演奏へのコメントに(ようやく)移ることにする。
 第1楽章1分過ぎのファンファーレ以降、冒頭よりも少しテンポを落とす。そして1分59秒から少し速くなる。ただし、ヨッフムのように、そして私が嫌うように「インフレーション」から少しずつ加速したりはしない。逆に2分45秒から少し落として「ビッグバン」に突入する。(ヴァントのように厳格なテンポで歩を進めるのとは全く違うスタイルである。)同年録音の8番もそうなのだが、ここでのハイティンクは後のVPOとの録音のように「全てオケに語らせる」ようなことはしておらず、必要と感じたところではかなり大胆にテンポをいじっている。この点では確かにヨッフム&BPO盤に近い。(64年盤でのヨッフムは、後の78年盤ほどあざとい演奏はしていない。)けれども、ハイティンクの優れたバランス感覚によって「やりすぎ」「わざとらしい」の手前でしっかり踏み留まっているのである。とにかく、恣意的な演奏であるにもかかわらず、一聴したところでは「自然体」と聞こえてしまう(微聴的?な聴き方をしない限り指揮者の作為が感じられない)というのは大変なことである。当然ながら指揮者の工夫が欠かせない。(7番ではそういう工夫が感じ取れなかったのだが、曲が曲だけに必要なしと指揮者は思ったのかもしれない。)それに加えて私が感嘆したのはオケの響きである。本当によく、美しく鳴っている。ヴァントのNRD93年盤、さらにはMPO盤を聴いた後では、この演奏も「生ぬるい」と聞こえ、しばらく遠ざかっていたのだが、実はテンポの揺れと明るい音色のために「ぬるい」と感じていただけであると後に判った。アンサンブルの精度も非常に高い。(VPOとの345番には今でも「ぬるい」と感じるところが少なくない。)
 2楽章はチェリの81年盤と並んでトップクラスである。程良い残響の効果もあって、ここでも「ダダダッダッダッダッダ・ダダダッダッダッダッダ」のティンパニが迫力満点だし、直後の「チャッチャッチャッチャッチャッチャ」が寸詰まりというか窮屈でないのがいい。(ヴァントはその点で劣る。)終楽章は第1楽章とは異なりインテンポで進む。そのためオケの美しい響きに身を任せることができる。ただし、当盤のエンディングには全てが無に帰るような静けさはあっても、ヴァントやチェリの一部のディスクから感じられた(作曲者が、あるいは指揮者が天に昇っていくような)神々しさは入っていないため、総合評価ではベスト3(いずれもMPO)に及ばなかった。が、これはやむを得まい。何しろ当盤を録音した時のハイティンクはまだ50代前半だったのだから。もちろんブルックナーの全交響曲に当てはまることなのだが、特にこの曲についてはハイティンクが枯れ切ってしまう前に正規録音を残してもらいたいと切に願っている。


追記(暴走必至)
 予告したように平林直哉について書く。2004年6月に発売された "Great Conductors of the 20th Century" シリーズのフルトヴェングラー盤(ベートーヴェンの交響曲359番を収録した2枚組)の「英雄」(53年9月4日)に関するネット掲示板上での騒動について。フルトヴェングラーのファンサイトとして、おそらくわが国では質量ともに最高ランクに位置づけられるであろうS氏のサイトは私もしばしば閲覧しているが、そこの会議室(掲示板)には件のディスクの発売直後から新音源の「英雄」を絶賛する投稿が立て続けに寄せられていた。

 「エロイカを聴きました。これは大名演です!」
 「エロイカは新発見で本当に嬉しいです。ゆったりとした演奏で、
  けれども緊張が途切れることはなく、素晴らしい演奏と感銘を受けました。」
 「エロイカは直前のルツェルンを上回る名演だと思います。」

ちなみに、3つ目は管理者S氏によるものである。ところがところが、である。その3日後に「平林直哉」による「1953年の初出『英雄』、その低すぎるピッチ」と題する投稿があった。丸ごと転載は自粛するが、「感激していらっしゃる方が多いので、水をさすようで申し訳がないのですが、」で始まるその投稿は、「新発見の『英雄』はピッチが低すぎて聴くに耐えない、同曲の他のディスクと比較しても突出して低い、正しいピッチで復刻されていないため演奏の本質が捉えにくい」という内容であった。(なぜか終わりが「違うというとは」と尻切れになっている。)その後、それに対する反論が相次いでなされた。

 「今回のEMI新盤のピッチにはそれほど違和感を感じませんでした。」
 「いづれの場合にもピッチの差は感じられませんでした(4楽章とも)。」
 「第1・4楽章冒頭を聴く限り、私の耳には他盤とのピッチの差は感じませ
  んでしたが・・・。」

さらには、平林に直接質問を投げかけた人もあった。

 「平林直哉様。ピッチが低すぎて聴くに堪えないと評価される根拠をご提示頂け
  ると幸甚です。
 (後で気が付いたのだが、この投稿者が「同名の方が製作販売されたウラニアの
  エロイカのCD−Rを購入所有しており」と続けているのは明らかに皮肉である。)

が、結局それに対する回答はなかった。一部に「聴くに耐えない」に同調する意見もあるにはあったが、その理由は「ベートーヴェンのあの必然性のある次の音(つまり曲の方から音楽が迫ってくる)が送れて出てくるので常に待つこととなり」(←誤字もあるし、「必然性のある次の音(つまり曲の方から音楽が迫ってくる)」は何が何やらさっぱりわからん)で、「ピッチの低さ」ではなかった。また、管理者S氏も他盤との聴き比べを行い、「・・・・『若干』低いという感じだった。もちろん初めてこの演奏を聞いた時に大きく『ピッチ』がずれているとは感じなかった」という結果をサイト内で報告している。なお、彼は「異常に低いピッチの部分があるのかもしれない」と一応は平林をフォローしつつ、「ぜひ、この盤の問題点をさらに御教授願いたい」と間接的に要望を出していたが、その後何らかの情報がもたらされた形跡はない。
 さて、私は通販に同時注文した品が入荷するまで待たされたので、この「英雄」は8月になってようやく聴いた。「ピッチが低すぎる」というからには古楽器オケによるブリュッヘン盤やノリントン盤ぐらい低いのかと思っていたが、実際には全くそんなことはなかった。私が所持しているフルトヴェングラーの「英雄」全てを取り出して聴いてみたのだが、当盤が「突出して低い」という事実は確認できなかった。少なくとも、ピッチが最も低いとされる50年6月20日盤(Tahra)よりは高いと私の耳には聞こえた。(第2楽章のハ長調の部分を聴いて確信した。)他の指揮者のディスクとも比較したが、さすがにカラヤン盤(63年)やヴァント盤(85年)よりは低いと思ったものの、トスカニーニ盤(NBC響53年)やワルター盤2種(シンフォニー・オブ・ジ・エア&コロンビア響)とは「有意差なし」であった。よって、私には平林発言が「言いがかり」としか思えなかった。なお、今回の聴き比べで「突出して高い」と感じたのはバーンスタイン&VPO盤であった。後述するように、私は変ホ長調のこの曲は少々のピッチの高低は気にならないのだが、さすがにあそこまで高いと違和感がある。(ちなみに、私はある程度の絶対音感は持っていると思う。クラシックを聴き始めて間もない時期に入手したバーンスタイン&NYPによる「巨人」冒頭のA音が私の基本ピッチになっており、そこから音階を組み立てるのが常になっている。ご存知のように、USAやUKのオケはヨーロッパ大陸のオケよりも一般的にピッチが低い。そのせいか、調によってはBPOやVPOなどの演奏に違和感を覚えることもある。比較的最初期に買ったカラヤン&BPOによる「ボレロ」を聴いた時、私は自分の耳がおかしくなったのではないかと思った、ということはなかったが、半音とはいかないまでも、自分の脳内でチューニングするハ長調よりかなり高く感じられたピッチは不快であった。BPOのドイツ的な重い響きが気に入らなかったこともあるが、それ以上にピッチに対する違和感がディスクをすぐ手放してしまった原因である。なお、ピッチが気になるのは何といってもハ長調、そしてニ長調である。上記「ハ長調の」云々はそのためである。次にト長調、ヘ長調あたりが来るが、変○長調や嬰○長調になると比較的大丈夫である。短調ではピッチが気になったという記憶はない。)
 ということで、主観的にも(=実際に聴いて確かめても)客観的にも(=彼に同調する意見なし)平林の「低すぎるピッチ」には根拠がないという結論に至った。彼があくまで「自分の耳には低く聞こえる」と言い張るのならそれでも構わない。(そして、そのせいであの名演を愉しめない彼をつくづく哀れに思う。)しかし、公の場での言いっ放し(その後の疑問や質問を黙殺したこと)については弁解の余地はない。ちなみに、平林発言に対する疑問は某巨大掲示板でも提出されていたが、中には「既存盤のピッチに難癖つけて自分のセレナードで出し直して儲けようとするのは香具師の常套手段」「既出盤の焼き直し盤が、世界初出盤の人気の影に隠れてしまうのを恐れて狂言を吹いたのだとしか思えない」というように、LPからの復刻CD(いわゆる「板起こし」)を自ら製造&販売している彼の「商魂逞しさ」を揶揄&嘲笑するような書き込みもあった。もちろん、これらを「事実無根の低劣な中傷」として片付けてしまうのは簡単である。が、彼がS氏の掲示板に書いたことも結果的には同じになってしまっている。自分の発言(によって生じた波紋)の責任を取らなかったのだから。これでは私が、そして私以外の誰かが「投稿の目的は他ならぬ購買者の感動に水を差すことにあったのだ」と考えたとしても文句は言えまい。もしかしたら、彼はS氏の掲示板への投稿も某巨大掲示板へのそれと同じく「便所の落書き」程度にしか思っていないのかもしれない。何にしても、これだけは言わせてもらう。

 あなたの耳は常人より優れているかもしれないが、
 やっていることは音楽を生業とする人間として最低だ。
 恥を知りなさい!

追記の追記
 「クラシック、マジでやばい話」の出版元である青弓社のサイトには、上記「盤鬼平林は怒る!」に関する読者からの質問が載っている。その中で、クライバー&VPOによるベートーヴェン第5&7番(DG)のOIBPマスタリングによる再発盤が従来盤よりも音が悪くなっているという平林の意見に対して異論が出されていた。(投稿者の仲間全員が「Originalsのほうが鮮度、肉付け、全体の印象がいい」と言ったということだ。)以下は平林の回答の一部。

 人の好みはそれぞれです。
 十人十色、それぞれがはっきりと主張し合えば、それでいいと思います。
 確信さえあれば、曖昧な言い方をしないほうが、私はいいと思います。
 そのほうが議論しやすいですし。

確かにそうだ。音質については。だが、ピッチというものは測定器を用いて客観的な数値として把握できるものであるから、「人それぞれ」では済まされない。件の掲示板ではあれだけの疑問が出されたのだから、そして「そのほうが議論しやすい」と書いているのだから、再登場して反論なさったらどうか?

追記の追記の追記
 「クラシックの聴き方が変わる本」を読んでいたところ、平林の担当した「音楽家夭折伝説」という文章が改めて目に留まった。リパッティによるショパンのピアノ協奏曲第1番と思われていた演奏が実はチェルニー・ステファンスカのものと判明した途端に評論家の絶賛の嵐がピタッと止んだことに対し、彼はこう書いている。

  ニセモノのリパッティを褒めた評論家の中で、以後この演奏に見向きも
 しない人はたくさんいる。そういった連中がファンから非難を浴びたとい
 う話は聞いたことがない。評論家も評論家だが、こういうときにこそファ
 ンは該当者をバッシングすべきではないだろうか。 何? 最初から信用
 していないって? そうだろうな、その気持ちわかる。

平林がこれを執筆した時には、インターネットはここまで繁栄していなかった。今や愛好家はネット掲示板や自分たちのサイトで、信用していようがしていまいが評論家に容赦なく批判を浴びせるようになった。彼も自分が望んだような世の中になってさぞ満足していることだろう。

追記の追記の追記の追記
 巨匠亭家元(浅岡弘和)が自身のサイトの掲示板への11月7日付の投稿で、このピッチ問題における平林の行動を厳しく批判していた。私のようにダラダラと続けたりせず、「(前略)>私はちょっと聴くに耐えません。と書き込んだくせにそんな筈はないと反論されるとシロウト相手にひと言も言い返せずに逃げちったといえよう(笑)」と一刀両断に斬っているのは流石である。なお、「頭も悪そうだし、耳の方もサクラ管のコンマスをやってた方だからいいわけないです(笑)」については、同オケの演奏を聴いていない私は態度保留とする。

2005年5月23日追記(これを最後にするつもり、であるが・・・・)
 浅岡は自身のサイトにてこのようなことを書いている。

  ある偉人の人間、生活、当時の社会状況を分析し幾つかのタイプに還元
 し分類整理しただけで彼を理解したと思い込む程危険な事はない。作品と
 人間を切り離して天才の生涯を語ろうとすると、どうしても彼等の人間的
 弱さや異常性ばかりに眼が行き、こんな下らぬ男が偶然だか訳の解からぬ
 奇蹟により何やら偉大な事を成し遂げてしまったというような「客観的」
 伝記が出来上がってしまうのが常である。下男の目に英雄無く、学者の目
 に天才無し。

これが「究極! クラシックのツボ」にてブルックナーの稿を担当した平林の主張と真っ向から対立するものであることに気が付いた。(手放してしまったので手元にないが、平林は作曲家の珍妙なエピソードをいくつか紹介した後で、「こんな変人・奇人が宇宙を思わせるような神秘的な音楽を書いたということ自体が最大の謎なのかもしれない」などと書いていたはずだ。)トコトン嫌っている相手への当てつけのつもりで書いたのではないかと思わせるほどだ。実際には浅岡の文章の方が先なのだが・・・・(2006年2月追記:不倶戴天の敵について浅岡が「やたら鼻息が荒い体育会系の評論家」「平気で事実を捏造する評論家」と自身サイトのBBS「巨匠亭」に書いているのを発見した。このうち後者については少なくとも本ページで扱った件が該当しているし、前者もHMV通販で使われている「百ヴァカ」氏の顔写真が確かにそれっぽいので思わず笑ってしまった。)

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