交響曲第7番ホ長調
テオドール・グシュルバウアー指揮ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
89/11
ERATO 2292-45492-2

 デルフスの6番評に記した未聴指揮者による7番4種のうち最も関心を抱いたのが他ならぬ当盤であるが、ヤフオクに出ていたので入札したらそのまま落ちてしまった(980円也)。別にフランスの楽団によるブルックナーが手薄だから補強に乗り出したという訳でもないが、ヘレヴェッヘの47番、ヨッフムの57番、マタチッチの5番など(他にもあったかな?)が何れも期待以上の出来だったので不安は全くなかった。(そういえば500種類以上のコレクションを収めた棚を見渡してみてもエラートのディスクは他にない。もしかすると同レーベルからのブルックナーとしては初リリースだったのだろうか?)ちなみにストラスブールといえば、私が最初に仏語に手を染めたNHKラジオ講座1985年前期の入門編(ただし84年度の再放送)のスキットで初めて耳にした地名である。(どうでもいい話ついでに、架空のラジオ局Radio Gutenbergの所在地だった。独語式に「シュトラスブルク」「グーテンベルク」と読むとばかり思っていた私の耳に「ストラスブール」「ギュータンベール」という発音が新鮮に響いたことをよく憶えている。)
 既にヘレヴェッヘの4番評で使ってしまったけれど、この演奏には「エレガント」という形容が実にピッタリと来る。唐突ながら「CDジャーナル」データベースのコメントは以下の通り。

 ブルックナー嫌いにぜひ勧めたいアルバム。こってりした脂が適度に落ちて、
 とても聴きやすい仕上がり。淡々と進められていく音楽はむしろ物足りない
 ぐらいだが、それは音楽に非常に謙虚であることの証明でもある。ブルック
 ナー好きにも聴いてほしい。

やはりヘレのページで述べている通り、最初の1文のような意見を支持する気にはならない(苦手あるいは嫌いなもん無理して聴かんでもええという考え方をぼくはとる)ものの、それ以降について同意することに吝かではない。特定パートの突出は全くといっていいほど聴かれず、まるで一日中薄曇りみたいな感じである。(彼の地はこんな天気の日が多いのだろうか?)さらに検索してみたところ、某掲示板の「マイナーな指揮者の饗宴」という過去スレで「いまひとつ」と評されているのを見つけたが、実際薄味に徹した演奏ゆえ人によって不満を覚えるのは仕方ないのかもしれない。私としてもアダージョのクライマックスで金管群の「ドレミー、ド#レ#ミー」の鳴りがサッパリで、トランペットによる「ソー」の持続音ばかりが耳に付くのはさすがに異議を唱えたくなった。(それでも打楽器なしのハース版を採用していたら救われていたかもしれん。)とはいえテンポ設定や楽章間のバランスなどは申し分なく、加えて並々ならぬ上品さを備えているのだから、これは紛れもない高水準演奏である。
 当盤評はこれで完結としたいが、こうなると無理な願いとは知りつつもクリュイタンスやマルティノンといった著名仏蘭西人指揮者の振ったブルックナーも聴いてみたくなってくる。ドビュッシー的あるいはラヴェル的なブル演奏など想像するだけでワクワクしてくるではないか。もっともミュンシュはフルヴェンばりに、いや、それ以上に暴れ回っていそうだから、彼だけはパスしたいなあ。(宇野功芳が「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラー的な演奏」と評した最晩年のパリ管とのブラ1を聴いての当方による勝手な想像である。)
 最後も「どーでもいいですよ」の話。なぜかiTunesで表示されるアルバムアートワークはカラヤン&BPOの9番ジャケット(GALLERIAシリーズの66年盤)である。勘弁してよー。

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