交響曲第9番ニ短調
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
88/06
Deutsche Grammophon POCG-7107

 28分台の第1楽章と29分台の終楽章。これほど遅いテンポを設定したディスクはそうあるものではない。けれども、当盤はその点で別格ともいえるチェリ&MPO正規盤とは大きく趣を異にしている。私はそう考えている。
 ドスの利いたというか重心の低いティンパニ音が印象的な第1楽章のビッグバンの入り(2分55秒)から明らかであるが、この楽章全体に生命力がみなぎっている。それだけならどうということもないが、それが終楽章の土壇場まで続いているのが凄い。悟りを開いて無に帰ろうとするチェリとは違う。エントロピーはまだ低く、これから先も宇宙に何かが起こりそうな予感を覚える。(現代の宇宙論に適っているのはチェリの方だけれども。)ゆえに、ジュリーニには、いや彼にこそ補筆完成版フィナーレ付バージョンで録音を残して欲しかった。そうなればアイヒホルン以上に遅いテンポを採用してトラックタイムは30分をゆうに超えることとなり、トータルでは100分を上回っていたはずだ。
 もしもの話を続けても仕方がないのでこれくらいにするが、この演奏のネット評は非常に高く、「決定盤」とまで評価しているコメントを目にすることも稀ではない。ブルックナー総合サイトのオーナーも絶賛に近いが、「極限まで肥大化されたブル9」「ハイ・カロリー」などとコメントしている。ただし、どちらも否定的に取れないこともなく、実のところ私は時にそう考えたくなる。仕事から戻って疲れている時(特に炎天下の野外作業の後)など当盤を聴く気にはとてもなれない。第1楽章は何とか聴き終えてもスケルツォで力尽きてしまう。あまり食欲のない時に油っこい中華料理を出された時の気分と似ているかもしれない。何とか箸を付けても完食は到底不可能である。
 とはいえ、両端楽章に設定した遅いテンポを維持しているのはさすがだ。例えば第1楽章16分28秒で「ビッグバン」が再現する直前にアホみたいなスタスタにしない。17分17秒はノロノロだが、あの基本テンポだから決して逸脱ではない。(それがあって初めて許されるのだが勘違い演奏は少なくない。)同楽章コーダの「ダダーン」をちゃんと鳴らせているのは言うまでもない。終楽章も淡々としているようには全く聞こえない。激しい部分はとことん脂ぎっているし、最後の爆発(23分43秒〜)が収まった後も、終曲までピーンと張りつめた雰囲気が漂っている。

9番のページ   ジュリーニのページ