交響曲第9番ニ短調
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団
76/12/01〜02
EMI TOCE-3395

 ジュリーニによる9番正規録音2種のうち、許光俊はVPO盤をより高く評価していたようで、「生きていくためのクラシック」では28/3(←仮分数)行を使って新盤を褒める一方、当シカゴ響盤については「そちらも決してまずくはないが、ウィーン・フィルの方が曲の性格に合っている」と3/2行ほど書いていただけである。また、HMV通販サイトの追悼記事「ジュリーニを悼む」でもそちらを挙げていた。そういえば(手元にないのであやふやだが)、「こんな『名盤』はいらない!」の「シカゴ響はそんなにうまいのか」でも、渋滞中の車の中で聴いたジュリーニ&CSOの「新世界」の美しさに驚いたが、結局は美しいだけでアーノンクール&RCOの演奏に込められているような「意味」は欠落しているなどと述べていたし、その項はブル9の2種録音に関する意味深なコメントで締め括られていたはずだ。しかしながら、この曲には無機的演奏の方が向いていると考えているゆえ私の評価は逆である。余計な「意味」なんかいらない。また、極大スケールのVPO盤は日によって(こちらの体調によって)「ぶよぶよ」と感じられることもあるが、当盤には決してそのようなことがなく、いつでも安心して再生できる。
 8番VPO盤ページには、「お心さわやかに毎日お過ごしになりますよう」の決め台詞で知られる人情派評論家(?)によるジュリーニの音楽の特徴、つまり「引き絞られた時に綱がギシッと音を出す感じ」を紹介したが、ならば当盤をステンレス製のワイヤーロープ、VPO盤を荒縄(稲藁で編んだ太い縄)に喩えることができようか。十分な強度を得るためには極太にしなければならないし、新品でも手触りがザラザラで優しくないという荒縄の性質は、極大スケールで汚い響きが時に耳に障るというVPO盤の特徴そのものという気がする。そして、これを裏返せば強靱なワイヤーと当盤との共通点が見えてくるという訳だが、どちらがブル9に相応しいと感じるかは先に書いたように個人の嗜好の範疇だろう。もちろん「稲藁=有機物」「ステンレス=無機物」という理由で私は後者を採る。
 なお、メタリックな響きによる引き締まった演奏はどことなくヴァント&MPO盤と似ていると私は常々思っていた。ゆえに、そちらがどうしても入手できない(または、どこで売っているのか知らない)という方、入手可能だが非合法商品に手を出すのは良心が許さないという方、あるいは割高感(未完成と抱き合わせの2枚組)のため手が伸びないという方は代用品として入手されても良いかと思う。ただし、ディスク番号から明らかであるが私の持っているディスクの音質はアレである。最近(2005年09月22日)再発されたようで、少しはマシになっているかもしれない。私は絶対に買い直したりしないが・・・・・

おまけ
 私は決してシカゴ響を偏愛する人間ではない。本文で述べたようにブルックナーを聴く場合には(47番は必ずしもそうではないけれども)メタリックで「無機的」な音色を好むが、ベートーヴェンでは逆に暖かみのある方が断然良いと思っている。実はショルティ目次ページで触れた「英雄」VPO盤(59年)を楽天フリマ経由で入手したばかりであるが、この曲のベストに挙げたいほど気に入った。既所有のCSO盤(73年)とも聴き比べたが、美しさ、しなやかさ、スケール感などあらゆる点で旧盤の圧勝である。当たり前だが曲はオケを選ぶ。(デジタル録音の89年盤は未聴だが、「2度目よりも肩の力が抜け、自然に流れていく」という評がCupiDに出ていたのでいつか聴いてみたい。)

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