2008年走行記録

3月8日
 今日は久しぶりに自転車で職場に来た。まだスギ花粉の飛来は大したことないようだ。
 それはともかくとして来年度は最悪の1年になりそうだ。というのも今月いっぱいで退職される先生の後任人事が不調に終わり、新任教員の補充が先送りされることになってしまったからである。そのため講義を2コマ余分に持たされることになった。(1年限りのピンチヒッターということで引き受けたものの、本当にそれで済むのだろうか?)特に前期はただでさえ時間割がクレイジーだというのに。(私以上に過密スケジュールの先生を知っているから「殺人的」とまでは言わないが。)新規に担当する科目のため、一昨年と同様に土曜日を準備に充てない訳にはいかない。少なくとも夏休みまでは遠出の回数激減が確定的である。あーあ。体重増にも気をつけなければ。音楽ページの執筆に先が見えてきたのが救いといえば救いである。

8月5日
 敢えて記録を残したいと思うようなコースは全く走っていない。今月13日からの盆休みには少なくとも2回は遠出したいところだが・・・・・
 一昨日は13時半開始の催し(あるシリーズものの講座)に参加するため近江八幡(駅近く)に行った。既に最短ルート(県道2号線経由)では3往復していたが、この日は最終回ということもあり北回りで向かうことにした。要は北湖一周である。これまでの経験から6時間あれば十分だろうという見込みのもと、7時半に家を出た。甘かった。
 新旭からは湖岸沿いの風車街道ではなく距離優先の国道161号線を選んだため、ゆっくり走っても3時間で白髭神社に着いた。ここまでは予定通り。それからが問題だった。
 県道307号(北小松大物線)に入ってからガクッとスピードが落ちた。普段この道を走る時とは異なり向かい風にたたられてはいたが、それだけでは説明できないほどのバテ方である。橋の前のちょっとした上りですらしんどい。前を見たら私の愛車よりずっとスピードが出そうな高級車に乗った兄ちゃんも喘ぎ喘ぎしながら漕いでいる。で、しばらく併走した後にとうとう追い越してしまった。こんなことは記憶にない。何かおかしいぞと首を傾げつつ走っているうち、前日に読んだNewton最新号の記事「世界記録はいかにつくられるか?」をふと思い出した。
 マラソン選手が30kmを過ぎたあたりからペースが急激に落ちるのは、疲れがたまったからでも息が苦しくなった訳でもなく、グリコーゲンという高出力のエネルギー源が枯渇し、低出力の脂肪に頼って走らなければならなくなったからなのだという。どうやら私も(とくに空腹感はなかったけれど)同様の「ガス欠」状態に陥っているに違いない。そこで、(当初のプランでは12時に道の駅「びわ湖大橋米プラザ」だったが)予定を前倒しにして11時半にJR志賀駅前で昼食タイムを取った。案の定、燃料補給後はペースが戻った。
 が、湖東に出て間もなく、別のトラブルに見舞われた。脚の曲げ伸ばしの際に激痛が走るようになったのである。それも両方の太腿が。というより吊る寸前である。これは深刻なミネラル欠乏だと直観した。脱水症状に陥らないよう水道の蛇口を見つける度に水分補給はしていた(猛暑ゆえ既に数リットルを飲んでいたはずである)が、そちらへの配慮が全く足りなかった。で、応急処置として手のひらや腕を舐めて(もちろん自分の汗由来の)塩分を摂った。それで痛みは何とか治まった。近江八幡市街に入ったら直ちにスーパーへと駆け込み、ペットボトル(2リットル)のスポーツドリンクをイッキに飲み干したのは言うまでもない。盛夏の青天日における自転車琵琶湖1日一周がいかに無謀な試みであるかを痛感した次第である。(これが琵琶湖大橋経由でない真正の一周だったら私はさらに危機的状況に追い込まれていたに違いない。)
 何とかかんとか会場には開始時刻ギリギリに着くことができたものの、疲労困憊による居眠りの連続で肝心の先生の話は断片的にしか聴けなかった。これでは何のために半日以上を費やしたのかが分からない(トホホ)。帰りが追い風でチンタラ漕ぎでも2時間弱で戻れたのがせめてもの救いだった。

8月18日
 盆休みの報告。13日には八草トンネルを抜けてから揖斐川町を縦断し(呆れるほどクソでかい町になったなぁ)、大垣から醒ヶ井までは可能な限り国道21号線を回避して中山道を通った。大部分は既走ルートなので特に書くことはない。15日は旧北陸線跡を辿って今庄に入り、さらに国道365号線を北上して越前市まで足を伸ばしてみた。これまでの自転車行で最も北&東に到達したことになる。帰りは8号線経由。こちらも初めて走った区間は旧武生市〜旧河野村だけであるが、嶺北と嶺南を隔てる山の深さには改めて畏れ入った。
 今後の予定だが、近江坂の残りについてはどうでも良くなってきたので、行ってみたいのは国道477号線の京都側ぐらいである。ウィキペディアの「近畿地方で五指に入る酷道」という記述に俄然意欲が湧いてきた。9月か10月の祝祭日に決行するつもりである。他は決めていないが、もちろん八草峠→鳥越峠コースは今年もノルマとして消化する。11月には金居原バイパスも開通しているはずである。(実は進入禁止を無視して既に2度通っている。高架からの眺めは最高である。)ただし紅葉が年々遅くなっているような感もあるため、文化の日ではなく勤労感謝の日にするかもしれん。

9月27日
 この日は遠出する予定が全くなかったのだが、発作的に石榑峠行きを思い立った。(10月から担当することになった科目の初回の配布資料と講義のアウトラインが既にできあがっており、特にすることがなかったということもある。)それゆえ地図も持たないという「行き当たりばったり」ツーリングであるが、同地には何年も足を運んでいなかったし、トンネルの工事現場を見ておきたいという事情もあった。9時半に職場を出発。
 数年前に初めて越えた時は犬上川(南谷)を遡上し、犬上ダム→下山林道(結局行き止まりで引き返す)→上山林道→筒井峠を経て永源寺町(現東近江市)に至るというなかなかに手強いコースだったので、代わって国道307号線を南進し、八日市市(先に同じ)の御園交差点から国道421号線(八風街道)に入るという王道(?)を行くことにした。が、この正攻法が本当に良かったのかは分からない。漕げども漕げども県道34号線(永源寺多賀線)との分岐点に着かなかったのである。まあ永源寺ダムが見られたし、体力はある程度温存できたのかもしれないが、通過タイムは当初の見込みをかなりオーバーしてしまった。帰宅後に地図を見たらやはり距離的にもだいぶ損をしていた。そうなると前回と同じ、あるいは国道306号線をしばらく東進し、多賀町佐目から県道34号線というルートの方が賢明かもしれない。
 国道307号線を走行中に「石榑峠通行止」の電光表示が出ていたが、これは想定内だった。というのも、先日新聞の地方版で隣の鞍掛峠が土砂崩れにより封鎖されたという記事を読んでいたからである。(地球温暖化の影響なのかは知らないが、当地でも「ゲリラ豪雨」にたびたび見舞われている。これまで9月の午前中に突如の激しい雷雨に見舞われるようなことは滅多になかったはずだが・・・・今後は土砂災害による道路封鎖の恐れがさらに増すのではなかろうか。まったく困ったものだ。それにしても今年はテレビで大雨洪水警報発令のテロップを何度見たことだろう。いつまでも残しておきたい番組の録画中にあれが出たらショックは大きいだろうな。)にもかかわらず(例によって)自転車なら通れるだろうという楽観とともに現場に向かった。で、案の定というか「京の水」(名水)の辺りから道は派手に逝っていた。とはいえ迂回路が付けられていたため走行に支障はなかった。ところが、しばらく行くと旗を持ったおっちゃんに制止された。復旧作業中で通れないとのこと。それでも「様子を見るだけ見て引き返します」と頼み込んで先を行かせてもらった。(その言葉に嘘はなかった。どうにもならないと認めたら戻って政所から県道34号線→御池林道コースで帰るつもりだったのである。)数百メートル進んだら作業車が道を完全に塞いでいる。「こりゃダメだな」と思ってUターンしようとしたその時、運転手のおっちゃんが「12時になったら開放するので待ってて」と声をかけてくれた。時計を見たら10分前である。どうやら昼食休憩を取るらしい。なので私もここでランチタイム。本当にラッキーだった。
 復旧作業は予想以上に大がかりだったが、あるいはトンネル開通に合わせた新道建設も兼ねているのかもしれない。間もなくトンネルの工事現場に差し掛かった。発破での掘削作業に対する注意を喚起する旨の看板が立っていたが、そちらの方もお休み中だったようで私は吹っ飛ばされずに済んだ。その先から峠までは誰にも邪魔されることのない正真正銘の単独行。路面状態は非常に良好。そういえば前回は足が吊ったため漕ぎ100%を余儀なくされた因縁付きの道だが、大して速度が変わらないと思われた急傾斜区間は躊躇せずに押した。湧水地点を通過して約1時間後に峠に到着。だが、そこからが大変だった。
 名物(?)の2m幅コンクリート製ゲートを抜けた直後から道は落石や泥で埋め尽くされ、乗車しての下りは危険を極めた(もちろんヤバイ所は降車)。そのような状態が次のゲートまで続いた。これで一安心と思ったのも束の間、今度は大規模な崩落である。あたかも登山道のごとく人が何とか通れるだけの道幅が確保されていたから助かったが、一時は撤退を覚悟したほどの凄まじい崩れっぷりだった。さすがにトンネル開通を機に見限られるということはないだろうが、修復には相当時間が掛かりそうである。
 何とかかんとか下り終え、左折して国道306号線を北進。やがて国道365号線との並行区間に入ったが、そこを漕ぎつつ私は迷いに迷っていた。鞍掛峠に向かうべきか否かを。生憎の(というより私が三重県を北走するときはいつもそうだが)向かい風による体力消耗は気懸かりだったが、それでも時間的に余裕はあった。が、結局止めにした。もし峠付近まで詰めて撤退ということになったらシャレにならない(その精神的ダメージは計り知れない)からである。しかしながら、この選択が正しかったのかは判らない。そもそも最高地点をトンネルで越える国道306号線の場合、自転車ですら通れないほどズタズタに分断されている可能性は421号線よりも低いはずである。(後で気付いたことだが。)で、回避の代償として国道365号のアップダウンに苦しめられることになった。藤原町(現いなべ市)から上石津町(現大垣市)に入るまでが特に辛かった。この道が基本的には山間地に付けられている(湖北の水田地帯はむしろ例外)という認識が甘かったということである。
 そのまま365号線経由で帰宅すると早く着きすぎるので関ヶ原からは旧中山道を走った。が、これも後で知ったことには鞍掛峠経由と比べても距離的に大損をするという結果を招いた。もっと痛かったのは彦根市内のショッピングモールが扱っている激安(28円)豆腐を買い損ねたことである。ということで思い付き(というより乱心?)と弱気が災いした1日だった。それにしても上石津多賀線は一体いつになったら開通するんだろう? 次の三重県ツーリングは是非とも鞍掛峠→五僧峠の周回コースを、と考えているのだが・・・・・

10月3日追記
 今日の朝刊にて国道306号線が片側通行ながら昨日から開通したとの情報を得た。結果論になるが、鞍掛峠に向かっていればたぶん越えられただろう。残念。なお国道421号線は477号線(武平峠道、鈴鹿スカイライン)ともども崩落が酷く、復旧には来年度いっぱい懸かる見通しとのこと。やれやれ。

10月13日
 前々から予告していた酷道477号線上の峠ハンティングを決行した(道の駅「びわ湖大橋米プラザ」までは輪行)。前ヶ畑峠→百井峠→花脊峠まで477号線、以降は府道361号線(上黒田貴船線)→同38号線(京都広河原美山線)、そして百井別れから来た道を戻るというコースだが、物好きにも大部分がダートの花脊峠道旧道の往復までした(註)こともあり結構疲れた。今も膝の裏側が痛く階段の上り下りが辛い。(註:なるべく同じ道を通らないための苦肉の策であるが、それでも一筆書きは不可能で一部の区間を二度走らざるを得なかった。なお旧道別れから最高地点までは急な上りだが、京北町側は灰谷川沿いの緩やかな下りである。路面がやや荒れているけれども注意すれば乗って下りられるだろう。)
 これらルートについては既に各種ウェブサイトやブログにて詳しく紹介されており、私が書き加えるようなことは特にない。芹生峠に意外とアッサリ着いてしまい拍子抜けした(昨年大苦戦した佐々里峠同様、直前につづら折りの急坂が待ち構えていると考えていた)が、逆に鞍馬から百井別れまでは予想以上の急勾配で非常に長く感じた。ただし往路における前ヶ畑峠の東側区間、および帰路における百井峠の西側区間の激坂は予めネットから情報を得ていたため心構えができていた。(むしろ下りでのスピード出すぎに気を配った。)
 時間に余裕があったし想像していたのとは大違いの良さげなアスファルト道路だったので、急遽プランを変更し昨年のページでも触れた百井川沿いルートで鯖街道(国道367号線)の花折トンネル入口付近に向かうことにした。地元(百井町)のナメタケ栽培農家のおっちゃんが太鼓判を押してくれたこともある。だが大見川と百井川との分岐点より先の土道は路面が悪くなる一方で不安が募った。それでも強行突破できるかもしれないとは考えたものの結局断念。これ以上進んで引き返すことになった場合、心理的ダメージが大きすぎると判断したからである。翌日検索により見つけたある自転車関係サイトの走行記録(写真付き)には、道が途切れているため川を数回横切らなければならないとの解説があった。なので単独行の私が撤退したのは賢明な判断だったとしておこう。ちなみに既に朽ちかけていた丸木橋のさらに1本を自分の体重と自転車の重量(計90kg弱)で折ってしまったのは私です。それにしても怪我しなくて良かったぁ!

11月22日
 近年の紅葉遅延対策として八草峠→鳥越峠コースを勤労感謝の日の週の3連休(土日月)のいずれかに走る予定だったが、突然の寒波襲来で今週19日夜から20日朝にかけて全く予想外の降雪があった。地元紙によれば八草トンネル付近(木之本町金居原)の積雪は40cmとのことである。やめたやめた!(今朝自転車で来る途中に見たら伊吹山はもちろん、金糞岳も霊仙山も上の方は真っ白だった。そんな状況で国道303号線旧道や鳥越林道に挑むのは無謀以外の何物でもない。ノルマ未消化は甚だ心残りだが仕方がない。)

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