交響曲第9番ニ短調
ヴラディーミル・デルマン指揮エミリア・ロマーニャ「アルトゥーロ・トスカニーニ」交響楽団
94/04
ERMITAGE ERM 423-2

 ヤフオクで「爆演」「珍盤」などとして出品されているのを何度か見かけたことがあるが、「どうせゲテモノだろう」と手を出さなかった。掲載されていたジャケット写真があまりにもグロテスクで嫌悪感を催さずにはいられなかったということもある。今年(2006年)に入り、その演奏も収録された格安10枚組セット「グレート・コンダクターズ」がDocumentsレーベルからリリースされると知った。2000円以下という価格は魅力的だし、HMV通販ではこのデルマンのブル9について「その演奏は風貌と同様、きわめて個性的なもので、このアルバムに収められたブルックナーの第9番でも独特のルバートやバランスで起伏の大きな流れを作り出し、大きなスケールの音楽を構築しています」と紹介していたため聴いてみたくなった。が、他にステレオ録音はさして興味のないシェルヘンの「運命」(&リハーサル)のみで残り8枚がモノラル、さらにクナのブラ2&ベト8、フルヴェンのフルトヴェングラーの「田園」&モツPC20は既所有(他のラインナップには全く興味なし)という理由で手が伸びなかった。ところが3月末の東京出張時にお茶の水「組合」にて当盤の中古を発見。420円に釣られて買ってしまった。
 さて、ブックレット表紙掲載の指揮者の写真を改めて眺めてみても異様である。まるで酩酊を通り越して泥酔状態のオッサンではないか。クナのディスク評執筆で大変お世話になったS氏のサイトでも当盤について触れられており「『冗談音楽』のジャケットかと思った」とあるが、確かにブルックナーよりは「P・D・Q・バッハ」あたりに似合いそうな写真である。ただし氏によると「音楽は『冗談音楽』ではなく、いたってシリアス」ということである。ところが「第3楽章に至っては、途中からうなりだし、最後はオーケストラと一緒に歌っている」とあるから、一体どこまでが真面目でどこからがお巫山戯なのか判らないような演奏かもしれない。ということで興味津々で試聴に臨んだ。
 第1楽章は立ち上がりから(当盤の直前に試聴した某ディスクとは対照的に)やる気満々である。インフレーションからビッグバンまでの迫力には圧倒される。さほど部厚い響きでもないにもかかわらず、これだけのスケール感を出せるのは大したものだ。なお、フレージングがぶった切りで無愛想なのは、冷酷非情で有名だったトスカニーニの名前を借りているからだろうか?(←まさか)と思ったが、騒ぎが収まってからは粘りに粘り、うねりにうねる。が、6分過ぎから尻軽加速。こんなんばっかし。スタスタとノロノロの繰り返しを聴いている内に、いつしかブルックナーではなくてオペラの管弦楽部分を聴いているような錯覚にもとらわれてしまった。(ただし突如として崩れるのではなく、「崩し」がしょっちゅう入るので途中から慣れてくるし、ある程度は展開が読めるようにもなってくる。つまり某指揮者の必殺技である「ご乱心」によって気分を害されるということはない。)やり方としては全く正しくないとは思うが、大真面目にやっているのは確かだと思う。そして、結果として笑いを呼んでしまう。デルマンには悪いが、こういうのは上質の冗談音楽だと私は思う。素人の投稿ビデオが下手なコントよりも面白いのと一緒だ。
 第2楽章は全曲中で最も真っ当な演奏を繰り広げているが、前楽章とは打って変わって素っ気なさすぎで物足りなかった。(ただし5分少し手前からは独り言のようなボソボソ感が面白かった。)そして終楽章であるが、拍手を引いた正味の演奏時間は約21分。第1楽章との差は6分以上で著しくバランスを欠いている。同タイプの最悪盤(シューリヒト&VPO61年盤)を叩きまくってきた手前、これは批判しない訳にはいかない。というより、3つの楽章それぞれを別の指揮者が振っているかのようだ。この楽章はとにかく遅い部分の脱力感が尋常ではなく、低血糖によるガス欠状態に陥ったのかと心配になったほどである。もしかすると当盤は何の脈絡もない音源3種を組み合わせたものであり、「デルマン」というのも「リッツィオ」や「アドルフ」と同じく「幽霊指揮者」で、写真の髭面男は近所の老人に棒を持たせて撮影したものではないか? オケ名にしても随分胡散臭いので架空団体かもしれない。こんなアホなことを考えてしまった。ところで、指揮者の揺さぶり攻撃にもちゃんと対応していることから、オケの技量はなかなかのものと推察される。それとも指揮中のデルマンに憑依したトスカニーニの亡霊に怯えていたメンバーが無我夢中で演奏したお陰だろうか? と妄想連発でここは終わる。
 なお指揮者のしゃがれ声は既に第1楽章から確認できたが、終楽章はまさにオンパレードで、悪夢にうなされている人間の寝言(呻き声)のようで非常に不気味である。ヘッドフォンによる試聴は断念せざるを得なかった。こういう演奏は少し前なら「洋泉社系泡沫ライター」の誰かが共著本で採り上げ、それなりに人気も勝ち得たと想像するが、彼らの全盛期はとっくに過ぎてしまっている(前世紀で終わってしまっている)から、今後脚光を浴びる可能性は残念ながらほとんどないだろう。

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