モセダーデス(Mocedades)
「スペイン語圏の音楽」のトップバッターにはモセダーデス以外考えられない。彼らの最大のヒット曲 "Eres tú" は私が最初に憶えた西語の歌だったから。(というよりも私が空で歌えるようになった最初の外国語曲かもしれない。)ところで「スペインからの一発屋Mocedades」と紹介しているサイトを見つけたが、それは日本だけの話ではないか。彼らのヒット曲は数知れない。失礼なこと言うな!(←円広志が島田紳助や上沼恵美子を怒る時の口調で)
さて、私が大学院修士課程2年次に在学中だったから1988年の夏(8月か9月)のことである。少し前にある試験を受けていた私は合格通知を受け取ると共に南米パラグアイに派遣されることを知った。それと一緒だったか別の郵便物だったかは思い出せないが、翌年4月から始まる語学トレーニングの準備として入門者向け教材(テキストとカセットテープ)が送られてきた。(テープには講師と思われる外国人数名の声が入っていたが、そのうちで「ケッタイやなあ」と思わずにはいられなかった甲高い声の男が私のクラスを受け持つこととなったバスク人である。)ごく入口というレベルで内容は非常に易しく、むしろ物足りなさを覚えた私はNHKのラジオ講座を聴くことにした。(プチ語学オタクだった私は使う見込みもないのに独語や仏語の半年コースを終えていた。テレビでなくラジオにしたのは「本気で学びたかったら絶対にラジオ講座だ」という意見を何かで目にしていたからである。大学4年の前期はハングルを学びかけたが、卒業研究やら院試勉強やらのゴタゴタで中断せざるを得ず、結局読み方以外はすっかり忘れてしまった。今になってみると惜しまれる。私が曲がりなりにも使えるのはアルファベットを使用する外国語に限られてしまったから。この歳で文字を覚えるのはちとシンドイ。)
その年下半期の入門編の講師は高垣敏博で、窮地に陥った村を救うため少女アンヘリカとおじいさんが旅に出るというストーリーだった。その2ヶ月目(11月)の「今月の歌」コーナーで紹介されたのが "Eres tú" だった。その時は一旦忘れたのであるが、いざ長野の人里離れた施設で訓練が始まって間もなくのこと、教室のラジカセから流れてきたその曲を聴いて、いっぺんに好きになってしまった。(以下長文脱線:その建物は県南部のK市のはずれにあった。何でも「全国住みやすい街ランキング」の1位に選ばれたという話である。ちなみに私の居住地である滋賀県北部のN市も同じ企画かは知らないが過去に上位に入ったことがあるらしい。が、その記事を新聞で読んだという父が半信半疑だったように、実際に住んでいる人間にとってはまるで実感がない。いったい何を規準に「住みやすさ」を評価しているのだろうか? 戻って、そこでの77日間の大部分は語学の習得に充てられていた。毎朝6時起床でラジオ体操の後に数キロのランニング (昔は10kmだったが倒れる人間が続出したため短縮されたらしい) があり、就寝は22時という何とも規則正しい生活だった。とはいえ、以前から朝型だった私は体内時計を変える必要がなかった。平日は外出禁止、土日も厳格な門限があった。建物内での飲酒は禁止。それも当時全くといっていいほどアルコールを飲まなかった私は何の苦痛も感じなかった。むしろ飯が美味く、お代わり自由なのが嬉しくて仕方がなかった。大好物のカレーの日は生協の大盛り位の分量を5杯食っていた。 (帰国後はそれほどの大食漢ではなくなったが、あるチェーン店の1300gライスは完食できた。さすがに今は自信がない。) また全自動洗濯機に加えて乾燥機まで備えてあったのも大変ありがたかった。今考えても、私の生涯を通じて最も生活環境が良好だった時代といえるのではないだろうか。ところがある日、同時期にトレーニングを受けていた人間が「こんな監獄みたいな生活は耐えられない」と言って泣いていたという話を聞いて私は愕然とした。思うに、そんな文句を垂れるのはよっぽど勝手気ままな人生を送ってきたお坊ちゃん or お嬢ちゃんゆえに違いないが、言うに事欠くにも程があるというものだ。あんな素敵な監獄があったら私は喜んで入りますよ。今すぐにでも。)シンプルで親しみやすいメロディも気に入ったが、ちょっと癖のある、イタズラっ子のような女性ヴォーカルに惹かれたのである。テキストに載っていた歌詞は単純なのですぐ憶えた。(「運命」交響曲における「・・・ ─」音型のごとく、"Eres tú" が執拗なまでに繰り返されるので、意図せずとも口ずさんでいる内に独りでに憶えられるだろう。余談ついでだが、私は数種類作ったこの曲の異言語バージョンを宴会で披露したことがある。全然受けなかった。)今でも最も好きな西語曲として私は躊躇なくこれを挙げる。
途中で二次的訓練として寄ったメキシコでもラジオや街中から流れていたし、ホームステイ先のセニョーラが口ずさんでいるのも聴いた。どうやらこの曲は過去に世界的に大ヒットしたに留まらず、今でも愛されているらしいということがウスウス解ってきた。いつか書くはずだが、2年半ほど住んだパラグアイでは事情が全く違っており、専らご当地ソングが流れていた。(クラシックはもとより英語のロックやポップスですら耳にする機会がほとんどなかった。)そこで再び "Eres tú" も忘却の彼方へ去ってしまった。
帰国後、忘れないようにと今度はテレビの「スペイン語会話」を観ることにした。(4月からラジオの応用編を聴こうとしたが、講師の清水憲男が初回に「やる気のない人は聴かなくていい」などど随分厳しいことを言っていたので恐れをなして、でなくカチンときて止めてしまった。なお、スペインでベストセラーになった「マノリート」シリーズをテキストとした清水の講座を数年後に聴くようになってみると、彼の語り口はとても穏やかで私は拍子抜けした。何かあって丸くなったのだろうか?)講師は山崎真次でレギュラーゲストは忘れもしない Merche Sánchez Casado(通称「メルチェさん」)。この人はスペイン国営放送のアナウンサーで研修のため来日しているということだったが、人形劇を披露するなど非常に芸達者だった。また翌年から来た「マイテさん」こと Mayte Esteban は地味だったが決して悪くなかった。この頃のテレビ講座は時に笑いを交えながらもアカデミックな雰囲気は多分にあった。言うまでもなくアイドルやタレントを起用するようになった現在とは月とスッポンである。(ここで暴走せずにはいられないが、教育番組が視聴者のご機嫌取りに走るようになったら終わりである。それは自殺行為でしかない。2003年度の「私たちゴガク系」というキャッチコピーには怒りを通り越して憐れみを感じた。もちろん内容はスカスカ。翌年度から一部を除いて少しマシになったが予断は許さない。)さてさて、この番組の「今月の歌」で流れてきたのがあの懐かしい声。(曲名は思い出せない。)ハッとした。しばらくして "Eres tú" を思い出した。山崎は「モセダデス」と伸ばさずに読んでいたけれども、グループ名が "Mocedades" ということも遅ればせながら知った。もちろんモセダーデス熱が再燃。是が非でも "Eres tú" を聴きたくなった。そこで翌日大学生協へ行き、CDカタログで調べ注文しようとしたが見つからない。どうやら国内のレーベルは扱っていないらしい。落胆し、その時点で諦めてしまった。当時(92年)は輸入盤を注文するなと思いもよらなかったし、もちろんインターネットも普及していなかったから無理もない。
数年が経過した。95年だろうか? 名古屋の中心街に輸入盤店が進出していた。たぶんパルコの「塔」だったと思うが、何気なく足を踏み入れた私は "Eres tú" のことを思い出し、必死で捜した。が、見つからず。しかし今度はそれで音を上げなかった。店員に訊いたら「カタログに載っていれば取り寄せ可能です」という返事。小躍りした私は、(いろいろあって迷ったものの、「これなら大丈夫だろう」と思って)とりあえずベスト盤らしき "20 de Colección" を注文した。入荷の知らせを受けた私は早速(やりかけの作業を放ったらかして)自転車を走らせ、受け取った品を携えて下宿に直行した。
ディスクを入れて聞こえてくるまでの時間は本当に待ち遠しかった。トラック1の "Eres tú" が流れてきた。泣きそうになった。が泣けなかった。ここでも思いっ切りパクると「もはや感動は還つて來なかった」のである。何かが違う。いや明らかに違う。女性ヴォーカルの声が太い。というよりダミ声である。(伸びが感じられなかったのも気になったが、少ししてこれはライヴ演奏のためであろうと合点がいった。)サビの "algo así eres tú, huuuuu〜" も私の知っている旋律ではなく、高音部を回避するように変えられていた。特に好きだった箇所だけに寂しくなった。別人ではないようだが、ならば声変わりしたのだろうか? トラック19の "Amor de hombre" を筆頭に、そのドスの利いた歌い回しが威力を発揮している曲が複数あり、それらはそこそこ気に入ったたものの肝心の "Eres tú" がこれでは悲しい。(予想していたのとは全く違う形で泣けてきた。)その一方でトラック6の "Las palabras" などはとても爽やかな声である。こうなると全く訳が解らない。
あるいはヴォーカルの交替でもあったのだろうか? そのような疑問を(および不満も一部)抱きつつ聴いていた。少し経ってから(翌年あるいはもっと後かは不明)、研究室のパソコンでインターネットが使えるようになってからのことになるが、 "Mocedades" をキーワードとして検索したところ公式サイト(www.mocedades.com)が出てきたので早速訪問した。しばらく閲覧していたら"about Mocedades" というページにてメンバーの変遷をまとめたJPEG画像を見つけた。やはりソリストが Amaya Uranga から Ana Bejerano に変わっていた。さらにディスコグラフィにより、モセダーデスの音源のうち初期作品(Zafiroというスペインのレーベルから出たLP収録曲)についてはBMGが、契約の変更により途中から(81年リリースのアルバム "Desde que tú te has ido" 以降と思われ)CBS Sony がCD化の権利を所有しているということも判明した。私が買ったのは Sony LATIN のディスクだった。おそらく "Eres tú" はオリジナル(73年)が使えないために後年(84年?)のライヴ音源を使用したのだろう。そうなるとBMG盤を買わなければダメである。ということで、再度「塔」に足を運び、やはり20曲収録の "Serie Platino"(プラチナ・シリーズ)を注文→入手した。もちろんレーベル名を確認した上で。いよいよアレが聴ける。はやる気持ちを抑えながら試聴に臨んだ。
同じくトラック1として収められていた "Eres tú" だが、今度は掛け値なしに素晴らしかった。思わず「あーこれやこれ」と叫んだことも憶えている。心の底から堪能した。最初に聴いた時(88年)から少なくとも8年が経過していたのだが、その間のいろいろな思い出が走馬燈のように頭を駆け巡った。(←あまりに定型でつまらんなぁ。)もしSony盤で水を差されていなかったら私はどうなっていただろう? それはともかく、このベストアルバムは毎日のように聴いていた。お陰でお気に入りの曲が一気に増えた。
やがて私は定職を得て故郷の滋賀に戻ることになった。ラテン音楽のディスクはかなり増えていたが、やはり帰るところは原点のモセダーデスである。そのうち他の曲も聴いてみたくなるのは自然の成り行きというもの。とはいえ、こちらには輸入盤を並べているような店は皆無である。そこで公式サイトで目を引いたディスクを生協ショップの輸入盤カタログで探してみた。大して打率(入手できる確率)は高くなかったため、30曲収録の "Recuerdos"(BMG)を第1希望とし、それが入手不可の場合のみ第2希望として(枚数も曲数も同じ)"Antología ─ Sus 30 Grandes Canciones"(Sony)を注文したのだが、私の意図が伝わっていなかったようで結局両方とも入荷してしまい、やむなく引き取った。
まず前者だが、最初期(A・ウランガがソリストに収まる以前)の曲も入っており、それらの完成度はイマイチだったものの新鮮さが感じられたのは良かった。ただし多くが "Serie Platino" と被ってしまったので、そちらは当時サイトに出入りしていたネット知人Oさんに譲った。一方の "Antología" であるが、出来は決して悪くない。ところが男性がソロを務めている曲が多く、私はそれに閉口した。正直なところ、それらに魅力を全く認めていない。ただし他はいい曲が結構あったし、"20 de Colección" と重複していた3曲も別音源(スタジオ録音)を使用しており、そちらの出来の方が良かったため全く無駄な出費ということにはならなかった。(なお "20 de Colección" にはベヘラーノがソロを務めた曲に絶対手放せないものがあるため、こちらは手元に置いている。)その後、 新しい曲を補充するため "Internacional" を買った。 "Recuerdos" と3曲被っているものの "Serie Platino" の譲渡により失った曲をあらかた取り戻せすことができ、メリットの方がはるかに大きかった。
さて、私はモセダーデスを先述の「最初期」、"Eres tú" でブレイクしてからA・ウランガが声変わりするまでの「前期」、声変わりしてから抜けるまでの「中期」(録音はBMG契約時代とCBS契約時代にまたがる)、ベヘラーノが加入してからの「後期」というように勝手に分類している。実はそれぞれに良さを認めているのである。なお、ベヘラーノも短期間で脱退し、以後はさらに目まぐるしくメンバーが交替している。そういった混乱期にも何とかかんとか2枚のアルバムをリリースしたが、その一部収録曲を公式サイトで試聴したところ出来はまるで良くなかった。敢えて名付けるなら「末期」となろう。だから当サイトでも対象外となる。なお、この団体のアルバムは97年の企画もの "Mocedades Canta a Walt Disney" を最後に途絶えてしまっているようで、公式サイトもトップページこそ変わったものの、更新は2003年1月を最後にストップしている。私は「メンバーの若返りを繰り返しつつ1967年以来活動を続けているモセダーデスは文字通り永遠の若者達だ」といった激賞文を誰かに送ったと記憶している。そのうち二代目、三代目(子孫世代)も加わってくるのでは、とまで期待していたのだが、残念ながら「過去のグループ」として紹介せざるを得ないようだ。
既に他ページに記しているが、初期に抜けた2人と全盛期の主力メンバーが "El Consorcio" という別団体を結成していたことを知った。ネット通販サイトで何気なく "Eres tú" を入れたところ、 "Desde el Corazón de México" が検索結果に出てきたため即注文した。母屋のモセダーデスが開店休業、というより廃業寸前という悲惨な状況を横目に眺めながらセッセと活動していた訳である。(勝手な想像だが、最後まで残り続けた2名 ─ 結成当初からの女性1名と初期に加わった男性1名 ─ と抜けたメンバー達との間に何か確執があり、お家騒動がついには泥仕合にまで発展してしまったのだろうか? そうだとすると全日本プロレスとNOAHのような関係を彷彿させるが、私はその方面には詳しくないので、そのうち横浜のネット知人Kさんにご教授をお願いするとしよう。)ただし、このアルバムは最初こそ懐かしさを覚えつつ聴くことができたが、繰り返し聴くには辛いものがある(理由はディスク評で)。このグループが既に2000年の "Cuba" を皮切りに5枚のアルバムを出していたことを後に知ったが、それらに手を出す気にはなれそうもない。
続いて、エル・コンソルシオにも加わっている Sergio Blanco と Estíbaliz Uranga が結成した "Sergio y Estíbaliz" (←まんまやんけ)というユニットとモセダーデスの曲を交互に配したベストアルバム "20 Éxitos" を amazon.co.jp のマーケットプレイスで買った。(クラシック音楽コーナーの「許光俊のページ」2005年9月追記分の終わりに記した「ラテン音楽のCD」というのが実はこれである。)この2人組はモセダーデス結成当初のメンバーながら、最初のアルバム2枚に参加しただけである。つまり4thアルバム収録の "Eres tú" にはタッチしていない。当然ながら印税ガッポガッポでウハウハといった恩恵にはあずかれなかった訳だが、それでも特に恨みを抱いたりせず仲良くやっているのは立派なことだ(こちらも妄想モード)。モセダーデスの10曲のうち9曲は既所有だったが、初めて聴いた残りの曲はどれも気に入った。こうなると相当の枚数が出たらしきセルヒオ&エスティバリスのオリジナル・アルバムも欲しいのだが、あいにく海外通販でも扱っていないようだ。ということで、モセダーデスおよび関連団体のディスクが今後増える見込みはあまりなさそうである。
おまけ
ポルトガル語圏音楽の初回に予定しているマドレデウスの方は基礎知識の紹介をKさんの有料サイト、いや優良サイトに任せておけば良いだろうが、こちらはそうはいかないので、公式サイトの英語コンテンツ "about Mocedades" に掲載されている "a brief history of Mocedades" を主材料として少し書いてみる。
1967年にバスク自治州(偶然だが私のスペイン語の先生と同郷だったとは)最大の都市ビルバオでフォークソングやゴスペルやビートルズのファンだった学生が結成したとある。初代メンバー8人中に Uranga と Blanco という姓が複数(それぞれ4名と2名)見られることから判るように兄弟姉妹あるいは親戚が集ったのである。最初期はコーラス主体で、ソロ部分も特定個人が担当するということはなかった。が、やがて(事情は知らないけれど)Amaya Uranga に特化していく。1973年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストのスペイン代表曲に選ばれた "Eres tú"(上で触れたように4thアルバムの収録曲)は2位の座を勝ち取った。それを機に欧州でもヒットし(英語版の "Touch the wind" や独語版の "Das bist du" も出たらしい)、さらには米合衆国のBillboardシングルチャートでもトップテンに入るという快挙を成し遂げた。(これは誇張でも何でもない。英語曲以外が入ったのはあの坂本九の "Sukiyaki" = 「上を向いて歩こう」が3週連続1位に輝いて以来らしい。極めて稀なケースなのである。そこでネットで調べてみた。全ては把握できていないだろうが挙げてみる。Domenico Modugno (イタリア) の "Volare" や Soeur Sourire (ベルギー) の "Dominique" もトップに立ち、特に前者は首位を5週連続守り続けた。私にとっても Gipsy Kings のカヴァーで慣れ親しんだ曲である。最近では Los Lobos の "La bamba" と Kaoma の "Lambada" も結構ヒットした。前者は1位になっているが、後者は欧州数カ国のチャートでは登り詰めたものの、不心得な盗作が祟ったためか頂上には立てなかったはずだ。それにしても Los del Rio による "Macarena" の14週連続1位というのは桁外れである。私にゃ名曲とはちっとも思えないのだが。)
その後もコンスタントに国内外でヒットを飛ばし、中でもCBS 移籍後の82年にリリースされた "Amor de Hombre" (「"La leyenda del beso" の間奏曲に基づく」ということだが何のことやら)は短期間(in just a few months)にスペインだけで50万枚の売り上げを記録するという中期(A・ウランガ変声後)の代表作となった。彼女がソロ活動のため脱退した後はAna Bejeranoを加えてアルバム3枚を発表した。ところが、それらではCBS移籍後から徐々に復活の兆しを見せていた男性独唱曲の比率がさらに高くなっており、私にとっては魅力に乏しいものとなった。その後(末期)の頻繁なメンバー更迭、およびその必然の結果であるグループ衰退は既に述べた通りだが、公式サイトの記述も97年以降は敢えてバッサリ切ったような印象である。おそらくサイト作成者にとっても現状を記すのはあまりにも忍びないからであろう。
なお、私が引用したページの最後の行には "Coming next: more information about those who left Mocedades." とある。(そのままで既に何年も経過しているけれど。)ちなみに "left" は単に「去った」に留まらず、「捨てた」「置き去りにした」などと受け取ることも可能である。もしかしたらモセダーデスを捨てた連中への恨みをセッセと書き溜めているのではないか、と想像したら恐くなった。いや、西語ページには "En el año 1984 abandonó el grupo Amaya para cantar en solitario."(1984年にAmaya はソロ活動のためグループを棄てた)とあるから、本当にそうなのかもしれない。なお、公式サイトには「裏切者」の Sergio y Estíbaliz および El Consorcio へのコメントは一切ない。(それにしても酷い紹介文だなあ。)
おまけ2
2005年発売のベストアルバム "Esencial" のジャケットにはベヘラーノが写っており明らかにCBS Sony 時代のものだが、"Eres tú" の旧録など、かつてBMGからリリースされていた音源も収められている。さらに翌年リリースされた20曲収録盤 "Originales" は新旧の代表曲が網羅されており、お薦めである。実は最近知ったのだが、2004年8月にSonyとBMGの経営統合によりSony BMG Music Entertainmentが誕生(ただし国内のソニー・ミュージック・エンタテインメントおよびBMG JAPANは別組織のまま)したお陰である。
おまけ3
ディスク評ページ作成中にモセダーデスのファンサイト(http://es.geocities.com/eres_tu2001)を見つけた。公式よりも情報量が多いだけでなく比較的新しい情報も載っている。ところでHISTORIA(歴史)のページでは「編曲&合唱主体で特に固定ソロの存在しない初期」「Amayaソロによる大成功の時代」「商業的には成功したが質の落ちるCBS時代」というように分類していた。(Ana Bejeranoについては「声量も能力も十分だったが、人々はおそらく前任者の影のため理解しようとしなかった」などと記されている。)その後に来るのが「交替と混乱と危機の時代」で、私の「末期」と同じである。止む気配のないメンバー交代劇に加え、Izaskum Uranga (結成時代からの生き残り)が交通事故に遭ったりと悲惨な状況が今に至るまで続いているようだ。とはいいながら、そのページは客観的記述を心懸けているように思った。ついでながら、そのリンクページでは公式サイトもちゃんと紹介し、"Merece la pena"(見に行く価値あり)というコメントが付いているから一応敬意は払っている模様である。(まさか皮肉じゃないだろうな?)
おまけ4
当サイトで採り上げることになるのは、 "Desde el Corazón de México" を除いてベストアルバム(リイシューCD)の類ばかりである。そういえば上記Kさんは「アンチベストアルバム」というスタンスを貫いておられる。「印象が散漫」などと書かれていたはずだが、確かに年代の違う曲の寄せ集めだからそれも当然だ。そうなると、鑑賞を目的とする「作品集」というよりは「資料集」と位置づけるべきで、そもそも批評対象とするのも不適当ということになるかもしれない。などと逃げを打ってもいられないので、とりあえず曲単位で善し悪し、または好き嫌いを評価し、その平均値によって総合点を付けることとした。(ちなみに、BMGから出たオリジナルアルバムはネット通販では扱っていないようだし、CBS移籍後のCDには全く食指が動かない。)
追記(ディスク評執筆を終えて)
"20 Éxitos" のページ執筆中、セルヒオ&エスティバリスの公式サイト(www.sergioyestibaliz.com)経由でモセダーデスおよび関係者(脱退したメンバー)のあらゆる音源を再生できるサイト(ダウンロードは不可)の存在を知った。登録制だが無料である。私は iTunes で聴いているが、Windows Media Player や RealPlayer も使用可能である。当サイトでは異例中の異例とでもいうべき措置だが、登録ページへのリンクを貼っておくことにした。名曲の数々を実際に耳にしていただきたければ幸いである。なお入力欄の上2つ、つまり Nombre de Usuario および Nombre y Apellidos は、それぞれログインIDと氏名である(念のため)。
さて、こうなってみるとモセダーデスの発表したアルバムを年代順に聴いて評を執筆するのも不可能ではなくなった。が、何せ20枚以上あるし、既所有ディスク分を脱稿してしまった直後ということもあり億劫で仕方がない。いつになるかは知らんが、その気になったら手を付けるかもしれない。今は新たに得た情報などを追加するに留めておく。
"Eres tú" は本文中で触れた英語、独語の他、仏および伊語バージョンも出たらしい。(葡語がないのは不思議だ。)ただし、他言語の詞はどうもしっくりこない。特に独語版は字余り感が(悪い意味で)堪らない。ベヘラーノ独唱ヴァージョンもあった。自己流の崩しがかなり入っているが決して悪くない。ただしライヴの騒がしい雰囲気の中で歌われているため少々感興を削がれる。私としてはスタジオ録音で聴きたかった。そういえばオムニバスCDのため歌手名は不明だが、iTunesミュージックストア(日本)で試聴可能のカヴァーにも感銘を受けた。結構この曲はA・ウランガ以外が歌っても名曲であることに変わりはない。その思いを強くした。
ベヘラーノといえば「後期」のアルバム3枚をザッと聴いたけれども、先述したように彼女以外のメンバーがソロを務めている曲が多く、それらがどれもイマイチだったため改めて不満を覚えた。あれだけの実力を有しながら "one of them" という扱いでは飛び出したくなったのも当然であろう。「末期」のアルバムの出来はさらに凡庸だった。ところで、彼女が初参加したアルバム "Colores"(1986年)のトラック2 "Ana y Miguel" を聴いてビックリした。何と Mecano の名曲 "Naturaleza muerta" ("Aidalai" に収録)のカヴァーではないか! 確かに歌詞冒頭にそのフレーズが出てくるけれども、タイトル自体を変えても何ら問題なかったのだろうか? それはさておき、芸歴でははるかに先輩格のモセダーデスが、いくら当時スペインで大人気だったとはいえメカーノの曲を歌うとは意外だった。とはいえ、穴は穴でも Bejerano と Torroja とでは声質が全然違うし、両集団の芸風も同様である。正直なところ違和感を覚え通しだった。(ちなみに Sarah Brightman もカヴァーしており、以前アサヒビールのCMに使われていた。こちらは調を変えているし西語発音はドヘタだが、それ以外は悪くない。)
追記2
上記の試聴サイトにて一応オリジナルアルバムもチェックしてみたが、やはり既発のベストアルバムに採用されなかった曲の完成度は少し落ちるという印象だ。ところで遅まきながら気が付いたのだが、タイトルが何を意味しているか全然理解できない曲がかなりあった。彼らの出身地だから当然だが、バスク語でも歌ってきたのである。9thアルバム "Kantaldia" は11曲(新曲に加え旧作からの再録も含む)全てがそうである。そのラストに置かれた "Zu zera" は、 "Eres tú" のバスク語バージョンであるが、これはオリジナルの西語版よりもずっと魅力的だ。この1曲をコレクションに加えるためだけでも再発盤を買う価値は十分ある。出ないかな?
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