交響曲第6番イ長調
ハインツ・ボンガルツ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
64/12
BERLIN Classics 0091672BC

 「フルトヴェングラー 没後50周年記念」(Gakken Mook)の「丸山眞男 vs 宇野功芳 幻のフルトヴェングラー論争」にこんな話が出ている。筆者の中野雄は「クナとフルトヴェングラーは、これ以上の名前は考えられないほどではないか」という宇野の文章に丸山があからさまに疑念を呈したことを伝えた。それを聞いて「あれは冗談なんですよ」と大笑いしたそうだが、姓名判断に凝っていた彼はあくまでこんな風に食い下がった。

 でもね、名前と音楽って、ぼくは絶対関係あると思う。良い名前だから、
 良い音楽をやるって決まっているわけじゃないけれど、変な名前の人が
 良い音楽をやったという実例はないですよ。例えば○○○○・○○○○○
 って指揮者がいるんですが、名前を聞いただけで、ぼくは「駄目だ」と思
 った。変な名前でしょう。事実、音楽も駄目でしたよ。

これを読んで、槍玉に挙がったのはこの指揮者ではないかと何となく思ったのである。(彼の言語野は「凡ガルツ」と知覚したに違いない。しかし、これが「梵ガルツ」なら一転して宗教的になる。何せ「宇宙の根本原理」あるいは「宇宙の最高実在」を指す文字だから、彼の大好きな「高い精神性」を備えた音楽家を思い浮かべることだってできたはずだが、そこまでの想像力を彼に求めるのは酷であろう。)このまま妄想モードで突き進ませてもらうと、もし図星なら宇野がダメと聞いた指揮者ゆえに名演の可能性は極めて高い。何としても入手しなければならぬと決意した。(←我ながら何というメチャメチャな動機やろと呆れてしまう。)
 などと勿体ぶった書き出しをしたけれども、実は指揮者名と当盤の存在は以前から知っていたし気になっていた。ネットの人気投票企画「ブルックナー・ザ・ベスト」で挙がっていたからである。また、長野のKさんも未聴ながら注目されているらしい。かつてヤフオクでかなり高騰したという記憶があったため、1300円で出品されているのを見つけた時にも「たぶん更新されるだろう」と思いつつ5割増し価格で自動入札しておいたのだが、結局そのまま終わってしまい拍子抜けの気分を味わった。もちろん嬉しさの方が先だったが。
 ネット評を2箇所で目にしたが、いずれも「金管の突出(アンバランス)」を理由に異色の演奏と位置づけていた。(某掲示板でも同様のコメントを目にしたような気がする。)が、この曲はフツーに折り目正しくやられたらつまらなく感じるのは耳に聞こえている(「目に見えている」の聴覚バージョン)から、却ってありがたく感じるかもしれん。何はともあれ実際に聴いてみた。
 第1楽章冒頭の「チャッチャチャチャチャ」がゆったり。私の好みだ。が、その直後(0分54秒〜)、あたかも獲物に襲いかかるような金管の音色には心構えがあっても驚かされてしまった。ケーゲル盤にせよレーグナー盤にせよ東独系演奏は鋭さをウリにしているという印象を持っているが、そういうのとは少し違う。なぜならティンパニのリズムがどちらかといえば鈍重だから。スムーズに「ダンダダダダ」と流れるのではなく、「ダンッダダダンダンダン」と少々モタついているように聞こえる。それに語弊があるなら「後ろがかり」でも構わないが、私にとっては「前のめり」よりもはるかに好ましい。(既に一部読者はお察しかもしれないが、ショルティ盤と何となく似ている。)1分16秒以降に主題を吹くホルンや金管もどことなく野暮ったい感じである。ということで、「音色とリズムとの関係」ということならば先の「アンバランス」という形容にも同意したい。そして、この均衡が崩れそうで崩れないというか、微妙なところで踏みとどまっているような演奏を聴いていると確かに妙な気分になってくる。が、この危なっかしさが何ともいえない味を出しているのも事実なのである。14分23秒以降はまさに哀愁タップリで、特に16分過ぎの金管合奏は社会主義の落日を嘆き悲しむかのようである。まだそんな時代ではなかったはずだが。コーダの最後40秒ほどはモタモタを通り越してヨレヨレとなり、今にも停止しそうな国営工場のラインが目に浮かんでしまった。6番でこんなに退廃的な演奏を聴いたのは初めてだ。
 アダージョは最初の5分こそノロノロだが、以後は打って変わってスタスタテンポになる。正直なところ録音はあまり良くない。ノイズ混入はあるし、それ以上に音色に潤いがまるでないのは通常なら致命的になりかねないところだ。しかし、お陰でこの楽章がシュールそのものに仕上がっているのだから結果的には成功しているといえる。スケルツォも金切り声のようなブラスの活躍で全く飽きさせない。が、トリオに入ると完全に浮き浮き遠足気分(特にホルン)で、ここでもアンバランスに唖然とさせられた。フィナーレも立ち上がりこそオーソドックスだが、このままスンナリ行くはずがない。と思っていたが、案の定1分20秒でテンポを大きく落として盛り上げてくれる。一方、短調部分では寂寥感が、軽快な部分では躍動感が前面に出てくる。要は非常にわかりやすい演奏である。垢抜けしていないのは相変わらずだが。ヤケクソのようなラストは圧巻であった。
 読者の目には悪し様に書いた所が少なくないと映るかもしれないが、何といってもバランスを大きく欠いている演奏だから私の気に入らぬはずがない(6番限定)。もっともショルティ盤同様の「爆演系」に属するゆえ、完成度で上回るあちらの優秀性が改めて浮き彫りにされる結果となった。

6番のページ   指揮者別ページ