Ainda(アインダ 〜「リスボン物語」オリジナル・サウンドトラック)
1995
EMI 7 243 8 32636 2 2(TOCP-8604)
中古屋でたまたま見かけた当盤を入手することになったけれども、正直なところ全く期待していなかった。かつて映画「アマデウス」のサウンドトラック盤をレンタル屋から借りたものの、モーツァルトの代表作のさわりが収録されているだけで「なんじゃこりゃ」と落胆させられたことが尾を引いていたからである。(なので当盤の新品を購入するなど論外だった。)ところが嬉しい誤算が待っていた。結論からいえば、これまた大変な傑作である。独立した音楽作品としても立派に完結している。映画の方が後なので当たり前なのだが・・・・
1曲目 "Guitarra" は明らかに列車が走る様を模写している。("Existir" のトラック11 "Solstício" の後半部と調性が同じでリズムも酷似している。あれを洗練&発展させた感じだ。)それも各駅停車ではない。かといって新幹線のような超特急でもない。この曲のテンポとピッタリ重なるのはJRならば在来線の特急である。それが小気味よいリズムとともに疾走する姿が目に浮かぶ。私は「リスボン物語」を観たことがないが、きっと長距離列車内でのシーンで使われていたに違いない。(←何という決め付け)
次の "Milagre" は何ともいえぬ寂寥感を湛えた音楽である。以後も表面的には明るい曲が挟まってはいるものの、このアルバムを貫いているのは結局のところそれだと思う。長調でも短調でも変わらない。それは手加減することなく高音域を歌い上げていることによる。それにしても裏声に逃げようとしないサルゲイロにはつくづく感心する。彼女の希有な歌唱力に対して「奇跡」という言葉を使っても決して罰は当たるまい。途中に器楽曲を2つ挿入しているのも効果的、というよりそれらがなかったら聴いているこちらの身が保たない。
そして寂寥感がピークに達するのがトラック9のタイトル曲である。いや、最初からここに焦点を定めていた感がある。実に7分半を要する大曲(ポピュラー音楽としては相当長い部類に属するはず)である。けれども間延びするようなことは一切なく、5分を過ぎたあたりから「このままずーっと聴いていたい」という気にさせられる。ラストの "ainda" の連呼には「まだ終わらないでー」と叫びたくなる。マドレデウスのあらゆる音楽の中でも私にそう思わせたという点ではこの曲が随一である。
当盤の厳粛な雰囲気は翌年に発売された "O Espírito da Paz" にも全く引けを取らない。宗教性こそ感じないが、この作品にそういうものは必要なしと考えていたからであろう。(よって減点対象にはならない。)"O Paraíso" の解説(中安亜都子執筆)によると、両盤はリリースこそ1年の隔たりがあるもののレコーディングは同時進行だったという話だから、双子の作品集と見なしても良いかもしれない。あるいは目的に応じて2枚のディスクに選り分けただけとも考えられるから、完成度や境地の深さにおいて遜色ないのも当然といえる。ところが当盤のライナーを担当した金沢英子は「前作『陽光と静寂』の延長線上にあるといっていい」などと、またしても大ボケをかましている。ろくに調べもせずに手を付けているのだからピンぼけ解説しか書けないのも無理はないとつくづく思った。ガッカリだよ!(←やっくん口調) 駄目押しとして最後の一文から引いておこう。「世界的に有名になっても素朴な朴訥さを失わない」ってねぇ。素朴でない朴訥さ、例えば「邪悪な朴訥さ」というのがあるんだったら教えてくれ。(ついでながら、"Existir" に続いて金沢とセットで寄稿している中川五郎について。私の好きなSinéad O'Connor のCD解説でも何度か目にしている名前だが、対象からある程度距離を措いた批評を心懸けているためか、不快感を覚えたりしたことは一度もない。特に共感を覚えることもなかったが。昨年=2005年に何十年ぶりかでアルバムを出したそうだが、歌手としても活動していたとは知らなかった。)
さてさて、当盤も "O Espírito ...." に匹敵する高得点は約束されているものの、同様にボーナストラックが弁慶の泣き所となった。"Maio maduro maio" はいい曲だけれども、やはり蛇足の感が否めない。 "Ainda" を堪能した後しばらくは余韻に浸っていたいからである。とはいえ、違和感はさほどではない。また、トータルタイムが42分と短いのも気になるが、アホなカップリングで興醒めさせられるよりはマシだろう。よって減点は1点だけにしといてやる。(←傲慢な奴)ただし90点からの上乗せ分が "O Espírito ...." の半分に留まるから、最終的には94点となった。
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