交響曲第6番イ長調
クルト・アイヒホルン指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団
94/03/28〜31
Camerata 30CM-345

 鈴木淳史が「クラシック名盤ほめ殺し」にて当盤を採り上げている。オケの技量不足のため崩壊しそうになったアンサンブルを何とか立て直そうと悪戦苦闘している指揮者の心理描写を試みているが、「老人と海」(ヘミングウェイ)のパロディはなかなかの力作であり、もともとオペレッタやオルフを得意とする自分がブルックナー指揮者として担ぎ出されてしまったと不平をこぼすところなど実に面白い。以下余談。私も原作を読んだことがあるが、文庫本110ページほどの作品中で感銘を受けるところが1つとしてなかった。この作家の手になるものは長編でも短編でもみんなそうだ。スラスラ読み進むことはできるが、読み終えても何も残らないのである。対照的なのがフォークナーで、とにかく難解なため読むのに骨が折れるし、全てが理解できる訳でもないのだが、常に何ともいえない後味の悪さが残る。(それが好きだったりする。)スタインベックは「怒りの葡萄」も短編も全て気に入った。私の読書力とはピッタリ合っているように思う。大江健三郎が「ハックルベリー・フィン」から大きな影響を受けたと書いていたためマーク・トウェインは気になっていた作家であり、古本屋店頭の100円均一コーナーに置いていた世界文学全集のバラ売りに飛びついた。波瀾万丈のストーリーには全く飽きることがなかったし、大江がエッセイ等で繰り返し引いている「よし、僕は地獄へ行こう」(主人公が逃亡した黒人奴隷を密告するのは止めようと決意する時の台詞)の場面は私もジーンときた。(「トム・ソーヤー」はその後に新潮文庫で読んだが、冒険小説としてはなかなかに面白いという印象に留まる。)が、それ以上に衝撃的だったのが併録されていた「不思議な少年」である。終盤での謎の少年(実は悪魔)と語り手の少年との会話からは、「カラマーゾフの兄弟」のイワン作「大審問官」に匹敵する凄味を感じた。米合衆国文学から一作選べと言われたら私は躊躇することなくこれを採る。
 さて、私は鈍な耳のお陰で当盤の第1楽章を聴いても鈴木のようにアンサンブルの乱れは気にならなかった。テンポの動かし方が大胆で、いかにも激情型、いや劇場型の指揮者らしいと思っただけである。既に何遍も繰り返してきたが、動的なスタイルは6番なら大歓迎である。17分弱というトラックタイムは中庸だがスケールはかなり大きい。ただし、楽章の締め方が短く「ジャン」なのは尻すぼみにも思える。18分強を要する第2楽章でも同様のテンポいじりを続けているが、4分32秒以降の極端なスローダウンは他ではあまり耳にした記憶がなく、さすがにここまで来ると異色演奏とも言いたくなる。第3楽章でもトリオがノロノロ。まあスケルツォとトリオに極端なテンポ差を設けるのはこの指揮者の常なので驚かなかったが。終楽章は猛烈なスタートダッシュをするのかと思いきや、意外にも堂々とした立ち上がりあった。静かな部分に入るとさらに遅くする。そのためトラックタイムが第1楽章と同じ16分台であるが、両端楽章の差がここまで小さい演奏は極めて珍しいのではないか?(と思っていたが、1分以内という演奏は少数ながらも存在し、さらにケーゲル盤やカイルベルト盤では両者の関係が逆転している。)15分42秒、46秒、48秒、50秒(以下略)と立て続けに連打されるティンパニは次第に音量を上げるため、爆撃が近づいてくるかのような迫力を感じた。(最後の最後で埋没してしまうのが残念だが。)このように最初から最後まで劇的な演奏ゆえ結構楽しめたし、途中で何度か意表を突かれたことも評価したい。(こうなると音色が地味なことが惜しまれる。この曲もBRSOとの録音が残っていればなあ!)ただし、ヘッドフォンで聴くと最後の「ジャン」がいかにも唐突、というより明らかに不自然と聞こえる。編集により別テイクをくっ付けたことがバレバレだ。これは大減点。

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