交響曲第5番変ロ長調
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
51/08/19
Archipel ARPCD 0109

 この指揮者のブルックナーとして2枚目の5番ディスクを所有することになった。ただし、トータルタイムは42年BPO盤が68分半、当51年VPO盤が約69分(トラック4の最後20秒は拍手)で共に快速テンポであるだけでなく、解釈にもほとんど違いはない。走るところは走り、荒れ狂うところは荒れ狂うという「フルヴェン様式」がここでも全開である。第二次大戦という世界的大イベント(?)もこの指揮者の演奏スタイルにはさほど影響を及ぼさなかったようである。オケの音色の違いは当然存在するはずだが、なにせ42年盤が例の「泥んこ音質」なのでよく判らない。ということで両盤の録音を比較すると、テープ劣化による音の欠落こそ時に聞かれるものの、当盤の方が圧倒的にクリアーな音であるし、ライブの生々しさについても何枚もの壁を通して聞こえてくるような42年盤より断然上。そういえば鈴木淳史は「クラシック悪魔の辞典【完全版】」にて、この指揮者の説明文を「近頃では、『このティンパニの音が割れているのがフルヴェンらしくていいんだよな」と申す乱暴な輩までいる始末です。神を冒涜なすっちゃいけませんな」と結んでいたし、「クラシック名盤ほめ殺し」の5番47年5月27日盤の項では「トゥッティがクラスター状態に近い形で聞こえるなんて我慢できないよ」「バカめ。その凝縮に凝縮を重ねた響きが、われわれのハートをキューッと打ちのめすんじゃないか」などと天使と悪魔に語らせていた。要は熱烈なフルヴェン・ヲタを揶揄したかったのだろうが、私はそういう人種には属していないせいか、(旧盤のページには「『泥んこ』の迫力があるからこそ」などと書いたけれども)やはり新盤の方が聴きやすくて(耳に優しいため)ありがたい。
 ここで同曲異演奏についてもう少し書くと、私が持っている8番2種(49年3月15日BPO盤および54年VPO盤)の間には、使用版だけでなく真偽の論争を引き起こすほど大きな演奏スタイルの違いが聴かれたのであるが、やはりその間に病に倒れるという出来事を何度も経験した(のみならず、薬の副作用で耳が聞こえにくくなった)ことが大きいかもしれない。ゆえに5番も最晩年(健康を損なって以降)に演奏する機会があれば、あるいは「晩年様式」に入ってからのクナに匹敵するほど超人的スケールによる名演が残されたかもしれないとも考えられるだけに残念だ。と思ったところで、フルヴェンが世を去った54年といえばカラヤンがウィーンで同曲を(それもフルヴェン死去の約2カ月前に)演奏していることに気が付いた。(ただしオケはウィーン響だが。)そこで、そのORFEO盤を改めて取り出して聴いてみた。イラチテンポが頻出してとにかく落ち着きのないフルヴェンの後では、トータル約80分で堂々としたカラヤン盤があたかも大ベテラン指揮者による演奏のように聞こえる。ブルックナーに関する限り、「フルトヴェングラーがようやく辿り着いたところから『あのKという男』が(以下略)」(←もちろん、この台詞のオリジナルを知った上で書いている)も決して的外れではないと私は思う。
 ・・・・などと、ここでも一部評論家と愛好家にケンカを売って終わる。

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