交響曲第9番ニ短調
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
95/04/23
Pony Canyon PCCL-00477

 当盤購入には思いっ切りケチが付いたが、それは96年東響盤ページにぶちまけている。その後生協インターネットショップでも在庫切れで、やむなくアマゾン通販から定価(1575円)で買った。(一時期5%引きの値が付けられており、1496円では送料無料にならなかったので戻るまで待った。ところで、あのサイトの「○点在庫あり。ご注文はお早めに。」は本当だろうか? 私が見た時は最後の1点ということで慌てて注文を入れたのだが、その後在庫切れになったということはない。2005年3月時点でまだ在庫はあるらしい。同じメッセージは他盤でも目にしているが、時には○の数字が増えていたりもする。まさかインチキ商売じゃないだろうね?「完全限定生産につき現品限り」という張り紙で購買欲をそそり、首尾よく売れたら倉庫から在庫を取り出してくる。「現品限り」のはずがいつまで経っても店頭に並んでいる、みたいな。)当盤はそんな嫌な思い出を忘れさせてくれるだけの出来に仕上がっているだろうか?
 結論を書いてしまうと、残念ながら出来は96年盤や80年盤より幾分マシという程度だったということであり、この人の9番はやっぱりダメだったということである。第1楽章冒頭の3分(2分過ぎから加速→減速、2分27〜49秒が基本テンポ無視、49秒からさらに逸脱、59秒でアンサンブル乱れ)で烙印を押してしまった。指揮者の芸風は繊細さが必要なこの曲(理由はヴァント5番BPO盤ページに記載)とはあまりにも相性が悪い。ただし、これは他の録音もそうだが、第2楽章は曲の野趣味が演奏の粗さを覆い隠しているため聴ける。
 それにしても第1楽章16分20秒〜18分ちょうど、果たしてこれを「造形」というのだろうか? せめてスクロヴァチェフスキのようにキッチリやっていたら私は苛つくだけで済んだのだが。アンサンブルはグチャグチャである。(ヨレヨレのヴァントBPO盤でさえもこんなことはなかったぞ。)特に唖然としたのが17分23秒以降に突如走り出すところであるが、もしかしたら指揮者はここで混沌を描いてみようとでも思ったのだろうか? 私の持論では「宇宙創造」がスタートしてから完了するまで(つまり第1楽章が終わるまで)の間に「混沌」を再度設定するなど以ての外なのだが、それを措いてもここは全く美しくない。(ちなみに、96年東響盤では「混沌」は聴かれないので解釈に一貫性がない。7番01年ページに書いた「その日の思いつき」というよりは「ご乱心」だったのではないだろうか? ただし、ここの少し前の2度目の爆発前後のテンポ揺さぶりは96年盤ではあまりにも酷く、私の怒りは頂点に達したのだが、当盤はそこまで無茶苦茶ではない。前段落で「幾分マシ」と書いたのは、このようなモタモタとスタスタが全体的にも控え目だったという意味である。)もはやここまでくると、浅岡弘和の考える「造形」と私のそれとの間には途方もなく大きな開きがあると考える以外になさそうだ。(彼が朝比奈のブルックナーを聞いて「造形が確か」と思ったのは別にどうでもいいけれど、ゴッホに喩えたのは納得いかない。むしろピカソやダリに近いのではないか?)

追記
 あるページでは、いろんな指揮者のブルックナー演奏をカレーに喩えてある。ちなみに、私は「フルーツカレー」というやつが苦手で、特にパイナップルやレーズンなど甘酸っぱいものが入っているともうダメである。隠し味としてトマトピューレやリンゴのすり下ろし、あるいはヨーグルトなどを加える分には構わないのだが、固形物を噛んで甘味・酸味が広がった途端に吐き出したくなる。さて、「朝比奈カレー」は日替わりメニュー、というよりシェフが思いつきだけでトンデモ食材を入れたみたいな感じである。研究熱心なのは認めるが、下手をすれば全てがぶち壊しである。例えば本文中の「ご乱心」は、アイデアに行き詰まって発作的に鮒鮨を丸ごと放り込むような暴挙ではないだろうか?

おわりに
 当ページが朝比奈のディスク評としては最後になるのだが、今回20枚にも及ぶCDを聴いた結果として、彼のブルックナー演奏は同じ「自力型」「暴れ系」指揮者のヨッフム(9番がダメダメで5番が良いところなども似ている)と比較するのが妥当であると判断し、私は「朝比奈とは、へたなヨッフムという意味だ」という結論で締め括りたい。目次ページにて「洋食」「伝統芸能」扱いしていたダメ評論家を批判した手前、いちおう他の指揮者との比較を試みた訳である。(36番でなかなかの名演を聞かせてくれるという共通点から「へたなショルティ」も考えたのだが、当盤のように「有機的」なスタイルで9番を演奏して曲の美しさを台無しにしている点があまりにも違いすぎる。)ヨッフム以下とした理由は何といっても精度の低さ(これはオケも責任重大)であるが、9番や7番1楽章コーダなどに見られる基本テンポ無視の著しさもある。ところで、他の指揮者ページを見てこられた方は既にお気づきだろうが、私は「ヨッフムとは、へたなスクロヴァチェフスキという意味だ」ということも書いているし、渡辺和彦による「私には下手なオーマンディにしか聞こえない」というスクロヴァチェフスキ評も引いている。つまり、現時点では「朝比奈<ヨッフム<スクロヴァチェフスキ<オーマンディ」なのだが、これを将来的にはグルッと輪にしてみたいと実は考えているのだ。(要は半分以上こじつけ&おアソビである。マジで怒らないように。)ついでに書くと、私には「スクロヴァチェフスキとは、へたなシノーポリという意味だ」の方が相応しく思われるので、スクロヴァチェフスキとオーマンディの間にシノーポリを噛ますことにする。また、初稿の良さの生かし方の違いにより「インバル<ティントナー」もほぼ確定している。とはいえ、このような断片を矛盾なく繋げていくのは至難の業のような気がする。(迂闊に「宇野とは、へたなクナッパーツブッシュという意味だ」などとしようものなら、彼は喜ぶかもしれないが、しりとりの「ん」と一緒で終わってしまう。)はたしてプラスミドは完成するだろうか?

2009年1月追記
 今月3日早朝に朝日放送(大阪)の「新春クラシックスペシャル」を観た。放送の大部分は朝比奈&大フィルによるコンサート映像だったが、最初に流れたのはフルネームをアルファベットで綴るとほとんどが母音というコンヴィチュニーの対極のような日本人指揮者によるブル9の第1楽章だった。何でも朝比奈の生誕100年を記念した特別演奏会(2008年7月9日)らしい。だが、それは「なんじゃコリャ!?」としか言いようのない代物であった。終始速めのテンポで進められ、それ自体は微小スケールまたは軽量級の演奏ということで別に咎められるようなことではないものの、休止がことごとく不十分でタメがまるで感じられないのは致命的。前任者のスタイルを踏襲したのか、テンポいじり多用の私にとって噴飯モノの演奏だったが、それ以前の問題。ブルックナー特有のブロック構造がちゃんとしていないのだから話にならない。朝比奈の残した各種9番をも大きく下回る惨憺たる出来映えとしか思えなかった。それを収めたライヴCDが来月発売になるようだが、むろん完全無視である。

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