交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」
クリストフ・エッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団
03/02/03
Ondine ODE-1030-2

 「クラシック名盤&裏名盤ガイド」のブラ1の項を担当した米田栄は、大穴盤として(宇野推薦盤でもある)ミュンシュ&パリ管盤を挙げているが、「フランスのオケからドイツ的な響きを出している」といった一般的な讃辞に半ば同意しつつも、「何かどことなく、要するにきっちりしていない」とコメントしていた。その理由を「モノを知的に把握したいあまり、ついつい分割して把握しないと気が済まないという、おそらくは団員も含めたきわめて非全体性的な(?)性癖のせい」であると考察していた。さらに「全員が音楽を水平方向に読み解いていて(だからズレルわけね)」と続けていたが、それは「そういう音楽作りが主流だった時代の演奏であり作品であるわけだから(指揮者に罪はない)」と結んでいた。
 さて、もはやそういう時代ではないと思うのだが、2003年に演奏された当盤を聴いて私は「きちっとしとらんなぁ」と思ってしまった。それで前段落の話を思い出したのであるが、このオケにはまだ古株が多く残っているのだろうか? それはともかく、アンサンブルは随分と甘く第1楽章冒頭のスローテンポを全然支えられていない。(ベームやハイティンク盤で聞かれるVPOの緩さどころではない。)2分17秒以降はブヨブヨに聞こえてしまう。3分21秒から普通のテンポになってホッとした。が、5分41秒のずさんな編集にガッカリ(継いだ跡がハッキリ)。それ自体は指揮者の責任ではないが「編集してもらってこの程度の完成度かい」と文句は言いたくなる。以降も甘さばかりが耳に付くので演奏について具体的に述べるのは止めにする。(ただし尻上がりに調子が良くなり、終楽章では何とか許容範囲に収まっている。あくまでこの曲として、であるが。)
 キングの宣伝文をはじめとしてネット評は決して悪くないが、この粗い演奏が平気なのだろうか? 私には「濃厚で耽美な表現」「パリ管の美しさ」などを堪能する以前の問題と思えてならない。そういえば許光俊も「犬」連載の「言いたい放題」で当盤を褒めている。それは彼の好みだから別にいいのだが、最終文の「妖しい、実に妖しい音楽家ではないか」については、なぜエッシェンバッハが「妖しい」でハイティンクが「怪しい」のかがわからない。(許は「クラシックCD名盤バトル」に「ハイティンクは怪しい音楽家である」と書いていた。)両指揮者の違いをいつかどこかで具体的に説明してもらいたい。
 ところで、少し前になるが、シュミット=イッセルシュテットの7番ページ下では山崎浩太郎著「名指揮者列伝 20世紀の40人」のクレンペラーの項に述べられていた「聴きてを気持ちよく呼吸させてくれる音楽こそが『リズム感のよい音楽』である」などを引いた。ここでは「リズム感」について述べるため利用させてもらう。クレンペラーの音楽はテンポは遅いけれども停滞は感じない。それを不思議に思っていた山崎だが、ある日「リズム感のよさではクレンペラーとクナッパーツブッシュが双璧である」というような(おそらく「レコ芸」誌の高橋昭のものと思われる)文章を目にして「電撃を受けたようなショックだった」そうである。「テンポの遅さをさんざんに揶揄されている2人のリズム感が良いというのはどういうことか」と彼は考えた。そして、「テンポ感とリズム感とは全くの別物である(リズム感の良さ、音が弾むような感じさえあれば、テンポが遅くとも音楽は気持ちがよいし、逆にテンポがどんなに速くとも弾力がなければ、薄っぺらくて腰の据わらない音楽になる)」に気付き、「クレンペラーの音楽に軽妙さがあるのは、音の弾力のためなのである」ということが解ったのだという。
 そうしてみると、当盤は「リズム感が悪い」「弾力感に乏しい」の見本みたいな演奏といえる。チェリビダッケのように遅いテンポを採用したいのならもっと腕を磨いてから、オケの統率力を身に付けてからおやんなさい、などと不遜なことすら言いたくなってしまった。(ファジーなオケとの共演が既に敗因かもしれないが。)確かに部分的に美しいと感じるところはいくらでもあるだろう。例えば第1楽章中間部コラールや終楽章コーダがそうだし、第2楽章はまさに耽美箇所のオンパレードだ。しかしながら、ここで「言いたい放題」に戻ると、そういう「部分こだわり型」を批判していた人間が「いちいちきれいきれいと感心」した挙げ句に「指揮者の解釈に興味が向かない」「どうでもよくなってくる」ではアカンやろ!
 最後に、あるネット評でも触れられていたジャケット写真(スキンヘッドの指揮者が片手で合掌している、ついでながら片手で「合」はヘンだが、何か良い言い回しはないだろうか?)について。この人、出家するつもりだろうか。(既に得度してたりして。)あるいは演奏地で仏教に触れ、その気になったのかもしれない。以前ドイチェ・ヴェレ日本語放送にて、カトリックに飽き足らず仏教に改宗するフランス人が増加の一途を辿り、ついにプロテスタント人口を抜いた(ならばイスラムに次いで3位?)というレポートを聴いたことがある。彼の国は今や柔道の競技人口でも世界一だし、欧州では東洋への憧れがとりわけ強いのかもしれない。

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