交響曲第7番ホ長調
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
86/06
Deutsche Grammophon POCG-7085

 既に先月(2005年8月)アップしたディスク評ページで予告したように、当盤収録の演奏には第1楽章に大きな傷がある。後で触れる。そこまでは申し分ないのだが・・・・
 DG時代のジュリーニらしく非常にスケールの大きい演奏で、7番にはちょっと不似合いな気がするほどであるが、こういう行き方も十分アリだと思う。彼の演奏スタイルに対してしばしば用いられる「歌うような」ところが少なくないが、5分過ぎからベームのように走り出したりしないし、6分半のラッパの咆吼もベームやカラヤンのごとくドッシリと腰を落としたりしない。つまりテンポの変更は多少あっても、あくまで節度を保っているので好感が持てる。ところがである。19分半頃から何を血迷ったのかグイグイと加速してしまう。歯止めは全く効かず、最後には目も、いや耳も当てられないほどの尻軽テンポになる。これほど極端な加速は他の指揮者はやっていない。常軌を逸したノロノロテンポでコーダを振った朝比奈のフロリアン盤を非難した以上、公平を保つ上でもここは言わなくてはならない。この部分は紛れもなく史上最低(朝比奈以下)である。スキーのジャンプ競技に喩えてみれば、K点を超えたけれども着地に失敗したようなものだ。それも尻餅どころか完全な転倒である。これでは高得点は出ないどころか、バッケンレコードを更新するほどの大ジャンプだったら、そのラウンドの試技は全てキャンセル(それまでに跳んだ選手の記録も無効)となり、スタート地点を下げてやり直しとなるところだ。要はせっかく慎重に進めてきた演奏が一発で台無しということである。この乱心加速はジュリーニの他盤でも聞かれるが、私はそれで完全に興醒めしてしまう。あそこだけ正常なテンポを採用している他指揮者のディスクと差し替えようかと考えているほどだ。
 この傷があまりに大きすぎてこれ以上書く気が起こらないけれども、第2楽章以降について簡単に述べることにする。アダージョもテンポ設定は妥当だが音密度が少々小さい(要は間延びしている)と感じられるところがあるし、クライマックスは「ドンシャリ感」タップリで響きが汚い。いずれもこの時期のVPOの特徴で、指揮者に罪はないのかもしれないが。スケルツォ主部にも喧しくで耳障りと感じられるところが何ヶ所かある。フィナーレはその欠点がなく文句なし。力強さと美しさを併せ持った名演である。

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