交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
ベルナルト・ハイティンク指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
85/02/20〜21
PHILIPS 32CD-411

 「レコード芸術」編の「名曲名盤300」ではただ1人になってもハイティンク盤に点を入れ続ける男の中の男(?)、それが小石忠男である。彼は98年版でも当盤を推しているが、その短評は「何の変哲もない解釈」で始まっている。それはハイティンクのあらゆる演奏に当てはまるが、好き嫌いの分かれるところである。「指揮者は何(の工夫)もしていない」と否定的に捉える人は捉えるであろう。私も曲によってはそう感じることがある。
 さて、やはり「名曲名盤300」(93年版)で「指揮者には失礼かもしれないが、何よりも感心するのはウィーン・フィルの音である」としてベーム盤とともに当盤を挙げた浅里公三は、「ベームの方が全体に表情がまろやかで、素朴な美しさや音の暖かみが感じられる」と述べたが、私には彼の言葉がむしろハイティンク盤を指しているように思えてならない。単に録音のせいかもしれないが・・・・・(私が所有しているベーム盤は"DECCA Legend" シリーズで、かなり硬質の音である。)その後の「ベームはオケと一緒に音楽するのに対して、ハイティンクは統率しようとする意志が感じられるのだ」にも疑問あり。指揮者の存在を強く感じるのは明らかにベーム盤である。(以前から私はこの評論家は全く信用していない。)
 ということで、当盤は柔らかい音質も貢献し、何よりも「暖かさ」が持ち味となっている。けれども、(第4では2枚目に購入した)ヴァント盤を聞いてからは縦の線が揃っていない、つまりアンサンブルの精度が低いと感じられ、「生ぬるさ」が気になって聴く気がしなかった。当時は許光俊が「クラシックの聴き方が変わる本」や「クラシックを聴け!」でVPOの演奏力の低下を嘆いていたが、それに影響されていたことも否定できないが・・・・・(チクルス中止もそのためではないかと思い、一時期はオケの不甲斐なさを恨んでいたこともあった。)その後入手したベーム盤と比較してもやはり粗く聞こえる。先の小石の短評は「すべてが自然」という言葉も使われていたであるが、名門オケの衰え(盛者必衰)をそのまま聴かせてしまうのも「自然」といえばそれまでか。また、当盤の「ブルックナー開始」の音が異常に小さい(相当にボリュームを上げないと聞こえない)のも、今更言っても仕方がないが気に喰わない。(これは指揮者のせいばかりではないが・・・・)ヴァント&BPO盤の解説を執筆していた宇野功芳が、「ごみが飛んでいるような、ほとんど聴こえない最弱音によって、音楽をスポイルしている指揮者のなんと多いことか」とまで述べていたが、これには全く同感である。たまにはいいこと言うんだ、この人。(ヴァントのブルックナー開始はどれもパワフルで、私は大好きである。)以下はどうでもいい話である。
 浅岡弘和は、第1楽章の第1主題部分の境(42・43小節)でB音で鳴らされるホルンの2音「パパー」について、「ブルックナー・リズムを導き出す信号ラッパの役割があるのでもっと強調されることが望ましい」と書いていた。そもそも第1主題がもっと後に出てくると思い込んでいた無知な私は、その真の第1主題部分が二つの部分から成り立っているという「この曲の大きな特徴の一つ」について考えたことすらなかった。そういうこともあってか、ヴァント盤を初めて聴いた時には件の「パパー」の所で「なんじゃこりゃ」と心中でつぶやいた。えらく間の抜けた音に聞こえたのである。ハイティンクはここを非常に控え目に吹かせている。やっぱり私にはこっちの方がいい。「境目では信号ラッパが必要」なんて誰が決めたのか? 私には浅岡の言っていることがこじつけとしか思えない。ブルックナーが他にも同じような箇所で「信号ラッパ」(別に他の楽器でも良いが)を入れていたのなら話は解るが。次もどうでもいい話。
 当盤の終楽章のエンディングは、1楽章の第1主題が回帰し、「ソードードソードード・・・・」の繰り返しで締めくくられるが、ヴァント盤を聴いてやはり驚いた。「ドソミドソドドソミドソドドソミドソド・・・・」というホルンの対旋律が重なってきてやけに喧しかったからである。ハイティンク盤ではほとんど聞こえない。後に分かったことだが、主題回帰が(対旋律に邪魔されず)はっきり聞こえるのがノヴァーク版、聞こえないのがハース版らしく(金子建志「ブルックナーの交響曲」の他、ネット掲示板でもそのような投稿があった)、確かにハイティンクは解説書(ここでも宇野執筆)にある通りノヴァーク版使用、ノヴァーク大キライのヴァントはハース版使用ということでここは辻褄が合う。しかしながら、私が所有する4番を全部聴いてみたところ、派手に「ドソミドソド」が鳴っているものがほとんどであり、使用版と実際の演奏とが食い違っているディスクが多数存在した。それどころか、金子が書いていたように「原典版」「1878/80年盤」で逃げを打っているケースも少なくない。また、ハース版では3楽章のトリオの主題はオーボエが吹くはずになっているが、実際その通りやっているのは私が知る限りクレンペラーとマズアだけである。この4番の版表記については「ええ加減やなあ」という印象がどうにも拭えない。

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