交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団
93/06/01
DECCA 443 753-2

 鈴木淳史は「クラシックCD名盤バトル」にて、自分では全然良いと思っていないにもかかわらず当盤をわざわざ採り上げて散々ケチを付けている。そのことに対し既に彼のページにて「最低レベルの批評」と私はコメントした。いったいどこまで卑怯な奴なんだ、と私は憤りを抑えることができなかったからである。ここでもう少し補足しておく。鈴木によると、大抵のダメ演奏とは異なり、当盤は「なぜダメなのか」「なぜこんな演奏をしてしまうのか」がサッパリわからないのだという。ならば最初から何も書かなければ良かったのに。アホだ。そのクセ「まったく意味不明」「すべての部分でブルックナーの音楽ではない」「どこもかしこも間違っているう、と叫びたくなるような演奏」などと全否定を軽々しく多用している。(たぶん根拠薄弱だったり論理飛躍していたりするだろうが、鈴木のページやチェリのディスク評ページなどにて、私は少なくとも彼の批評の「どこがダメなのか」についてはハッキリ書いてきたつもりである。)指揮者を「ドホちゃん」呼ばわりもしている。いったい何様のつもりや。彼自身は次の段落で具体的にどんな演奏か述べたつもりらしいが、「第一主題がこれほどまでに意味を失って響いた例を私は知らない」「信じられないような無内容さに達している」などは抽象的で全く具体性に欠けている。誹謗や中傷の類はこの世に満ち溢れているけれども、これほどまで批評しようとする対象を理解しないままに悪評を垂れ流したという事例には、そうそうお目にかかれるものではない。まさに永久保存版とでも言いたくなるほどおバカな批評だ。
 ということで、そんな罵詈雑言は全く無視して聴けばよい。第1楽章の主題提示部はなかなかに立派である。(むしろ、鈴木が本当に推したかったと思わしき演奏こそ私には受け入れがたい。冒頭のトランペットがほとんど聞こえないし、その直後からやたらと騒がしくなるため閉口してしまった。「何のためにあんなことをしたのか全く意味不明」とまでは言わないが。)テンポ設定に疑問を感じる箇所はほとんどなく、少々早めの基本テンポゆえ特に変わったことをしなくとも2稿の退屈さが回避されている。(スケルツォのコーダがないエーザー版というのも大きい。)盛り上がり部分での迫力も不足していない。正攻法で押し切っているという印象を受けたが、やはりヴァントと仲の良かった指揮者だけのことはある。ただし、先に「ほとんど」と書いたように第2楽章ではテンポいじりが時に耳に付いた。特に7分過ぎからのフワフワ浮いているような軽い足取りには「なんで?」と言いたくなった。これではリズムが曖昧になってしまう。(ちなみに、鈴木が推した指揮者もここでは同じような解釈をしているのだ!)このように首を捻りたくなる箇所が全くない訳ではないから、それらに対して「間違っている」と指摘しても構わないとは私も思う。もちろん全否定など言語道断だが。後半2楽章はともに充実している。リズミカルで見通し良好な第3楽章、第1楽章以上に堂々としている終楽章、ともに隙が全くない。(一体全体どういう聴き方をしたらこういう演奏にケチが付けまくれるのか不思議である。)それだからこそアダージョが余計に惜しい。

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