交響曲第6番イ長調
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団
91/10/07
DECCA POCL-1430

 既にどこかに書いているはずだが、3番以降で一部の曲だけが欠けているという状態は決して快いものではない。ちゃんと録音が残されているのであれば尚更だ。よって2枚組3種(3&8、4&9、5&7)を所持することになったドホナーニについても、残された6番を入手してケリを付けようという気持ちが高まって、いや固まっていた。「尼損」のマーケットプレイスで定価ピッタリの3059円(元は税込3000円だったものが消費税率の3%から5%への変更に伴い値上がり)で売られているのは知っていたが、それ以上の出費(配送料・手数料340円が加算)はアホらしいと思って手は出さなかった。ところが、しばらくぶりに同所を覗いてみたところ、別業者から2141円で出品されていた。諸経費込みで2481円だから生協価格(15%引)より少し安い。それで「ま、いっか」と注文してしまった。届いてから気が付いてみれば新品。しかもドホナーニのブルックナーとしては唯一(最初で最後)の国内盤入手という結果になった。
 さて、その帯には「精緻でクリスタルなサウンド、細密画のような構築力は、“涼しげでしかも熱い”興奮を呼び起こす」とあり、根岸一美の解説にも同じような単語が並んでいた。(「一見重い岩石のようなブルックナーのスコアから、精緻なクリスタル的な音楽が作り出されることになる」など。ただし“涼しげでしかも熱い”はどこにも見当たらなかったから、帯のキャッチコピー担当者による完全な創作である。)一方、「尼損」に掲載されている「CDジャーナル」データベースのコメントは以下の通り。

 無難街道一直線のドホナーニ。これも,どの方向から見てもケチの
 つけようがない出来。しかし,ほかにくらべて特にここがいいとい
 うのもなし。極薄の水割で,とりあず酒でも楽しみたい,という感じ
 でしょうか。身体にはいいけれど,面白味は極めて希薄。

これを書いたのは誰だろう?「無難街道一直線」からはサヴァリッシュを安全運転のお守り扱いしていた鈴木淳史の名が一瞬脳裏に浮かんだが、彼は当盤発売時(94年)には未だ売文業を始めてはいなかったはず。そもそもドホちゃんの3番を「どこもかしこも間違っているう」などと貶しまくったアツくんならこんな生ぬるいことを書くはずがない。それは措いといて、上記酒の喩えから私はここでも(既に小澤7番評で使用済)日本酒「上善如水」(じょうせんみずのごとし)を思い出した。となれば、あの人気銘柄と同様に好みがハッキリ分かれる可能性は高い。おそらく宇野功芳や箸にも棒にもかからない男の耳には「ブルックナーから最も遠い」「のっぺりして血が通っていない」などと聞こえたであろう。
 実際聴いてみると、同じ米合衆国オケを振ったショルティ盤やロペス=コボス盤のように第1楽章主題提示からイケイケドンドン型の演奏ではない。主題をサポートする対旋律も良く聞こえる。かといってスクロヴァのようなあざとい強調もしていない。あくまで中道路線まっしぐらである。やはりヴァントが認めていた指揮者だけに構造把握やパートバランスの調節には秀でている。と思っていたのだが、楽章ラストで意表を衝かれた。あと残り数秒というところでテンポを大きく落とし、故意にティンパニのリズムを崩している。そうなると終楽章の締め括りでも何かやっているはずと予測できる訳だが、(ティンパニの派手な立ち回りこそないものの)案の定ラストの一音を引っ張るという荒技に出ていた。これらはまさにショルティが好んで用いていた手法ではないか! もしかするとドホナーニは彼の自宅を訪れるべくシカゴまで赴いたのではあるまいか? などと要らんことを書いてしまったけれども、あたかもヴァントとショルティが同居しているかのような印象を受ける演奏ゆえ、聴き心地は決して良いものではなかった。(特に欲しくもない品をわざわざ入手したのに、こんな評しか書けないのは我ながら悲しい。)

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