交響曲第9番ニ短調
ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
90/10
Teldec WPCS-5507

 他の曲ではまずまずの演奏をしていても、9番だけは無謀なテンポいじりで台無しにしてしまう指揮者が多い。ましてや同じBPOとの3568番には少なからずガッカリさせられてきたバレンボイムである。ひょっとしたら聴くに堪えない演奏になってはいないだろうか? また、27分台の終楽章はヘタをすれば間延びしてしまう危険が少なくない。などと、当ページ執筆に取りかかる前から少なからず恐れを抱いていたのであるが・・・・
 ところが実際聴いてみて杞憂であることが判った。(2年前に聴いた時に大して不快感を感じなかったのだから当然だが。)まず間延びについてはBPOの分厚い響きのお陰で全く問題とはならなかった。次のテンポいじりも気に障るほどではなくホッとした。ところで、当盤ブックレットの日本語解説は金子建志が執筆している。例によって譜例付きの詳細な曲目解説はありがたい。続く「演奏について」では「バレンボイムの特徴は、テンポの激しいフルトヴェングラー風のロマン的様式にある」から始め、譜面を示しながらテンポ操作について解説している。第1楽章ファンファーレ主題部(私が当サイトでよく使う「ビッグバン」)では最初の速さに戻る指示、およびその2小節前の急ブレーキ指示しかない。その通りやると相当に大袈裟で不自然な表現になってしまうため、指揮者には現実的対応が求められる。(ふと思ったのだが、仮に「インフレーション」でもインテンポを貫き、それでいて決してわざとらしくないように感じさせることができたとすれば、とてつもなくスケールの大きい演奏が実現できるはずである。)そこで、ほとんどの指揮者は練習記号A(39〜)あたりから少しずつ加速し(同じく「インフレーション」)、「ビッグバン」直前で急ブレーキをかけるのだが、この操作をどの程度やるかが問題になる、と書かれていた。これは非常に勉強になった。(ただし、この項の最初の段落にあった「金属的な傾向にあるシカゴ響の音色よりも、分厚い弦を中心にしたベルリン・フィルの重厚なサウンドの方が、やはりブルックナーには居心地が良い」は半分同意と言ったところか。私はメタリックなブルックナーも結構好きであるし、相性は確かにBPOとの方が良いかもしれないが、完成度をより重要視しているからである。その点ではCSOとの47番の方が圧倒的に高いと私は考えている。ただし、同一曲について新旧両盤の聴き比べを全くしていない私にこれ以上のことは言えない。)
 さらに金子は、こういう操作を全くやらないと間延びした平板な音楽になってしまうし、やり過ぎると構造美やカトリシズムが崩壊しかねないと述べていたが、当盤でのバレンボイムの対応は「ええ塩梅」、いや模範的といってよい。(ヨッフムやシューリヒトは明らかにやりすぎだし、金子によると以前のバレンボイムも若さにまかせてそうなることが多かったらしい。)「熱血漢的な突っ込みが薄れ、重心を低くして大河のような底流にウェイトをかけている」にも肯ける。(好き嫌いでいえば、ショルティの上を行くような派手派手演奏も捨てがたいが、あれはギラギラ音色のCSOでないと効果半減だろう。)よく解らないのが、新全集の第1弾となった当盤は「ええ塩梅」なのに、以降の録音の多くには「ちゅーとはんぱ」という印象を受けてしまうこと。下手にフルトヴェングラーを意識したのが良くなかったのだろうか。(そういえば御本尊の9番は、一度聴いたら真似をしようという気が失せてしまうほど壮絶極まりない演奏ではある。)
 ただし当盤の演奏精度は、既に3番ページなどにぶちまけたのと同様、決して満足のいくものではない。ブヨブヨに肥大したという印象で、カラヤンやヨッフム、あるいはクーベリックの筋肉質演奏と比較すればどうしても贅肉が耳に付いてしまう。(ヨレヨレのヴァント盤よりはマシだが。)指揮者の統率力不足とオケメンの「やりたい放題」の相乗作用でそうなってしまったと想像する。なお、8番ページ下にも載せたように、少年時代のバレンボイムの耳には9番スケルツォがショスタコーヴィチのように聞こえたそうで、「もしや」と思って当盤を聴いたのであるが、実際にはそうと感じさせるような演奏では全くなかった。安堵半分、失望半分といったところか。

9番のページ   バレンボイムのページ