交響曲第5番変ロ長調
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
42/10/28
Archipel ARPCD 0003

 目次ページに書いた「フルヴェン様式」(by 海老忠)を理解するためには格好の1枚である。つまり、ここで加速するだろうと予想した箇所では必ずといっていいほどそうやってくれるなど、非常に「わかりやすい」演奏を繰り広げている。例えば第1楽章2分20秒からの加速だが、ここまで激しくやった指揮者は他にいない。特に完全につながってしまっているティンパニのドロドロ音が凄まじく、そのままの勢いで(停止線を無視して)2分37秒のファンファーレになだれ込んでいる。蟻の穴から始まった巨大ダムの崩壊を目の当たりにしているようだ。中間部やコーダでも同じような修羅場を演出している。
 第2楽章はさすがに大人しいと思っていたのも束の間、2分26秒からのチェロの主題はネットリなのに、3分12秒から尻軽になってしまう。やはりインテンポで持ちこたえることができなかったのだ。人によっては面白いと感じるかもしれないが、緩徐楽章でこういうことをやられると私は萎える。これに対し、曲想がブロックごとにガラッと変わるスケルツォは特に問題なし。「フルヴェン様式」を存分に堪能できる。しかし、やはり最大の聞き物は終楽章であろう。
 6分05秒から激しくなるが、それまでのゆっくりした進行から一転して猛烈に速くするだろうと思っていたのが意表を突かれた。(曲想の変わり目で別の速いテンポを設定するのがここは一般的である。)フルヴェンは(それまでのテンポを踏襲して)比較的ゆっくりで始め、次第に加速する。ブルックナーでは禁忌なのだろうと私も思うが、指揮者はそれ以外のやり方など考えだにしなかったに違いない。何にせよ、これが良し悪しを超えた個性というものである。この楽章11分過ぎから既にイラチテンポであるが、さらにそこから徐々に加速していく。これほど息の長いアッチェレランド(約3分)はブルックナーでは他に例がないのではないか。いったんは収まるが17分47秒から再びイラチ。19分53秒まではまさに「ブレーキを失った重戦車」の暴走である。(鈴木淳史が「クラシック名盤褒め殺し」で、同じ1942年演奏の「グレイト」のエンディングについてそんなことを書いていたのを思い出したので開いてみたら、「もう誰に求められない、人間機関車の勢いであります」とあった。そちらは未聴なので買ってみるか?)ところがコーダは堂々としたテンポになる。アンサンブルが崩壊しようがお構いなくそのまま加速を続けてもらいたかったので、私はむしろ不満を覚えた。ずっとハチャメチャでやってきて最後だけいい子ぶってもしょうがないじゃないか。まともな締め括り方はこの指揮者には相応しくない。
 なお、海老は「クラシックの聴き方が変わる本」(151頁)にて「得意のブルックナー第5では、崇拝者バレンボイムに深刻な影響を与え、21世紀も近いというのに強烈なアッチェレランドが、いまだ随所で鳴り響くというおぞましい事態を招いている」と書いていたので、その崇拝者によるおぞましいディスクも気にならないではないのだが、こういうスタイルによる演奏は主に泥んこの響き(ただし、ティンパニこそ「泥んこ」だが基本的にはクリアーな音質でノイズ混入も少なく、同レーベルの8番に匹敵する優秀録音)が生み出す尋常ではない迫力に圧倒されるから良いのであって、ヘタに良好な音質を聴くと単なるおバカな演奏と思ってしまうかもしれない。

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