交響曲第7番ホ長調
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団
90/08
DECCA 466 336-2

 精度が非常に高いけれども神経質なところはあまり感じない。また、大きな傷もない代わりに特に感動したということもない。当盤に限らないが、こういう演奏に対してはどこから切り込んでいったら良いのかが分からないので非常に困る。そこで、またしても「名曲名盤300」(98年版)から根岸一美のコメントを引っ張ってくることにした。

 声部間の関係がバランスよく整えられており、ポリフォニーの
 織り成しの美しい演奏である。細部への取り組みが克明なほど
 に行われており、移行の部分をはじめ、緩急の変化に独自な点
 が多い。特にフィナーレは伸縮の扱いが面白く、聴きどころと
 なっている。

引用させてもらいながら「んなら第3楽章までは聴くに値しないっちゅーことかい」などと揚げ足を取ってはいけない。第1楽章最初の5分間こそ特にどうということもなく聴けてしまうが、その後「緩急の変化に独自な点」が登場する。5分過ぎからベームのように一直線に加速するのではなく、5分18秒でアクセルを緩めるのである。このようにテンポや音量の変化がいわば曲線的と感じられることが少なくない。そのためか決して「イケイケ」にはならず節度が感じられる。つまり、ここでも「ええ塩梅」である。コーダのテンポも適性。ラストの大減速さえなければ高得点だったのに。(私の好みではない。)アダージョも移行部分でのテンポ変更を多用している。しかし、細心の注意を払っているのであろう。決してあざとさを感じさせないのは流石だ。例えば10分過ぎのハ長調部分が「スタスタ」だと神経に障って再生を止めたくなるのだが、当盤ではそういうことは全くなかった。とは言ったものの、ジックリ聴くと曲線的な歩みが全く気にならない訳でもない。15分50秒からテンポ揺らしの振幅が次第に大きくなり(「歌うような」のとはちょっと違うように思うが、こういうのはどう形容して良いのかわからない)クライマックスの直前で腰を落とす。ところが、以降は比較的早足で通り過ぎてしまう。私は何とか大丈夫だったが、きっと我慢できない人もいるだろう。スケルツォ主部は少々いらち気味、トリオはゆったりでコントラストを付けている。
 そして終楽章だが、確かに冒頭から「インテンポ」など頭の中に全くないかのような目まぐるしさである。それでいて先述したように神経質とは聞こえないのだから不思議だ。(さすがに9分過ぎからの「セカセカ」には閉口したが。)自宅でも楽譜を研究していたというヴァントとは異なり、その場で何とかしようというドホナーニゆえ、徹底的に突き詰めることがなかったためであろうか? ただし、そういうタイプのせいか曲によっては「生半可」と聞こえなくもない。とにかく彼のブルックナーからは指揮者の確信といったものがほとんど感じられないのは確かで、言葉は悪いが「のらりくらり」「なまくら」という印象を受けてしまう。曖昧さの全くないロスバウト盤を推していた鈴木淳史ならば、当盤についても延々と酷評を書き続けることができたに違いない。
 実はこの7番がドホナーニのディスク評作成の最後になる。目次と9番のページを除いて本当に苦労した。来月執筆分の2人はたぶん大丈夫だろう。いくらでも書きたいことがあるから。

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