交響曲第7番ホ長調
ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ交響楽団
79/03
Deutsche Grammophon 289 453 100-2

 DISC1の4番である程度免疫ができたせいか、こちらは驚かずに済んだ。第1楽章冒頭のチェロの主題を支える弦の執拗な刻みにしても、その少し後の咆吼しても全く乱れない金管にしても、いかにも高機能オケならではの見事な揃いっぷりである。よって、ここでも御本尊の存在を忘れさせてくれるような立派な演奏に仕上がっているのではないかと期待したが、どっこいそうはいかなかった。おそらく4番ほどは派手な立ち回りが多くないためであろう。4分37秒からいったんテンポを落とし、5分過ぎからピークに向けて加速するが、直前で再び足取りを緩める。このような頻繁なテンポ揺らしはいかにも時代錯誤的、いや時代がかっており、指揮者のフルトヴェングラーに対する傾倒ぶりが見事なまでに表れていて興味深かった。シンミリ口調になる17分10秒からガクッとテンポを落とす。朝比奈盤もそうだった。そういえば彼も信奉者だったと今更ながら思い当たった。(早い話、彼らのこの部分の解釈はフルヴェンのコピーである。)コーダをノロノロで始めて少しずつ加速するのは正直不愉快ではあるが、アンサンブルが雑でない分だけ苦痛は少なかった。
 この点に関しては第2楽章以降も同様である。そもそもフルヴェンの演奏が5番や9番ほど荒れ狂っていないため、バレンボイムの演奏にも耐え難いというほどの逸脱行為がなかったのは助かった。それゆえ彼は「表面的にコピーをしているだけ」などと批判されてきたのであるが・・・・(この点、朝比奈はアダージョの加速もあざとく、いや顕著にやっているため、私は不快感を覚えずにはいられないが、ある意味「オリジナルを超えたるわい」という気概を持っているといえるかもしれない。)なお、アダージョのクライマックス(18分10秒)でシンバルが鳴るのは当然だが、その数秒前からティンパニが入って少しずつクレッシェンドするのはかなり迫力がある。直前に入ってくるのは他にシュミット=イッセルシュテットにも例があるが、これは何だろうか?(御本尊も含め、改訂版による演奏が必ずしもそうやっている訳でもない。→追記:フルヴェン49年盤で確認した。たぶんそれを踏襲したのだろう。)とにかく、テンポをかなり落としてネットリ進められるこの楽章の再現部が当盤最大の聞き物である。
 後半2楽章も遅い部分でこそ濃厚な表現が聴かれるものの、前半のような劇的な解釈は影を潜めている。特に終楽章は忙しないテンポいじりがなく、解釈自体はどちらかといえば淡泊に感じられる。代わって耳に付いたのはシカゴ響特有のけばけばしい、いや輝かしい響きであり、何だか時代がいきなり30年以上も進んだように錯覚してしまった。

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