Um Amor Infinito(無限の愛)
2004
EMI 7 243 5 79705 2 5(TOCP-67528)
当盤の感想についてもKさんへの私信に綴ったか彼の主催するBBSに書き込んだはずである。これまでのアルバムであれば読み返さなくともある程度は思い出せていた。ところが何も思い出せない。捜しても見つからない。ということで、幸か不幸か本当に白紙の状態で試聴に臨むことになった。
いきなり不安の沼に沈められてしまった前作とは対照的に、冒頭から穏やかな気持ちで聴き進むことができた。過激な音楽に免疫ができたためだろうかと思ったが、そうではない。本当に波乱が生じないのである。むしろトラック4 "Um Amor Infinito" など、タイトル曲にしては随分地味という印象である。次の "Palavras ausentes" では過去のアルバムと同じく最高音のE(ハ長調のミ)が出てくるが、寒気を覚えるようなことはない。続く "Vislumbrar - O canto encantado" では落ち着きのない伴奏に乗ってサルゲイロが低い声で歌う。前作の "Anseio (Fuga Apressada)" と "Afinal - A minha canção" のハイブリッドのような曲ながら、途中で囁くというのは新しい試みだ。とはいえ、特に強烈なダメージを受けるようなことはなかった。
こんな感じで全13トラックを聴き終えることになったが、先述の "Vislumbrar..." など一部を除き、どの曲も既に過去のアルバムのいずれかで耳にしたことがあるような気分(つまり錯覚)に陥ってしまった。何とはなしに懐かしさを覚えるという点で、当盤はマドレデウスの作品中でも一二を争うと思う。なので、彼らの音楽に saudade を求める人には "Movimento" より歓迎されるかもしれない。しかしながら、私にはサプライズが少ないという物足りなさ(贅沢な恨み)が残ったのも事実で、その分だけ評価が低くなるのもやむを得ない。やはり前作が強烈すぎたのだな。完成度については申し分ないのだが、それで少々損をしているという気がする。佳曲揃いの中でも1曲目 "Ó Luz da Alegria" と11曲目 "Reflexos de ouro" がとりわけ私好みに仕上がっている。トータル69分という長めの収録時間も嬉しい。ひとまず90点を付けておくが、聞き込めばもっと上がる可能性も十分ある。
なお、当盤と次作 "Faluas do Tejo" はCCCD(コピーコントロールCD)としてリリースされた。どういう訳かパソコンに取り込んで iTunes で試聴できたから良かったが、もし実害があれば最低でも10点の減点は免れなかったところだ。
2007年2月追記
今更ではあるが、本文冒頭で触れた「当盤の感想」が先日ヒョコッと出てきてしまった。やはりKさんへの私信(タイトル「分母が無限大」、2004年11月20日送信)にしたためていたのだが、2005年3月にメールソフトをそれまでのLa MailからMac OS付属のMailへと変更した際のゴタゴタで長いこと行方不明になっていたのである。既に "Faluas do Tejo" のページ下でも述べたように「先祖返り」という印象は当盤について抱いたものであった。読み返すほどに食い違いが露呈し恥じ入るより他はないけれど、文章が上よりも断然生き生きしていることを認めたこともあり基本的に無修正で貼っ付けることにした。私の記憶が如何にいい加減なものであるかを読者に知っていただくという点でも意味はある(のかな?)
なお、その少し前に執筆したと思しきKさん主催BBSへの投稿は完全に失われているが、私にはもはや為す術がない。ご容赦を。
K○△□様
当方の駄サイトのコンテンツ作成が一区切り付いたのでこれを書いてい
ます。マドレデウス掲示板には解説執筆者への憤懣やるかたさなのあまり、
ついつい品のない投稿をしてしまいました。お許し下さい。書き足りない
ことがあるのですが、他の方々が気分を害されては困りますからここに書
き留めます。(K○さんは大丈夫でしょう。)あの執筆者の言語感覚は確
かに言語道断です。私には外来語、特に「コンセプト」の安易な使用が気
になって仕方がありません。が、今更どうにかなるものでもなし。私もこ
れ以上の追及は差し控えます。しかし、それ以上に許し難いのはポルトガ
ル語の記述のずさんさ。掲示板に書いた"saudade"→「サウダード」以外
にも、(セザリア・エヴォラの出身地である)"Cavo Verde"を「カヴォ・
ベルテ」と誤記。キーボード担当の"Trindade"も「トリンダーデ」もしく
は「トリンダージ」とすべきでしょう。しかし、ここまでは何とか我慢で
きました。しかし、これはいくら何でも酷すぎます。
テレーザ・セルゲイロ(ヴォーカル)
もしかして"Salgeiro"をそのように読むことも可能なのかと思いましたが、
服部以外の国内盤解説書ではやはり「サルゲイロ」でした。読み方は調べ
れば、あるいは人に訊けば済むことなのに、それすらしようとしない。
(K○さんご指摘のメンバーの変遷問題と同じく)完全にプロ失格です。
さらに許し難かったのが、この誤りが前作の「ムーヴメント」の解説から
放置されてきたことです。東芝EMIの担当者はチェックすらしていないの
でしょう。これらアホ解説者&担当者のマドレデウスに対する愛はどうや
ら「1/無限大」、つまり限りなくゼロに近いということでしょう。書い
てて情けなくなってきました。悪評高いため国内外のレーベルが次々と撤
退しているにもかかわらず、依然としてCCCDを発売していることもあり、
私としては1日も早く他と契約を結び直して欲しいと願っております。
口直しに新盤の印象を。「先祖返りしたみたい」と解りにくいことを書
いてしまいましたが、ギターが前面に出ていてリズムの明快な曲が多いた
め、「風薫る彼方に」と最も近いように思いました。また「懐かしさ」を
感じるという点では「海と旋律」や「アインダ」に。(「あのアルバムの
○○○と何となく似てる」と思った曲が結構ありました。)一方、厳しさ
が際立っている「陽光と静寂」からは最も遠い感じ。面白いのは「ムーヴ
メント」との類似性をあまり感じなかったことです。前作には「どうなっ
てしまうんだろう?」と聴いているこちらが危機感を覚えるほどの凄味が
ありました。しかし、当盤にはそれはありません。ヴォーカルの音域も極
限近くに達するものは少なく、テレーザの歌唱は常に安定しています。器
楽も前述したようにリズム主体で、アルバム全体の統一が図られています。
これは曲ごとに印象がめまぐるしく変わる前作とは極めて対照的です。む
しろスタイルこそ全く違うけれども、狙いは「陽光と静寂」と同じと考え
た方がいいかもしれません。当盤では6曲目「かすかな光─魔法にかけら
れた歌」のみ不安を煽るような曲が混じっていますが、このように曲想の
(歌、伴奏とも)大きく異なるものを挟むという手法も「陽光と静寂」の
5曲目(コンセルティーノの直後)と似ており、それをアクセント(転回
点)にした、あるいは中心としてアルバム全体に対称的な構造を築こうと
したのかもしれません。話がどんどん抽象的になっていきそうなのでこの
辺にしますが、当盤には全体を貫く1本の柱のようなものが感じられるの
で、聴いているこちらにも安心感があるということは確かです。といって、
マドレデウスが安定期に入ったと安易に決めつけるのは良くない気もしま
すし・・・・前作とのつながりもよく解りませんし、ちょっと評価の難し
いアルバムですね(逃げ)。CDジャーナルにはどのような評が出ること
やら。
ちなみに先に触れた「かすかな光」ですが、私はテレーザのオクターヴ
低い声はやっぱり(前作同様)ダメです。そういえば、解説者は「いつも
のテレーザのヴォーカルとは異なる歌となっている」などど書いてました
が、前作もろくに聴いてはいなかったということでしょうか? 気分が悪く
なる前に筆を置くことにします。
それではごめんください。
(後記:今頃になって当方も大ボケをかましていたことに気が付いた。
第1段落の終わり近くで「"Cavo Verde" を『カヴォ・ベルテ』と誤記」
と書いたが、もちろん正しくは "Cabo Verde" である。その結果として
「カーボ・ベルテ」というライナー執筆者のミステイクに対する糾弾も
すっかり切れ味が鈍ってしまうことになった。また、直後に「しかし」
という接続詞を2文連続で使用するというのも普段の私には考えられな
いような大失態だが、要はそれほどまでに頭に血が上っていたのである。)
さらに追記(大した内容でもないし面倒だから更新記録には載せない。)
結果的におねだりした形になってしまったが、本ページを読んだと思しきKさんから上記私信の3日前(当盤発売日)に書き込んだ拙文のログを送っていただいた。(いつもながら本当に律儀な方だ。)
今日ここを覗くまで新譜のことすっかり忘れてました。
昼休みに生協に取りに行って聴いてます。
まだ途中ですが何だか先祖返りしたみたいですね。
いま8曲目ですがここまで非常に良いです。
一方、ご指摘のライナーは確かに非常に良くないです。
最初の段落からもう書き殴りの印象。
歌詞を厳選するマドレデウスの解説を書くのだから
お前も言葉を厳選しろと言いたい。
次作の解説執筆者は厳選してもらいたい。
なお、5曲目には"saudade"という言葉が登場しますが
これを「サウダード」と読むには相当な努力が要りますね。
ちなみにyahoo.co.jpでは
サウダーデで 検索した結果 登録サイト:1件 ページ:1329件
サウダージで 検索した結果 ページ:25157件
サウダードで 検索した結果 ページ:24件
揚げ足取りはあんまりしたくないので止めますが1つだけ。
「ヨーロッパの室内楽にポピュラーミュージックとポルトガルの
民族音楽を融合させるという、全く新しいコンセプト」というのは
服部のオリジナルなのか、それとも他に誰か言い出しっぺがいるのか
どちらなのでしょうか?
(「ヨーロッパの室内楽」がどういうものを指しているのか、
「民族音楽」は「ポピュラーミュージック」とは違うのか
気になって仕方がありません。)
途中から例によってH女史の糾弾大会となっている。ところで "saudade" を「サウダード」と表記することに関し、当サイトでも何度か触れた音楽評論家&翻訳家の高場将美による見解がネット上で公開されている。彼は "saudade" に対して欧州のポルトガル語では「サウダード」、ブラジルでは「サウダーヂ」を充てるという方針を採っているそうだ。これまで一般的に使われてきた「サウダーデ」という表記はローマ字読みに束縛されたもの(官僚的ないしは学校教育的?)に過ぎず、そういう発音は「実際にはない」と言い切っていた。件の女史がこれくらいの信念を持って「サウダード」を使ったというのであれば、もちろん私だって文句は付けない。
後半部に出てくる音楽のジャンルについても少しだけ。「ポピュラー音楽のページ」(目次)で述べているように、私は長いこと「ポピュラーミュージックとは何ぞや?」という問題を考え続けてきた。少し飛ぶかもしれないが、藤原正彦と小川洋子の対談「世にも美しき数学入門」の最初の方で「一種のストーカー的資質(超難問でも5年や10年では諦めないという執念のこと)を持っていないと数学の真理は得られない」という話が出てくる。その必要条件を私もある程度ながら満たしているといえるかもしれない。(道を誤ったか?)とはいえ、こんな風に凡庸な音楽ライターにしつこく付きまとっているようじゃ大成できたはずもないわな。
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