交響曲第3番ニ短調
ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
95/12
Teldec 0630-13160-2

 フルトヴェングラーが録音を残していない曲だけに、お手本なしでバレンボイムがどこまでやれるか興味津々(要は意地悪な気持ち半ば)で聴いた。とはいえ、この3番のamazon.co.jpのカスタマーレビューは好意的だったし、他に2箇所ばかり褒めているサイトも存在したと記憶している。なので残りの半分は期待だったのだが・・・・
 例によって第1楽章冒頭部から厚みのある響きに圧倒される。カラヤンのように時に息が詰まるほどの凝縮感はなく、その代わりに拡がりやしなやかさでは当盤が上回る。どちらを取るかは好きずきだろう。5分39秒以降がおとなしいのは意外だった。ここはテンポいじりの好きな指揮者なら加速したがる箇所であるし、フルトヴェングラーが振ったら間違いなくそうしていただろう。そういう解釈が大嫌いな私は「悪しき見本を真似さえしなかったらちゃんとやれるじゃないか!」と思ってしまった。しかしながら、6分40秒付近はいただけない。明らかに燃焼度不足だし、その前のテンポ設定からして中途半端だ。(インテンポなのか微妙に変えているのかハッキリせいと言いたくなる。)11分05秒のピークもタメがなく、音を垂れ流しているだけに聞こえる。(2稿使用だけに、ここは3稿以上に盛り上げないと平板になってしまう。)こういう所を挙げていけばキリがないので止めるが、要はもう一歩詰めが甘いと感じてしまうということだ。その最大の元凶は音楽の流れの悪さであり、さらにそれがアンサンブルの乱れに起因していると思えてならない。再現部の立ち上がりで管楽器が主題を受け渡しするところは耳を塞ぎたくなった。(14分40秒で本来あってはならないフライングホルンが聞かれる。)これでは世界トップの看板が泣く。コーダの20分35〜37秒のモタモタもカラヤン時代には考えられなかったことだ。当盤の翌月にあのヴァントの完璧な5番が演奏されたのが信じられないほどである。(つまり、当盤で聞かれた乱れはオケの技量よりも指揮者の統率力の不足に原因を求めるべきということになろう。)
 遅い第2楽章に明らかな「乱れ」と指摘する箇所はないが、時にリズムが甘いことが災いしてフニャフニャした感じに聞こえる。許光俊が「クラシック名盤&裏名盤ガイド」に「昨今のベルリン・フィルの演奏といったら、奏者がやりたい放題の快楽地獄で、音楽の統一感が実に希薄ではないか」と書いていたのを思い出した。こういうのを聴いたら、そう感じても当然だろう。妙ちきりんなフレージングに首を傾げたくなる所もいくつかあり、(曖昧な言い方になってしまうが)指揮者がブルックナーをちゃんと理解していないからこんな風になってしまうのではないか、とふと思った。お手本を忠実になぞって(見かけだけでも)暴れ回るスタイルで演っていれば、あるいはバレンボイムもボロを出さずに済んだのかもしれない。失礼ながらこんなことも考えてしまった。第3楽章は悪くない。終楽章は第1楽章と同じ印象なので割愛する、つもりだったが、コーダでそれ以前より速めの別テンポを採りながら最後の最後で腰を落とすという解釈は許し難い。あたかも5つ前の文章を裏付けているかのようだ。
 最後になるが、ヴァント&NDR盤ページの本文締め括りに「ベルリン・フィルにあの鮮明さが出せるとは思えない」という理由で3番録音が実現しなかったことを惜しんではいないと書いた。当盤を聴いてその思いはますます強くなった。むしろ落胆させられずに済んだこと、および無駄な出費を抑えられたことを喜ぶべきかもしれない。

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