交響曲第7番ホ長調
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
49/10/18
EMI TOCE-3010

 フルトヴェングラーのファンサイトの作成者S氏は、当盤収録の演奏が行われた49年10月18日の項にて、出谷啓の「オリジナルのモノで聴くべき」という主張に対して、「ブルックナーのような曲を何の細工もなくモノーラルのままで聴けという方が、レコード芸術の魅力を半減してしまうような気もする」と異を唱え、さらに「この第7のブライトクランク盤はモノ盤とは別物だが、弱音効果も出てひとつの芸術となっている。TAHRAの51年ブラームスや54年第9などもそうだが、多少のステレオプレゼンスはもはや現代のCDという再現芸術においては欠くべからざるようにも思える」と述べていた。実は私も全く同意見である。「ウラニアのエロイカ」(44年)、51年のブラ1、「ルツェルンの第九」(54年)は、最初に買ったセットもの(FURT1034/39およびFURT1054/57)の純粋モノラルがどうにも飽き足らず、残響付加の単発盤(FURT1031、1001および1003)を買い直すことになった。やはり拡がりが感じられる方が私には好ましい。モノの方は音量レベルがかなり低く、調整が面倒なこともあり結局人に譲ってしまった。残響によって音場感が失われてしまうという意見もネット上ではしばしば目にするが、別ページにも記したように私が最初に買ったフルトヴェングラーのディスクが「英雄」スタジオ録音のブラクラ盤(TOCE-3003)だったこともあり、そのような嫌悪感は全くない。(ただし、その「英雄」はブラクラ処理が最も成功した例らしく、もし失敗例の典型とされる「バイロイトの第九」を買っていたら逆に転んでいたかもしれない。)
 ということで、あらゆる再生装置(ヘッドフォン含む)で51年カイロ盤(DG)と聴き比べたが、やはり当盤の方が耳に優しくて断然聴きやすいと感じた。(ブラクラ盤としては「英雄」に匹敵するほどの成功例ではないか。)5番や8番などは泥んこ状態でも「何だかよくわからないけど壮絶な演奏だな」と思えたりするのだが、7番は少しでも音質良好の方がいい。(カイロ盤は速い部分を寸詰まりと感じてしまうのが大きなマイナスである。)
 第1楽章は51年盤よりも少しトラックタイムが長いが、1分50秒過ぎのネットリ演奏や4分40秒頃からの加速→減速など、メリハリの付け方もかなり大胆になっている。16分16秒で突如スローダウンし、その後しばらくは相当なノロノロテンポで進行する。もしかして朝比奈は当盤を参考にしたのだろうかとも一瞬思ったが、御本尊は常識的なテンポでコーダを振っているから、あの「聖フロリアンの7番」で聞かれる脱力コーダはやはり彼のオリジナルなのだろう。(「大先生の真似したらバチが当たる」と言ってたし。)ラストのホルンによる「ソ」の持続音が当盤では凄まじい鳴りっぷりで、他のパートが埋没してしまうけれども効果は満点だ。アダージョも以降も予想通りの濃厚スタイルなのだが、それを鑑賞するのもある程度の音質があってこそだ。ここでも「御大」の手本になったのかは知らないが、彼の75年盤と同じくハ長調部分でテンポを上げる。ただし、基本テンポがあんなにノロノロではないため明らかな逸脱と感じることはない。なお、当盤ではクライマックス前(16分40秒〜)の壮絶な「フライング・ティンパニ」が聞かれるが、51年盤ではヘッドフォンによっても確認できなかった。(あちらはリミッターで少し絞っているようだ。)また、後半がアッサリ気味だったカイロ盤に対し、当盤は最後まで流すようなところは全く感じられない。スケルツォは熱々だし、フィナーレも決して勢い一辺倒にはならず、遅い部分でシンミリ聞かせてくれるのが見事である。(ただし、これも音質差が相当に影響している可能性は否めない。)

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