交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
06/10/04〜07
GENUIN GEN 87086

 この指揮者についてはフィルハーモニア管と1963〜64年にかけて録音された「三角帽子」全曲(ファリャ)が古くから名盤として高い評価を受けているという程度の知識しか持っていなかった。ところが、よくよく考えてみたら私は彼の指揮するコンサートを聴いたことがあったのだ。(ゆえに、本ページの作成によって「方針その他」のページに記した「ここで取り上げることになる指揮者の実演を幸か不幸か誰1人として聴いていない」は効力を失うこととなった。)何せ随分昔(愛知県芸術劇場ができる前)のことなのでオーケストラ名は思い出せないけれど、場所は名古屋市民会館だった。前半の「ドン・キホーテ」(R・シュトラウス)はイマイチ冴えんなあという印象だったが、座席は右の端っこ(コントラバスの真ん前)で舞台が高いため見上げている内に首が痛くなってしまったことも音楽への集中を削ぐ一因となっていたかもしれない。それで休憩後はガラガラの2階席に移動し、足を好きなだけ伸ばすことのできる最前列(お気に入りの場所)に陣取った。実はプログラムの最後に置かれていたのが他ならぬ「三角帽子」(ただし第2部のみ)だったが、これが尋常ではない大熱演。「全員の踊り」に入ったところで思わず手すりから身を乗り出してしまった。そんな訳で私は「ラテン系の音楽を得意とするスペイン人指揮者」という誤った認識を抱いたまま何年も過ごすこととなった。責任転嫁するようだが、いかにもそれっぽい名前といえる「ブルゴス」の単独表記を音楽雑誌などで目にすることも珍しくなかったし。
 が、彼は実際にはスペイン生まれながらドイツ人の父とスペイン人の母に生まれたハーフで、本名は「ラファエル・フリューベック」だけである。プロの指揮者として活躍するようになってからスペイン北部の生地「ブルゴス」を後に付けるようになったということである(以上、「犬」通販サイトの当盤紹介ページより)。要は芸名に属するものであり、出身を表しているに過ぎないのだから、「ブルゴス」のみが論外なのはもちろん、東芝EMIが国内盤(2006年再発の定盤1300シリーズなど)の帯で使っている「デ・ブルゴス」という記載にしても全く不十分である。もちろん当サイトではシュミット=イッセルシュテット、ロペス=コボス、あるいはウェルザー=メストなどと同じく一続きの姓として、つまり切り離せないものとして扱うが、時に(気分次第で)Franz Welser=Möst→FWMのような省略形も併用する。一方URLについては、長ったらしくなる場合に限りSchmidt=Isserstedt→schmisser、Lopez=Cobos→lobosのように適宜(テキトーに)縮めるという先例に倣うこととした。が、結果として経営難が原因で消滅した蹴球団(Jリーグ)みたいになってしまった感がある。どうでもいい話なのでもう止める。
 さて、先述の発売情報に「ノヴァーク版第3稿を使用」とあったが、ラテンの血を半分譲り受けたFDB(←早速使ってる)においては十分に予想されることである。1〜3稿の中では最も劇性を有する版ゆえイケイケドンドンの芸風とは最も相性が良さそうだから。(あるいはノリントンのように初稿で「やりたい放題」を押し通すという選択肢はあったかもしれない。少なくとも地味な2稿は絶対似合わない。)またドレスデン・フィルといえば、そのドライな音色とケーゲルの警察国家スタイル(?)によって非情に、いや非常に引き締まった名演を聴かせてくれたオケである。だから当盤も比較的速めのテンポでグイグイ進めていると考えるのが無難な線であろう。ところが「犬」の紹介文には「第1楽章の演奏時間約22分というゆったりしたテンポを採用し、楽譜の隅々まで配慮が行き届きながらもスケールの大きな見事な演奏を聴かせてくれています」とあったから、実際のところどうなっているのか予測が付かなかった。何はともあれ聴いてみることにした。
 届いた品に付いていた帯(輸入総代理店の東武ランドシステムが作成)を見て思わず笑ってしまった。背表紙の左側に「まさかの大名演!」とあったからである。ついでながら、その左にはライナーノートより抜粋された5行が並んでいたが、そこにも日本語解説にも執筆者名は全く記載されていない。これは既にブロムシュテットの8番LGO盤で経験済だから驚くには当たらないが、解説には帯の感嘆符付き文字列は見当たらないから「まさか」が誰の感想なのか少し気になるところである。(まさか社員の1人?)とはいえ「大名演!」の賛辞に偽りはない。
 第1楽章は最初から最後まで堂々たるテンポを保っていながら弛緩を全く感じさせない。これはもちろん指揮者の手腕が第一だが、オケの鋭さも貢献しているかもしれない。(この伝統的美点が現桂冠指揮者のMによって損なわれなかったのはラッキー?)盛り上がりに不足は全くなく、それでいて格調は失われない。続く第2楽章はちょっと不思議な演奏である。6分49秒にテンポ変更があるものの、尻軽加速ではなくソフトな曲調に移ったのを確認してから上げているため気には触らない。けれども再現部(8分43秒〜)に入ってから脱力したかのような歩みが延々と続くのは一体何なのだろう? キビキビした感じの提示部とは全く対応していないようにも思われるのだが、こういうのもアリなんだろうか?
 後半2つの楽章では極めて真っ当な演奏を繰り広げている。ここでまたしても「犬」から指揮者についてのコメントを引くと、「芸風はまさにドイツとスペインのいいとこどりで、ラテン系音楽での激しいリズムによる情熱的な演奏から、ドイツ音楽での重厚でスケールの大きい演奏まで実に『濃い』演奏で聴衆を魅了してきました」とあったので、もしかすると最後ぐらいは血が沸き上がってお祭り状態になっているのではないかと想像していた私は見事拍子抜けした。もちろんドンチャン騒ぎを勝手に期待していた当方が悪いのは承知している。(よってライナーの「ラテン系の芸名を持っていることも損をしている」には同意である。私のようにアホな先入観を抱いてしまう人間を増やしてしまったと容易に想像できるから。ただし執筆者は「この豊穣な音楽は、彼の円熟を示すとともに彼を無視していた聴衆への鉄槌である」などと随分熱いことを書いているが、真に糾弾すべきはメディアの側ではないかという気がする。)結局のところ、当盤の再生にあたっては指揮者の国籍などキッパリ忘れ、正統的スタイルによるドイツ音楽として傾聴すべきであるといえる。
 ここまでなら「並の名演」で終わりだが、クリアーな音質および過不足のない残響が印象をさらに素晴らしいものとしている。やはり近年主流の「ライヴ収録→後日編集」というスタイルでなく、4日間を録音セッションに費やしただけのことはあると思った。抜けの良さを理由に、それが唯一の欠点だったヴァント&NDR盤をも蹴落としてしまうのではないかと一時は思ったほどだが、ブルックナー休止でもう少し間を取って欲しいと思った箇所がいくつかあったのが惜しまれる。ということで当サイトでは「まさか」こそ起こらなかったが、超高完成度と超弩級スケール感を兼備しているため、当盤に先立って上位ランキングへのゲリラ的侵入を果たしたD・R・デイヴィス盤よりも評価は上回る。
 最後に難点を1つ挙げておくと、収納ケースは三つ折りの厚紙にプラスティック製のトレイを貼り付けたもの、つまり最近よく見かけるタイプなのだが、指がうまく入らないのでディスクを取り出しにくいこと甚だしい。ちったあ考えて造れよと言いたくなった。

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