交響曲第7番ホ長調
フランチェスコ・ダヴァロス指揮フィルハーモニア管弦楽団
88
ASV CD DCA 625

 とっくに廃盤(国内盤、輸入盤とも発売は10年以上前)となっているが、amazon.co.jpにてレビューは読める(以下は「CDジャーナル」データベースより)。

 噂のダヴァロスによる待望のブルックナー。細部に至るまで神経を
 行き届かせながらも、ブルックナーらしいスケール感を少しも壊し
 ていない点が素晴らしい。「最後の巨匠」と呼ばれるダヴァロスだ
 けど、実は新時代の「最初の巨匠」なのかもしれない。

「新時代の」などと勿体ぶった言い回しをしているけれども、時代は常に「巨匠」を求めるものだから最後だろうが最初だろうが、これから先も登場し続けるだろう。なので、こういうコメントはほとんど参考にならない。一方、あるサイトの当盤試聴記にて指揮者をこのように評しているのを見つけた。

 ダヴァロスはいまどき珍しい巨匠タイプの音作りをする指揮者です。
 一時ブームになり、今はあまりレコードもみかけませんが、機会が
 あれば聴いてみてください。

ふと「巨匠タイプの音作り」が「巨匠風演奏」と言い換えられるように思った。ここから脱線する。
 私はかつて「週刊FM」を定期購読していたが、特に再生装置に興味がある訳ではなかったのに故長岡鉄夫(オーディオ評論家)の連載エッセイ「いい加減にします」は大好きだった。(←既にマズアの4番LGO盤ページで触れていたことに今気が付いた。やれやれ。)彼はある回で「手打ち風蕎麦」に言及し、それは結局のところ「手打ちではない蕎麦」のことであると考察していた。さらに「○○風」「○○調」などが前に置かれているものは例外なく「本当は○○ではないもの」であり、要は「贋物」であることをごまかしているに過ぎないとまで言い切っていたように記憶している。(もちろんオーディオ話から派生していたはずだが、何だったか忘れてしまった。以下は二次脱線であるが、最近入手したエッセイ集「先崎 学の実況! 番外戦」によると、著者はプロ棋士になってから高級そば屋にも足を運ぶようになったものの「手打ちということばにほとんど心を動かされない」そうである。「どうみてもまずい、食べられるゴムのようなそばを出すところ、果ては手打ちといいながら、どうみても手打ちではないそばを出すところも多いのである」というのが理由らしい。さらに「高級店のそばは、量がすくな過ぎる」という不満もこぼしていた。これには全く同感である。そういえば「信州そばのコストパフォーマンスは圧倒的に低く、さぬきうどんと並び称されるような代物ではない」と怒っていたのは椎名誠だったか?)長岡理論を適用すれば「巨匠風指揮者」ダヴァロスも(以下略)ということになるのだろうか。ちなみに、「クラシックCD名盤バトル」のフランクの交響曲の項にて許光俊が推したのが、この指揮者&オケによる演奏である。その頁に「日本では1990年代に突然大量のCDが発売されたダヴァロスは、これまた疾風怒濤のごとく消え去っていった」という記述がある。一方、私は90年代に入ってしばらくの間(海外在住&ラテン音楽にのめり込みにより)クラシックから遠ざかっていたが、あるいはダヴァロスのCD大量発売と時期が重なっていたのだろうか? とにかく当盤の存在を知るまで全く馴染みのない指揮者だった。
 第1楽章は少々速めのテンポで軽快に進む。オケの明るい音色ともマッチしており非常に心地よい。技術的に難のある箇所は聞かれなかった。テンポ設定も問題なし。と思っていたのだがコーダでやっちまいやがった。某指揮者の75年盤に匹敵するノロノロテンポを採ったため見事腰砕けになっている。音密度がそこそこあるためスカスカ感やハリボテ感はあそこまで酷くはないが、所詮は焼け石に水である。こういうのはまさに「巨匠風の解釈」と呼ぶに相応しい。先の許による「疾風怒濤」発言であるが、それも故なきことではないように思った。
 こんな体たらくではアダージョもどうせ、と思って聞いたが、3分44秒でテンポを上げるのも控え目、5分21秒と28秒の弦のしゃくり上げも洒落っ気があって悪くない。8分51秒のハ長調部分はもたれすぎの感もあるが、弛緩防止策として(スローテンポを支えきれずに)駆け出してしまうよりはよっぽどマシである。つまり、この楽章の基本テンポ設定は妥当だったということになる。ダヴァロスは「巨匠風指揮者」としては大関クラスということになるだろうか。クライマックスでのシンバルのコンマ数秒の遅れにも、もはや腹は立たなかった。
 当初は「後半楽章は割愛」とするつもりだったが、スケルツォにはコメントしなくてはなるまい。トラックタイムは何と8分を切っている。(他にはメータに7分35秒という超特急演奏があるらしい。ちなみに快速系指揮者レーグナーは、なぜかここは標準テンポで9分台である。)トラックタイムが近いということで朝比奈の92年盤(8分ちょっと)を思い出したが、あちらの猪突猛進スタイルとは趣が全く違う。速いけれどもセカセカ感、息詰まるような切迫感といったものがない。かといって淡々と流しているだけでもない。何とも不思議な演奏なのでうまく形容する言葉がみつからないのがもどかしい。終楽章は12分弱で平均よりは少し速めなのだろうが、かなり動的なスタイルで内容盛りだくさんという印象を受けた。どうやらこれらの楽章では本領が発揮されているらしい。もしかすると前半は悪いところが耳に付きすぎたのかもしれない。これなら「巨匠代理」ぐらいの肩書はくれてやってもいいかな、と思った矢先である。やっぱり最後にやってくれた。これには脱力するしかありませんでした。

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