交響曲第7番ホ長調
ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団
88/05/14
Altus ALT-151

 今年(2008年)に入って「ブルックナーのページ」の更新ペースがすっかり鈍っている私だが、実際のところ所有枚数もほとんど増えていない。既発盤で聴きたいものはあらかた手に入れてしまったし(ギーレンとメータの4番ぐらいかなあ?)、新譜を購入する意欲も薄れてしまった。ヴァントのライヴ映像集成BOX8枚組は予約注文を入れて入手したが。(とはいえ未だ半分も観てない。)そもそも国内盤の発売自体がめっきり少なくなったような気もする。
 ところが当盤は即刻カート入りという最近では珍しい待遇を受けることとなった。理由は他でもない。マーラー指揮者として定評のあるベルティーニのブルックナー演奏に興味を抱いたからである。(その点ではリヒターの4番と近い。)「この演奏の精緻さからは、ひょっとしたらマーラーが指揮したらこんなブルックナーが鳴り響いたのでは、と思う」という通販サイトの宣伝文にもそそられた。(そのコメントを発したのは氏名の前に「鬼才指揮者」という文字列が置かれている井上喜惟(きよし)である。許光俊が以前から絶賛していたこともあり少しは気になる存在ゆえ、彼のブルックナーCDが出たら買うかもしれない。上岡の7番のように常軌を逸した演奏時間ではなくとも。ついでながら、井上の経歴を記したページには「1985年よりケルン放送交響楽団でベルティーニのもとで研鑚を積む」とあり、当盤ブックレットでも「ケルン時代のベルティーニ」という彼の解説を読むことができる。)
 実際に聴いてみた。だが、何度聴いても「マーラーが指揮したら」云々はよく判らなかったというのが正直なところ。徹底したリハーサルで知られる指揮者だけにさぞかし緻密な演奏ではないかと思っていたが、必ずしもそうではない。例えば5分過ぎから微加速して盛り上げるところはアンサンブルの甘さがはっきり聴き取れた。またブルックナー最大の特徴であるブロック構造にとらわれることなく大胆な加減速を多用しているのかなと予想、いや危惧しないでもなかったが、テンポ設定は概ね妥当であった(第1楽章コーダの加速も許容範囲内)。少々足並みが乱れている(あるいは故意かも?)と感じられた箇所では例のギクシャクした感じの行進曲(レントラー風?)を彷彿させたが、強引でも「マーラー的」といえるのはそれぐらいではないか。なので「冒頭の響きから、まるで『巨人』が始まるような……そして第9までも聞こえてくる」(井上)にも首を捻るより他はなかった。
 もっとも真っ当な演奏として耳を傾ければ立派な演奏と解るにさして苦労はないはずだ。ケルン放送響といえばゴツい響きというヴァント時代のイメージが耳にこびりついてしまっているが、それとは少なからず異なる優雅な音色はとても魅力的である。レガート気味の弦によるネットリ奏法が特徴的だが、それが見事なまでに効果を発揮していたアダージョは文句なしに当盤の白眉。濃厚だがクドくはないという理想的な名演が実現されている。(ちなみにクライマックスはティンパニのみ使用である。)逆に終楽章はエンディングがアッサリすぎて物足りなさが残った。そういやマーラーの5番ラストもこんな感じだったような。
 なお、解説によるとベルティーニは他に4番や8番も演奏会で採り上げたらしく、井上は最後に「もし第8の録音がどこかに残っていたらぜひ聴いてみたいものである」と述べているが、当盤の満足度が「そこそこ」レベルなので私が買う or 買わないはビミョー。(これが9番なら非常に充実していそうな気が何となくするので手を伸ばすと思うが。)こんなんじゃ今年中の600種類到達は絶望的だな。

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