交響曲第9番ニ短調
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団
88/10
DECCA 466 339-2

 ブックレット裏のトラックタイムを見て思わず引いてしまった。両端楽章の差が4分近くあったからである。全体としてのバランスが崩れていても楽章単位では悪くない、というケースはほとんどなく、そういう演奏をするような指揮者は必ずといっていいほど楽章内でもおかしなテンポ設定をしている。当盤も案の定「インフレーション」前からせわしない加速で興醒めしてしまった。他にも4分46秒から約10秒間だけ速くするなど、ブロック構造を全く考慮していない。12分30秒から急加速し、ティンパニを大きくしながらピークに突入するところのあざとさに遂に堪忍袋の緒が切れた。こんな風にテンポをめまぐるしく変えるのは交響詩の演奏スタイルであって、交響曲、少なくともブルックナーでは許されないことである。ドホナーニと親交のあった指揮者の言葉を拝借して「もはやブルックナーではない」と言ってしまおう。ブルックナー総合サイトの投稿ページにて「これほど虚飾にみちた演奏は他にない」「ブルックナーを愛するものから最も遠い演奏がここにある」とまで酷評されているが、よく考えたら彼のブルックナー全集録音(結局完成せず)の最初がこの9番だった。つまり、よく解らないまま手探り状態で臨んだのが全ての元凶ということかもしれない。
 「名曲名盤300」98年版で1人だけ点を入れた根岸一美は「短く、軽く、線はやや細いが小綺麗な9番で、ショルティやジュリーニの重厚さに付いていけない人にお奨めしたい」と書いている。それはまあ好きずきだが(そして「ジュリーニはともかくショルティは違うやろ」と言いたい気分だが)、次の「強音の頂点の部分を速めのテンポで奏し、圧迫を避けているほか、第1楽章の練習記号Oを速いマーチのように扱うなど、面白い個所が少なくない」については文句を付けたい。速めのテンポは悪くないが、加速しながらピークに入るのは既に他のページにも書いたようにペケである。また「練習記号O」は13分32秒以降を指しているのかもしれないが(楽譜を持っていない私には断言できない)、結局はこれも面白いだけではないか。「部分こだわり派」のシューリヒトと同類で私には不愉快なだけであるし、「混沌」こそ聴かれないものの造形無視という点では朝比奈の94&96年盤といい勝負である。手遅れだがコーダ(20分15秒〜)はちゃんと一枚板になっている。やればできるのに全く惜しい。第2楽章は対称構造が把握しやすいためテンポ設定に問題はない。ただし、主部の終わりはティンパニが出しゃばり過ぎてパートバランスが損なわれている。終楽章にも特に不満はない。というより相当に完成度の高い演奏である。これに第1楽章の出来さえ伴っていればトップクラスの評価になっていたはずである。

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