交響曲第7番ホ長調
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団
92/09/27〜29
Pony Canyon PCCL-00475
95年に浅岡弘和が執筆した文章によると、マンネリを脱却してからのフレッシュで瑞々しい7番演奏中でも最もテンポが速くユニークなのが当盤ということだが、私は第1楽章の颯爽とした出だしを聴いてシューリヒトのような演奏だと思った。75年盤ページに書いた通り、こういう短距離型スタイルの方がやはり向いていたのだ。コーダは相変わらずノロノロだが(結局この悪癖は最晩年の01年盤でも治ることがなかった)、基本テンポからの逸脱や中身スカスカ感はさほどではない。アダージョも同様で、基本テンポが速くなったお陰でハ長調による速い行進曲調の部分の違和感もなくなり、楽章内の統一感は格段に向上した。両楽章のバランスも良い。まるで4拍子のように聞こえてしまうスケルツォはちょっと速すぎにも思うが、猛烈な勢いはここでもシューリヒトを彷彿させる。終楽章は特に問題なし。
金管が炸裂するところの響きが荒々しく、7番演奏としては異色の部類に入るのではないかという気もするが、粗野ではないので喧しくは感じないし、何よりもアンサンブルが甘々になっていないのはありがたい。こうでなければこの曲は愉しめない。朝比奈の7番としては「マイ・ベスト」演奏である。
おまけ(どこに入れようか迷ったが、一応は朝比奈の92年の7番演奏に関係したことなので、このページにした。)
何年か前に関西の長老芸術家として朝比奈と桂米朝(落語家)を取り上げ、両者の対談などを交えながら生き様を紹介するという趣旨の特集番組を朝日放送(大阪)で観たことがある。(同局はしばしば朝比奈特集を制作しているが、かつて米朝によるナレーションを耳にした記憶もある。朝比奈90歳記念番組だったか?)ディスク評ページの作成が進むにつれ、そういう扱い(「伝統芸能」として一括りにすること)もあながち不当とは言えないような気がしてきた。つまり、目次ページでは鈴木淳史のことを「プロとしての仕事を放棄している」などとボロクソに書いたけれども、彼があのように書きたくなった気持ちも少しだが理解できるようになりつつあるということだ。ただし、「クラシック名盤ほめ殺し」では「ブルックナー/交響曲第7番 朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー」をこき下ろしているが、彼が聴いたらしきCDはフォンテック(FOCD-9063)の92年ライヴ盤で、ジャケット写真の下の方には「NEW JAPAN PHILHARMONIC」とある。こんなんでは説得力ゼロであり、評論家としての信用も丸潰れである。「こんな名盤は、いらない!」の「朝比奈とは、へたなブルックナーという意味だ」でも、大阪フィルの5番と7番について触れているが、CD番号が記載されていないので、どの「名盤」が「いらない」のかが全く分からない。鈴木は「どうせ朝比奈など何を聴いても同じ」とうそぶくかもしれないが、それではろくにヴァントを聴かずに「ヴァントはヴァント」とほざいたM氏と結果的に同じである。「CDを聴かずに批評を書く」としてしばしば顰蹙を買っている宇野功芳と同じ道を彼もまた歩むつもりなのだろうか?
おまけ2
許光俊は「クラシックの聴き方が変わる本」の「現役名指揮者とオーケストラの関係を叱る」という項にて、アバドのベルリン・フィルに対する姿勢を厳しく追及しているが、そこで紹介されていた「クラウディオ・アバド指揮ベルリンpo.」によるブル5(POCG-1943)の「ベルリンpo.」が誤記で正しくはウィーン・フィルとの演奏だったことが2004年10月に某巨大掲示板で暴露されていた。情けないことに、私はそれを読むまで全く気が付かなかった。出処(オリジナル)は「ブルックナー・ザ・ベスト」と同じサイトの掲示板への投稿である。その一部を転載する。
アバド指揮【ウィーン・フィル】演奏のCDを論じるのに、
アバドと【ベルリン・フィル】の関係を2箇所で言及する
というのは、どうもピリッとしません。
しかし、ピリッとしない以上の問題が隠されているようです。
というのは、当該批評におけるディスクのデータ欄において、
演奏が【ベルリン・フィル】と誤記されているからです。
ここで導かれる重大な疑惑は、許氏は当該CDを【ベルリン
・フィル】の演奏だと勘違いしているのではないか?という
ことです。そうだとすれば、許氏はウィーン・フィルとベル
リン・フィルの区別がつかないほど耳がバカなのか、それと
もロクにCDを聴かずに批評を書いているのでしょう。
最初の文を読んで、私はこれは逆だと思った。あの批評で筆者の述べたかったこと(主)はあくまで「指揮者とオーケストラの関係」であり、CDは添え物(従)に過ぎないからである。確かに「ピリッとしない」は当たっており、 せっかくの「みんなでがんばろうの甘ちゃん指揮者アバド」と「コワイ老人ヴァント」という興味深い比較論もイマイチ切れ味を欠く結果に終わっていると私も思うが、あの本では他のライターの手になる批評もディスクとの対応関係が極めていい加減であるという点では似たり寄ったりである。許はヴァントのブル5については、BPOとの新盤(微妙なタイミングだが執筆時点では未発売?)ではなく北ドイツ放送響との旧盤を採り上げているが、「最後の圧倒的な鳴りっぷりがまったく伝わらない」のようにその特徴も述べていることから、ディスクを実際に聴いた上で選んだのは間違いない。ゆえに、VPOとの演奏であることを承知しながら敢えてアバド盤を挙げたということも十分考えられる。(両指揮者が同じ曲をBPOと録音したCDが存在しなければ、私だって仕方なく同じことをするはずだ。)それならば「重大な疑惑」などと別段騒ぎ立てる必要はないし、「耳がバカ」にも当然ながら該当しない。音色の大きく異なるオーケストラゆえ、素人の私ですら数分聴いたら判別できる。これはいくら何でもあり得ないと思う。この本には同様の誤りがやたらと多いことから、(著者は「アバドとヴァントのブル5のCDを載せる」と指示しただけであり、)ディスクのデータを担当したアホな編集者が本文の内容から短絡的に「ベルリンpo.」にしてしまったのではないか、というのが私の推理である。(それでも著者校正を怠った責任からは免れないのかもしれないが、あれだけ凄まじい誤植オンパレードからは、その機会が全く与えられなかったのではないかと同情的に見たくもなる。)いずれにしても、オーケストラ名はここでは重要ではなく、少なくとも許が糾弾に相当するような失態を演じたとは言えないように思った。ただし、この投稿者が提出したもう1つの疑惑、つまり「ロクにCDを聴かずに批評を書いている」の方は私も大いに問題視せざるを得ない。もしそれが事実であったとしたら、上の「おまけ」お終いに書いた「彼」を複数形に直さなくてはならないからである。そして、アバド盤の演奏については全くコメントされていないため、残念ながらその可能性が排除できない。とりあえずは証拠不十分として判断を保留するが・・・・
7番のページ 朝比奈のページ