交響曲第7番ホ長調
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
85/03/05
DRUM CAN DM-60003

 ジュリーニ&BPOのブルックナーということで、発作的に手を出してしまったCD。Yahoo!オークションで1300円+諸経費だったはず。
 某掲示板で当盤を「7番のベスト」とまで高く評価している書き込みを読んだことがあるが、それは間違っている。何せ録音が良くないから。平板な感じで分離はもう二つぐらい。ライヴ特有の臨場感は極めて乏しく、言ってしまえば「死んだ」音である。(ついでに書くと、第1楽章5分ちょうどにドロップアウトがある。)即興的なテンポの動きは感じ取れるのであるが・・・・とはいえ、翌年のVPO盤よりも速めのテンポで進められるため、当盤の演奏には躍動感があるし、BPOらしい濃密な響き(しかもVPOのように騒々しくならない)やソロの美しさも魅力的だ。また、マーラー9番の終楽章に匹敵するほど荘重なアダージョの出だしも聞き物である。よって、これが音質良好であれば「リスボン・ライヴ」に匹敵するほどの人気商品になっていたかもしれないとは思う。私自身は例の第1楽章コーダでの「ぶち壊し」がDG正規盤以上に激しいため到底買えないけれど。(そこを除いて評価することが許されるならば、同じオケによるカラヤン盤やヴァント盤よりも演奏自体は明らかに上だと考えている。)
 先ほどは「臨場感に乏しい」と書いたが、実は当盤には特筆すべきことがある。その前に脱線話を。許光俊が「クラシックCD名盤バトル」の「シェエラザード」の項(全36行中で推薦盤のはずの小澤盤にたった3行しか使っていない最低レベル批評の1つ)で、バレンボイム盤やカラヤン盤に入っている鼻息について言及していた。私は以前JASRACマーク入りの怪しげなレーベル製のカラヤン盤を中古屋で買ったのだが、第1楽章後半で得体の知れない大きなノイズに驚いたことがある。それで手放してしまったのだが、もしかしてあれが鼻息だったのだろうか? また、「レコード芸術」にて交響曲の月評を担当している小石忠男は、小林研一郎のディスクについて「これほどまでに指揮者の唸り声や鼻息の入ったCDを売り物にしても良いのだろうか」などと書いていたと記憶している。(それゆえ、私は恐れをなしてコバケンのディスクには未だに手を出す気にはなれないでいる。実際のところ、山本直純時代の「FMシンフォニーコンサート」で聴いたチャイ5は壮絶だった。)
 さて、当盤をヘッドフォンで聴いていたある日のことだが、私はだんだんと薄気味悪さを覚えるようになっていた。(かつてカセットテープ版「音のカタログ」に収録されていたバッハのピアノ曲を聴いていた時と同じ。)第1楽章中盤になってハッキリ判ったのだが、それは指揮者の唸り声のせいだったのだ。アダージョではさらに頻繁に聞かれる。(これまた余計なことだが、バーンスタインのごとく指揮台を踏みならす音も入っている。)もっとも指揮者自身としては「唸る」というよりはメロディに合わせて歌っているつもりだったのかもしれないが・・・・「歌うような」ではなくて本当に歌っていたのである。私はこういう夾雑物に対しては「却下」と言いたい性質である。しかしながら、ジュリーニ(余談だがATOKの辞書が学習する前は「ジュリー似」と変換)が大好きで、グールドばりの「鼻歌」を聴いているだけで幸せになれる方にだけは当盤をお勧めできるかもしれない。

7番のページ   ジュリーニのページ