交響曲第7番ホ長調
クルト・アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団
90/04/09〜12
Camerata CDCM-15001

 面識があったらという前提だが、浅岡弘和と鈴木淳史はよっぽどウマが合わないに違いない(朝比奈8番N響盤ページも参照のこと)。アイヒホルンの全集録音第1弾となった(というより、その切っ掛けを作った)この7番を聴いての感想がここまで違っているとは!

 まるで農民のように朴訥なだけでどこが良いのかよく分からない(浅岡)
 信仰告白のように美しく流れていくブルックナー(鈴木)

普段はどちらかといえば浅岡乗りの私だが、当盤の印象は鈴木の方に近い。(それに浅岡がなにゆえ「農民」を使ったのか考えていたら次第に腹が立ってきた。少しでも蔑視の気持ちがあったとしたら絶対に許さんぞ!)ただし(以下脱線)、「信仰告白」については(彼がそれを用いた意図も十分理解できるものの)ちょっと余計なことを書いてみたくなった。
 私は名古屋に住んでいた大学院生およびOD時代、あるプロテスタント教会で毎週木曜夜に行われていた聖書研究会というものに3年と少しの間通っていたことがある。主催者は執筆活動もされていた牧師さん(かなり売れた本もある日本ペンクラブ会員)で、一部に名の通っているらしき方のようであった。その教会は通学途中にあったのだが、何年も建物の前を通っていながら全く気にも留めなかった。ところが、キリスト教(特にカトリック)では極めて重要とされる日の朝、何かに誘われるようにして礼拝の行われている中に入ってしまったのである。しかし、参列している人達の多くはエリート階級に属しているらしいと後に気が付いてみると、自分には場違いのように感じられたので滅多に行かなくなり、代わって「求道者」(未信者)のために開かれているという研究会に足を運ぶようになった。その結果、未信者だったメンバーも次々と洗礼を受けて入信していったのだが、仏教徒であると自認していた私は結局その道は選ばなかった。礼拝出席者は所詮自分とは違う人種であるという疎外感が最大の原因だが、最後まで残った私に対する周囲の無言の期待も相当な逆効果を発揮した。たぶん私は亀井勝一郎に倣って「親鸞唯ひとりに直結する、その意味での浄土真宗の信徒」(「愛の無情について」終章より)として生涯を終えることになるだろう。さて、メンバーが洗礼を受ける日の記念礼拝というのに何度か出席したことがあるのだが、あるご婦人の信仰告白を聴いて衝撃を受けた。毎週会っていてもそんな風には全く見えなかったのだが、実に凄まじい生涯を送ってこられたのである。概略だけに留めるが、いくら考えてみても生きる価値が見い出せないことに苦しみ、終いには精神を病んで自殺を図ったというのである。他にはイジメに遭って高校を中退したため大学受験資格(大検)を得るため悪戦苦闘(連戦連敗)していた若者もいた。(彼は今どうしているだろうか?)こういった人達の信仰告白には「ドロドロ」という擬態語しか思い浮かばない。だから、「信仰告白のようなブルックナー」に最も相応しいのはフルトヴェングラーの壮絶演奏であると私は声を大にして言いたい。
 さて、鈴木にしても浅岡にしても当盤収録の演奏を飾り気のないブルックナーと聴いたことは間違いなく、それゆえ私も興味を抱いていた。2002年に廉価再発されることを知り、予約注文して入手したという次第である。ところが再生していきなり驚いた。冒頭のブルックナー開始がない。超ピアニッシモだから、という訳でもない。いくら音量を上げても聞こえてこない。それどころか、再生直後にいきなり主題が始まるから、ひょっとすると欠落ではないかと考えるに至った。(いくら何でもこんな版はないだろう。詳しくは知らないが、デジタル処理ではウッカリすると最初の数秒が落ちる危険があるそうである。)そのため、この演奏を聴いたことがある人から何らかの情報が得られないかと思い、某掲示板のブルックナー関係スレで訊いてみたのである。(こういう場合、あそこは非常に有用である。)そうしたところ、「自分が何年か前に買ったCDにはちゃんと入ってるよ」というレスが付いた。そこで、私はカメラータ・トウキョウのサイトを訪れ、不良品ではないかと尋ねる旨のメールを送信した。その翌日だったと記憶しているが、担当者から返信が届いた。内容は以下の通り。「調べてみたところ冒頭部分が欠落しているのを確認した。申し訳ない。購入したディスクを送ってもらえればもちろん良品との交換に応じる。また、弊社は『レコード芸術』誌上にもこの件に関するお詫び広告を掲載することにした。」正直驚いた。そこまで後始末を徹底するとは! 実のところ、私は既発盤(25CM-165あるいは32CM-165)の在庫があればそれと交換してもらえればそれで良し、なければ返金でも十分だったのだ。かなりの損害を生むと思われる店頭からの引き上げや購入者全員に対する(もちろん往復送料負担による)交換までやるとは全く予想していなかった。当然と言ってしまえばそれまでだが、迅速かつ潔い対応にはこちらも清々しさを憶えた。決してメジャーとはいえないこのレーベルを私が応援したくなったのも当然である。ところで、当サイトのあちこちで散々槍玉に挙げている某レーベルの関係者が万一このページを見ているとしたら、であるが、具体的に行動を起こせとはもはや言うつもりはない。(とっくに三行半を突き付けているから。)ただし、不誠実極まりない自社の対応(私に対してだけでなく、完全無視はネット上でも複数報告あり)とは天と地ほどの開きがあることを思い、せめて一欠片でも羞恥心を抱くだけの人間的感情を持っていることを期待したい。(それすらも無理か?)
 ようやくにして閑話休題。この7番は優良レーベルに相応しいと言いたくなるほど清く、正しく、美しい演奏である。と言いたかったのだが、第1楽章6分56秒などベームやカラヤンのように腰を落としてピークを強調しているというより単にモタモタしているだけと聞こえてしまうし、同楽章コーダのティンパニも滑らかではなく、「ゴゴゴゴゴゴ・・・・」という掘削機のようで耳当たりはあまり良くない。こうやって指摘していけばキリがないけれども、やはり腕は一流オーケストラと比べたらだいぶ落ちる。ケレン味の感じられない演奏ということで同タイプのティントナー盤よりも劣る。とはいえテンポ設定は概ね妥当であり、途中で変えるにしても遅くする場合がほとんど、しかも節度があって、突如走り出すような真似はしないため一応聴けるものには仕上がっている。ただしアダージョではちょっと疑問を感じた。中間のハ長調部分(10分17秒〜)の金管が浮き気味でアンサンブルの緩さが気になったが(それでもヴァント&BPO盤よりはマシ)、それ以上に10分40秒〜がスローテンポで脱力気味なのはいかがなものか? 美しいには違いなく、シミジミとした雰囲気を醸し出したかったという意図も解るが、私には逸脱行為と思える。また、先に持ち出したティントナー盤同様、ここは打楽器なしの方が良かったのではないかとも考えた。しかしながら、結構ドラマティックなところもある演奏ゆえ締めとしてあの大騒ぎは必要かもしれない。後半2楽章は弦管打楽器のバランスがとても良くまあ愉しめた。(テンポの変わった直後に乱れることは多々あったが・・・・)

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