交響曲第9番ニ短調
クルト・アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団
92/04/13〜15, 93/02/16〜17(第4楽章)
Camerata 30CM-275〜6

 第1〜3楽章についてはそんなに感心できなかったので書くことがない。ヨッフムほど露骨ではないが、「ビッグバン」の直前に間を置いたりテンポをちょこまか変えたりしている。ふと思ったのだが、7番では自然体そのものというべき演奏を繰り広げているにもかかわらず、9番になるととかく作為的演奏に走りたがる指揮者が目立つのは、もしかしてフルトヴェングラーに強い影響を受けた世代に共通する特徴なのだろうか? 何より気に食わないのがディスク交換なしに3楽章までを通しで聴くことができないこと。既にロジェヴェン盤のページに不満をぶちまけたが、このようなトラッキングは暴挙としか言いようがない。ここから先はフィナーレ(現存手稿譜に基づく自筆スコア復元の試み、演奏会バージョン)について思うままに書く。
 金子建志は補筆完成の試みについて、「相互に無関係なブロックのように残されたフラグメントを、芸術として完成できるのは、ブルックナー本人しかいない ─ という、当たり前の事実を証明する結果に終わっている」「一旦、言い掛けて保留にしてあった複数の文脈を、内容一つにまとめあげることが可能なのは、ブルックナー本人だけなのだ」と9番バレンボイム盤(90年録音)の解説にて述べていた。ただし、彼が言及したのはキャラガン版(85年録音のタルミ盤)とサマーレ&マッツーカ版(87年録音のインバル盤)についてであり、92年録音の当盤は当然のことながら聴いていなかった訳だが、このフィナーレを耳にした後でも同様のコメントを述べることができるだろうか? 少々疑問だ。などと偉そうなことを書いている私にしたところで、当盤とインバル盤との違いはよく解らなかったというのが正直なところだ。(そういえば、インバル盤の解説を執筆した平野昭も9番フィナーレの補筆完成など無駄な試みに過ぎないと考えていた節がある。2箇所だけ引くと「この作品を第3楽章アダージョで終わらせることに不満を覚えるひとはもはやいないだろうし、将来的にもそうであろう」「ましてや、ひと頃しきりに試みられていた<テ・デウム>の連続演奏など、たとえブルックナーの口から出たものであったにせよ意味ないことだ」と決め付けていた。)もちろん両盤に収録されているフィナーレのトラックタイムには20分44秒と30分11秒という少なからぬ違いが存在していることからも明らかなように、基本テンポが大きく異なるのは言うまでもない。インバルはスタスタテンポを貫きアッサリと進めてしまう。38番の初稿演奏と同じく、この指揮者の悪い癖で安全運転に終始したために趣もへったくれもない演奏になってしまった。(翌年録音に挑んだロジェストヴェンスキーは、インバルを反面教師にしたのか25分以上かけて演奏しているため、そこそこ落ち着いて聴けるものに仕上がっている。)これに対し、アイヒホルンは要所要所で腰を落とし、さらに終盤になるほどに歩みを遅め、いかにも名残惜しそうな表情を演出している。ただし、私の印象に残った音型は両盤に共通して現れていた。まずは浅岡が以下のように述べていた部分。

 再現部で第三主題のコラールがテ・デウム音型に乗って
 出てくる部分のアイヒホルンの一世一代の名表現は、ま
 るでブルックナー本人から「アデュー・アデュー」と言
 われているようで涙なしでは聴けない。この部分だけで
 アイヒホルンのブルックナーは不滅であろう。

楽譜を持っていないし読めない私には合っているのかわからないのだが、アイヒホルン盤の8分53秒からのフルートソロは確かに「アデュー・アデュー」と聞こえるとはいいながら、それはインバル盤でも6分40秒に登場する。また、第1楽章冒頭の「ビッグバン」主題が再臨(既に9番目次ページに書いたが「ビッグクランチ」か?)するのも度肝を抜かれたが、やはり両盤とも2度ずつ出てくる(アイヒホルン盤では24分45秒と26分15秒、インバル盤では17分07秒と18分09秒)。まあ、微妙な違いが判るほど徹底して聴き比べてはいないのではあるが・・・・
 何にせよ、浅岡弘和に「J・Aフィリップ一人加わっただけで雲泥の差だ」と言わしめたほど当盤で採用されたフィナーレの完成度は高くなっているようだが、部分的にはブルックナーの音楽が鳴っていても全体としては(自分がこれまで親しんできたブルックナーとは)何かが違うと感じたのである。結局はインバル盤ページ下に書いたことの繰り返しになってしまったが、聴いているとどうにも落ち着かないのである。
 ここで今更のように気が付いたのだが、9番では「タンタンタタタ」「タタタタンタン」(ここで「タタタ」は言うまでもなく三連符であり、長さは「タン」の2/3)という「ブルックナーリズム」はもはや姿を見せず、代わって「タンタタタ」あるいは「タタタタン」というリズム(「タ」は「タン」の1/3の長さで同じく三連符)が多用される。ここで「タンタタタ」を「─・・・」に置き換えると、モールス信号の「B」になる。彼は自分の姓の頭文字を音にしたのではないか、と私は考えたのだ。(モールス信号はサミュエル・モールスが1837年に実演、1844年に実際の送信に成功した。つまり作曲当時には既に実用化されていたのである。)また逆パターンの「・・・─」は「V」で、それで始まる単語はすぐには思い浮かばないが、ここでもブルックナーが何らかのメッセージを込めようとしたのは間違いない。(ドイツ占領中のフランスにて勝利「Victoire」 を祈願するために「・・・─」のリズムがそこら中で鳴らされていたのは有名な話で、実はそれから連想した。なおドイツ語で「勝利」は「Sieg」であり「V」では始まらない。)もしかすると曲が完成する(vollbringen)ことを祈念していたのだろうか?  ・・・・というような妄想モードからはここら辺りで脱出するが、ブルックナーがそれまでの交響曲とは違う境地を目指したのはどうやら確かであると私には思われる。そして、そのことが先述したような9番のフィナーレから感じる居心地の悪さの最大の原因ではないかと考えたのだ。さらに、それは4番や8番の初稿を初めて聴いた時のそれと同じであると思い当たった。つまり「前衛作曲家」としての顔が3度目に現れたのだ。(そういえば、ごく一部ながらアダージョの終盤で不協和音が鳴っているように聞こえるディスクもあったし・・・・)だから、仮にブルックナーが健康を損なうことなく完成まで漕ぎ着けることができたとしても(とまたしても妄想すると)、時代を先取りした音楽を理解できない連中のお節介助言、あるいは「演奏不可能」というクレームのため、そのままスンナリと初演を迎えられたはずはなく、泣く泣く改訂作業に向かう羽目に陥っていたであろう。そして、やっとのことで第2稿が演奏されたはずである。(もちろん実際にはそうならず、アホ弟子による「改竄版」が作曲者の死語しばらく出回ることになったが、何せボロ雑巾のような酷さのため素人耳にも却下することは容易である。)そうなったらそうなったで、一体どこまでが作曲者の意志なのかがハッキリせず、結局はそれまでのいくつかの曲と同じく後世の人間による論争の果てに複数の版が乱立することになった可能性が高い。あるいは未完で終わったお陰で、そういう悲惨な運命を辿ることが回避されたのは幸いだったと考えることもできるかもしれない。

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