2006年走行記録

5月8日
 走行記録というほどのものではないため書くのをためらっていたのだが、実は先月28日夜、自転車に乗っていて酷い目に遭った。彦根駅前で開催された歓迎会の帰り道でのこと、気が付いたら地面(アスファルト道路)に叩き付けられていた。歩道の段差に気が付かなかったのが敗因である。(後日確認したが、その交差点だけ路側帯がせり出していた。)近づいてきた人から「救急車呼びましょうか?」と尋ねられたが、大した怪我ではないのは判っていたので振り切った。それで終わればどうということはなかったのだが、その後が輪をかけて情けない。ある観念にとらわれた私は・・・・・あまりにも恥ずかしいことなので伏せておくことにする。(それにしても農作業用のトレーニングウェア上下を自室ロッカーに置いておいて助かった。)今となっては本当にそうだったのか単なる思い込みだったのかはわからないけれど、もし前者だったとしたら、あの自爆のお陰で追っ手の目を免れることができたということになるかもしれない。(念のため断っておくが悪事を働いて追跡されていた訳ではない。)
 這々の体で職場に戻る。擦り傷だけだと思っていたが、鏡を見たら2箇所を切っていて顔面血まみれである。(同時に着地したと思しき左の掌も擦り剥いていたし、サドルにぶつけたらしく間もなく左下腹部にも内出血が現れた。)これだけの怪我をしても愛車はタイヤのパンクや車輪の変形もなく、ほとんど無事だったのは驚いた。(ペダルを踏むと異音がするので点検は必要だが。)17年ぶりに眼鏡を新調する羽目になったが、それで済んだのは運が良かったと割り切るべきだろう。そういえば、大阪府警が自転車の悪質運転の取り締まりを強化し、違反者には赤キップを切るというニュースを最近見たばかりであった。私も前科者にならぬよう無謀な真似(かつ道路交通法違反)は慎まねばと思った次第である。

おまけ
 既に一部の読者は気が付いておられるかもしれないが、4月から私の職場環境がちょっとばかり変わっている。具体的には身分(もはや公務員ではない)と職名の変更である。前者は今のところ大きな影響は出ていないのに対し、後者の方は被害甚大(?)である。実際には受け持ちコマ数が少し増えただけなのだが、縛られない時間が半分、いや1/3に減ったかのような凄まじい忙しさを感じている。新規に担当することになった講義の準備に追われるのは覚悟していたが、それが平日だけでは済まず土曜日にまで及ぶとは! 1回分(90分)の配布資料とノートの作成にほとんど丸一日を要しているため、文字通り「自転車操業」に陥っている。(当方の要領の悪さも一因だが、前期集中型のカリキュラムが全ての元凶である。一方、後期の時間割はスカスカだし農作業も激減する。)田植シーズンに入るとさらに時間が取れなくなるし、6月からは大学院の授業も1コマ加わるため、このままだと経営破綻は目に見えている。そこで少しでも貯金を作るべく連休の返上までも余儀なくされた。それでも昨日だけは琵琶湖一周をと目論んでいたのだが、あいにく雨にたたられ結局どこにも行けなかった。チックショー!(←小梅太夫口調) 今やブルックナーのディスク評執筆も滞りそうな雲行きであるから、しばらくは週末の遠出など到底不可能。やがて梅雨を迎えてしまうから下手をすればシーズン開幕が夏休みにずれ込んでしまうかもしれない。なんてこった。(今年だけの特例で済めば良いのだが・・・・・)とにかく昨年の宿題(近江坂および天増川林道)だけは是が非でもやり遂げなければならない。

8月22日
 終戦記念日の先週15日(←特に意味はない)に多賀の杉坂峠越えから彦根の2廃村(男鬼町と武奈町)を抜けて番場(米原)に出るというルートで帰宅した。たぶん3年ぶりだが、「あれっ、こんな道だったっけ?」などと首を捻ること数知れず。このところ記憶力の減退が著しい。実はこれが今年最初の遠乗り&峠越えだった。(7月のある日曜の午後に3時間半ほど走ったが、その際には藤川越と美濃越は通っている。それが今のところ唯一の県境越えである。トホホ。)伏木貞三の大名著「近江の峠」には、たしか「自動車が通れる滋賀県内の峠道としては最も険しい」などど書かれていたはずだが、登り初めの急坂は本当にキツイ。押しの最中に何度も息が上がった。
 そして土曜の19日、その日は電気系統の点検のため全館停電、つまり職場に来ても何もできないということで、毎年のノルマの1つである琵琶湖一周を消化することにした。(もう1つは紅葉シーズンまで取っておく。)ただし、隔週の成分献血に当たっている日だったから予約時間の16時までに帰還しなければならない。ゆえに「0.8周」(琵琶湖大橋経由)、ただし湖岸をなるべく走るAコースである。台風の西日本通過に伴い南からの強風が予測されていたため、「時計回り」(上から眺めた場合)、つまり最初に湖北のトンネル街道を抜けることに決めた。最後の最後が逆風になるのを避けるためである。
 ところが湖西に入ってからも向かい風はあまり吹かなかったので拍子抜け。却って橋を渡ってからが泣かされた。私が湖東(守山〜近江八幡〜東近江)を走る日はいつだってそうだ。いまいましい。台風が九州に行ってしまったせいだと思われるが、結局午後に吹いたのは例の北風だった。またしても読み違えてしまった。あるいは深読みのし過ぎか。それはともかく、今回は既に橋を渡る前からバテが来ていた。いかんいかん。明らかに体がなまっている。(そうでなかったとしても、目標とする10時間切りはよほど風に恵まれないと難しいという気がしてきた。ツーリング専用車に乗り換えれば話は別だが。)
 こんな体たらくでは上に書いた「宿題」に挑むなんて到底無理。もっともっと鍛えておかねばなるまい。(何にせよ、近江坂と天増川林道の両方を1日で走破するのは相当厳しそうだ。超人以外は2日かけるか輪行が必要だろう。)ところが、ポピュラー音楽関係のページ作成は予想していた以上に骨が折れそうで、今後も週末に出かける機会はあまり増えそうにない。果たして今年中にクリアできるのか、自信がなくなってきた。

後日談
 上記献血日の検査結果を記載したハガキが滋賀県赤十字血液センターから送られてきた。過去2回と比べて数値が劇的に変化した項目がいくつかあって興味深い。

           7/22    8/5    8/19
 コレステロール    204  →  182  →  154
 赤血球数       427  →  403  →  377
 平均赤血球容積   97.3  →  96.7  →  98.0
 ヘマトクリット値  41.5  →  39.0  →  37.0
 白血球数       59  →   57  →  139
 血小板数      27.0  →  26.9  →  22.0

私の赤血球数が少ないのは元からである。男性の標準値(425〜570)に入らないことの方が実は多い。その分、平均の容積はいつも大きめ(80〜100の上限ギリギリ)であるが、献血可能か否かの重要な判断基準となるらしきヘマトクリット値(標準39.0〜50.4)の下限を切ってしまうこともたまにある。現にこの日がそうだった。それでも断られたことは一度もない。ちなみに、私はこれらの数値が低くても全然気にしていない。これまで貧血の症状が滅多に出たことがないからである。(空腹時に立ちくらみする程度か?)既に他所に書いたかもしれないが、ラパスに行った時は初日から早足で市内を巡ったにもかかわらず全然平気だった。ところが柔道の指導で来ていた見るからに屈強そうな人が訪れた際には1週間寝込んでしまったという話だし、どうも高山病の罹りやすさは体格とか血液の酸素運搬能力だけでは説明できないようである。
 閑話休題。やはり0.8周であっても琵琶湖を廻ったことによる消耗が赤血球その他の大幅な減少をもたらしたと考えられる。コレステロールも同様だが、これだけは元に戻らないでほしいな。たぶん無理だろうけど。凄まじいのが2倍以上の増加を示した白血球で、35〜100という標準をはるかに超えてしまっている。そういえば何年か前にも事前検査で100以上だったことがあるが(理由は同じ)、その時には何かの病気ではないかと尋ねられた。今思うに、こんなんでフリーパスというのは果たしていいんだろうか? ヘマトクリット値だってヤバかったし・・・・何にせよ3日後にはどんな値が出るかが楽しみだ。(→9月7日追記:先週土曜日の結果を昨日受け取った:コレステロール,172;赤血球数,415;平均赤血球容積,98.2;ヘマトクリット値,40.8;白血球数,59;血小板数,25.5。完全に戻り切ってっていないものもあるが、どれも予想の範囲内である。ヘマトクリット値が久しぶりに男性の標準に到達したのがちょっと嬉しい。なお、こんな他人の検査結果などクソ面白くもないだろうから載せるのは今回で終わりにする。)

9月23日
 いつまで経っても有言不実行のままでは格好が付かないため、近江坂にトライすることにした。といっても上に書いたように1日での完走を目指している訳ではない。とにかく行けるところまで行ってみようと思い立ったのである。翌日は日曜だから丸1日寝込むことになったって構わない。6時40分出発。既に何度も書いたが、湖西遠征は行き帰りだけで時間を食ってしまうのが頭の痛いところ。今回は行き(酒波林道登り口まで)に2時間、帰り(天増川林道終点)には3時間は欲しい。そうなると暗くなるまでに戻って来るためには実質的には6時間ちょっとしかないが、さてさて。
 少し迷ったけれど、往路は奥琵琶湖トンネルに向かうことにした。どうせ帰路では追坂峠を上る余力など残っているはずがない。ならば行きと帰りで違うルートを走ることにしよう。ただそれだけの理由である。このトンネルを通るのはほぼ1年ぶり(先月の琵琶湖一周では回避)だったが、入ってすぐ驚いた。歩道の幅が明らかに(1.5倍ほど)広くなっている。拡張工事が行われたのだろうが実にありがたい。これですれ違いが可能になったし、それ以上に転落の危険がかなり減少したため精神的に楽になったことが大きい。これで残っている劣悪歩道は賤ヶ岳隧道だけとなったが、拡げる余裕があるのなら早く手を付けてもらいたい。距離を優先して交通量の多い国道161号線の新道を飛ばしたが、結局マキノ町(現高島市)酒波に2時間では着けなかった。
 酒波林道の起点からピラデスト今津まではアスファルトの舗装道路である。ここは2度目。最初は押し一徹で尾根筋に出てからは漕ぎと押しの併用。約45分で到着。さらに500mほど行くと緑地&白字による「大御影山登山道」の看板が右手に見えた。入口は四輪車が入れないようにロープが渡してある。良く整備された砂利敷の林道だ。が、しばらく進むと今度は左手に登山道を示す小さな立て札(見落としてそのまま直進しないよう注意)。「本当にこれでいいのかなぁ」と首を傾げつつ杉林の中を通る。(途中で沢を渡ったはず。)間もなく開けた場所に出る。ここからがさらに判りにくい。分岐点の右に「←近江坂」の小さな板が下げられているが、矢印は左を指している。見ると確かに左手に登山道が付けられている。不安は募るが登ることにした。
 この道は狭く、押しはほとんど不可能。「少し担ぐ→息が上がる→小休止」を繰り返す。ここで持参したネットの走行記録を見ると、「ジグザグの山道をMTBを担いで登り切ると、あとは小さなアップダウン」とあった。ならばここは我慢のしどころと腹を括ったが、このつづら折りは想像以上に長くてきつかった。(途中にバイパスと本道の分岐点があったが、どちらが楽なのかは判らない。)そういえば担ぎは今年初めてである(「自転車開き」恒例の賤ヶ岳〜山本山コースに行かなかったため)。その影響もあるだろう。自信のない方は賤ヶ岳にせよ長命寺山にせよ、どこかでトレーニングを積んでから挑むことをお奨めする。(伊吹山東斜面なら完璧だ。)
 先述のサイトには「楽しいシングルトラックで結構乗れました」と書かれていたが大嘘もいいところ。急坂を登り切ってからも大半は押しと担ぎである。(その執筆者が通った時よりも浸食や植生の発達によって路面状況が悪化していた可能性はある。)もっとも私はオフロード走行の経験が乏しいため、登山道ではよほど条件が良くなければ乗らない。緩やかな下りのみで(急だと恐い)、少しでも上っていたら押す。途中で登山グループ(4人組)に出くわしたので通してもらう。11時を過ぎて空腹が耐えられなくなったため昼食休憩。(6時過ぎに朝食を摂ってから既に5時間近くが経過しているのだから無理もない。)それなりに疲弊している。が、まだ粟柄河内谷林道には出くわさない。当初は天増川林道まで出て下る予定だったが、こんなチンタラペースではそれも難しいかもしれない。ならば大御影山の頂上まで行ってから交差点まで引き返して林道を降りる、それも無理なら登頂も諦めてそのまま林道を下るという計画縮小も考え始めた。(あくまで趣味の範囲内でやっていることだから無理は禁物である。絶対に「冒険」になってはいけない。)話し声が聞こえてきたので振り返ると、先の登山グループが追いついてきた。「林道まであとどの位ですかね?」と尋ねたところ、うち1人が苦笑を浮かべつつ「みんな同じこと訊きよるなあ」という返事。彼らも少々ウンザリしていたらしい。ところが何のことはない。そこから5分も行かない内に急な下りになって林道に出た(11時20分)。
 少し下ったところに登り口の看板があった。(倒れていた。)「大御影山まで45分」との表示だったが、登山グループのメンバーが持っていた本では約40分とのこと。いずれにしても、こちらは同伴者(プジョー)の分だけ時間を食うのはやむを得ないと思った。ここで昼食を摂るという彼らに別れを告げて登りを再開。ところが今度は思いがけぬサプライズが待っていた。登山道の幅が格段に広くなったため、漕ぎと押しの比率がともにアップした。(件のサイトの「おおむね緩やかで、道も素晴らしい。往路も結構MTBに乗れ、復路はほとんど乗って下れました。」という記述は今度こそ本当だった。よって大御影山への登頂のみが目的なら、近江坂経由よりも粟柄河内谷林道から詰める方が断然有利といえる。)漕ぎによる時短のお陰で30分ちょっとで950.1mの山頂に到着。(ちなみに地図にはピークの場所と標高のみで「大御影山」の記載はない。)立て札に「←美浜町」とあったので、ここから先が福井県らしい。何にしても、難易度は一昨年の粟柄越をはるかに上回り、これまでで最も過酷な県境越えとなった。
 ところが、「これで肩の荷が下りた」とはいかないのがこのコースの食えないところ。一旦230mほど降りてから登り直しを強いられるのだ。その下りは道幅が一気に狭くなり、ほとんど担ぎオンリーとなる。倒木による進路妨害、それ以上に小枝がチェーンやスポークに頻繁に絡み付いてくるのは本当に参った。さらには外れたチェーンを戻す時にヘマをやってチェーンとギアの間に右手人差し指を挟まれ、ザクッと切ってしまった。かなり出血したが、バンドエイトをきつく巻いて止められたのは不幸中の幸いだった。その後は上っては下るの繰り返しで乗車率ほとんどゼロ。これが単なる「○○峠」「○○越」とは大きく異なるところで、肉体的にも精神的にもタフさが求められる。
 途中にいくつか右(南)に向かう道の存在を示す看板があったが、それらをことごとく無視して直進する。あるピークにて、ほぼ直角に左(北)に折れるように道が付けられていた。地図を見てもそうなっているので素直に従うことにした。ところがところが、近江坂を忠実に辿るならここで右前方に進路を取り、あくまで県境の尾根筋を辿り続ける必要があったのだ。草川啓三著「近江の峠 歩く・見る・録る」では確かにそのように図示されており、「峠の神様」ことNさんの自転車&ネット仲間2人組が数年前に訪れた際もそちらに向かわれた模様である。どうやら私は分岐点を見逃してしまったらしい。とはいえ、携行していた県別マップルや国土地理院の1/25000図には県境に点線道すら引かれていなかったから完全にノーマークだった。ちなみに、地図上ではどちらのルートも天増川林道に出るまでの道のりはほとんど同じに見えるが、近江坂のピークは700m台であるのに対し、私が歩んだ点線道の方は800m台のものが並んでいるから、時間はともかくエネルギーは余分にロスしたかもしれない。
 この日はそこからが実は一番大変だった。杉の巨木やブナの原生林の素晴らしさを堪能するゆとりは全くない。あるピークに登り詰めた時にハプニングは起こった。さて、どちらに進もうかと前方を見渡したところ、道の在処を示す赤いビニールテープが落ちていた。嫌な予感がした。しばらく探し回ったが道は判らない。ウロウロしていたのはせいぜい15分程度だっただろうが、途方もなく長い時間に感じた。ここまで来て引き返す(大御影山に登り直す)のはいくら何でも辛すぎる。少し開けていたので「こっちかな?」と思った場所にとりあえず目印として自転車を置いておいたが、そちらに進んでいたら大変なことになっていたはずだ。が、その時は「迷うくらいなら戻った方がマシ、明るい内に帰れなくともどこかに泊まればよい」と考えるだけの冷静さはあった。(小林秀雄の「山」というエッセイには危うく遭難しかけたエピソードが出ているが、そこに「山に迷ったら沢に出るな」という金言が紹介されている。それを知らなければ焦って谷を猪突猛進に下り自滅していたかもしれない。)
 少し休んだら心身ともに落ち着きを完全に取り戻したので、来た道をもう一度おさらいしてみたところ踏み跡が続いているのを発見しホッとした。さらに進むと棒杭が打ってある。助かった! 後に別のピークでも道を見失ったけれども、今度は同じ方法で速やかにピンチを脱することができた。ここでようやく思い知ったのだが、倒木などを避けて迂回したのが全ての元凶である。テープは正しい道を辿っている人間の目に入る位置に付けられているから外れたら絶対ダメだ。「どうせすぐ戻るから一緒だろう」と甘く考えてはいけない。とにかく地図を持ってはいても自分が何処にいるか、どの方角に進んでいるかが正確に把握できない私ゆえ、目印がなかったらたちどころに迷子になってしまうことは間違いない。山岳会の人達がボランティアで付けてくれているものと想像するが、ここに厚く御礼申し上げる。
 高圧線の鉄塔の立つピークからは急な下りである。プラスチック製のステップがありがたかった。(粟柄越の上りでは段差が押すのに邪魔だと文句を付けていたのだから我ながら勝手なものだ。)2つめの鉄塔ピークを下り鉄製の橋を2つ渡ったら天増川林道が見えた。嬉しかった。あとは重力に従って国道303号線までひたすら下るのみである。この林道は杉の植林の間こそ砂利敷きでまずまず整備されているものの、他は石ゴロゴロまたはダートである。川沿いの道ゆえ傾斜もカーブもきつくはないし転落の心配もないが、下手にスピードを出すと大石に乗り上げてパンクしかねない。なので慎重に進んだ。それでも進む内に(しばらく雨は降っていなかったようだが、渓流によって水たまりがそこら中にできていたため)泥はねでズボンがまだら模様になった。茶色のを履いていたので乾いたらほとんど目立たなくなったが・・・・途中から合流したにもかかわらず、下り切るまでに約35分を要した。これが最上流からだったとしたら1時間近くかかっていたであろう。谷筋の林道下りとして、これまで私が走った中での最長記録(たぶん黒河マキノ林道の福井県側)を更新したかもしれない。
 あとは帰るだけであるが、私はこれまでの経験からその道のりが相当しんどいものになることを覚悟していた。ところが、またしても嬉しい誤算が待っていた。国道を少し東に行くと寒風トンネルが見えた。(天増川集落の近くにあることをすっかり忘れていた。)過去の若狭方面への遠乗りでは下からそこまで上ってくるだけでヘトヘトになっていたから、それが省けたのは大きかった。お陰で最高点の水坂トンネル付近まで一切押さずに済み、15時にトンネル通過という目標を楽々クリア。その後もそれぞれ16時および17時までに到達したいと考えていたポイントに余裕で着いたため、その分だけ休憩時間を長く取ることができた。(さすがに岩熊トンネル前の数百メートルは押したが、それは毎度のことなので折り込み済みである。)さすがに最後はバテバテとなり、賤ヶ岳隧道出口から50分のつもりが大幅ペースダウンして18時の帰宅予定時刻を11秒過ぎてしまったが、これは仕方ないだろう。とはいえ、これほどまでに走行プランを順調に消化できたことは滅多にない。帰路の間ずっと吹いていた北西の風が大部分の区間で私にとってフォローに作用したことが何といっても大きかった。
 さて、今回のツーリングでは近江坂のうち先述の分岐点から終点の能登野まで、および天増川林道の上流約1/3が未踏破のまま残された。能登郷の廃村跡を見られなかったのも心残りである。しかしながら、それらを辿るために改めて別の日を設定するか否かは現時点で未定である。というのも、若狭町(旧上中町)能登野集落から能登郷までのルート(地図上ではもちろん点線道)について、林道終点から先が「樹木等で軌跡不明」という記述をネット上で目にしているからである。他にも相田集落を起点とする新しい林道(実線道)が建設中であるが、国土地理院のサイトで閲覧した限り未だ開通していないようである。やはり自転車行による完走記録を確認してからにしたい。なお、行くとしたらの話であるが、道の駅(若狭熊川宿)まで輪行して数時間(半日)コースにするか、それとも今回同様の完全自走で途中アミノサプリの助けを借りて脂肪の燃焼を図ることにするかは、その時の体重および体脂肪率次第である。ついでながら、道の駅あるいは酒波まで輪行すれば近江坂と天増川林道の同日内完全制覇も決して不可能ではないと思われる。私は真っ平御免だが・・・・(疲れ果てて運転ミスや居眠りでもしたら元も子もない。)

10月3日
 先週日曜の朝刊に折り込まれていた広報誌「滋賀+1(プラスワン)」(2006年10月号)の「おでかけ情報」(12頁)に「サイクルトレイン&スタンプラリー」の参加募集が出ていた。何でも今月の15日と22日(ともに日曜日)の2日間、貴生川〜信楽間にサイクルトレインを1日2便(2往復)運行するという。参加者には特製Tシャツなどの記念品贈呈、さらに完走者には豪華賞品プレゼントという特典があり、しかも開通前の第二名神まで特別に走らせてくれるというではないか! 信楽駅までの運賃は自己負担ということだが、「びわこ京阪奈線フリーキップ」(近江鉄道と信楽高原鐵道全線が1日乗り放題)を利用すれば出費は1000円で済む。(ちなみに近江鉄道のみの「S・Sフリーきっぷ」は550円だが、信楽高原鐵道は貴生川〜信楽の大人運賃が450円なので、片道だけでも元は取れる計算である。)昨年手痛い思いをさせられたサイクルトレイン(近江鉄道)に対する負のイメージを払拭する絶好のチャンスである。
 ただし気になることがあった。帰りの便は早い方でも16時47分信楽発、それだと米原着が19時を過ぎてしまう。(事前の調査不足が災いして昨年の鈴鹿峠→武平峠が惨めな結果に終わったという反省から、今回は情報収集を怠らぬようにした。)長浜の自宅に着くまで30分弱を要するが、当然ながら辺りは真っ暗。一部に歩道のない国道8号線を走るのはどうにも気が進まない。ならば途中でスタンプラリーを抜けて帰路に就いても構わないかを主催者に問い合わせることにした。(残念だが完走は諦める。あるいは最初からラリーには参加せず、信楽の県境峠、すなわち裏白峠、御斎(おとき)峠、桜峠などに無差別攻撃をかけるという手もある。)
 ところがである。まず返ってきたのは「現在キャンセル待ちの状態です」という声。「1便につき先着25名限り」とあったが、そんなに申し込みが殺到するとは予想外だった。が、それならそれで仕方がない。次に(サイクルトレインには乗れなくとも)他の列車で信楽まで輪行することは可能なのか訊いてみた。しばらく待たされた後、こんな回答が来た。「申し訳ありませんが、貴生川駅には自転車は持ち込めません。」JRも乗り入れている駅だからアカン(今回の企画のため特別に許可してもらった)のだという。(よく考えたら高原鐵道の前身は国鉄信楽線だった。なお、近江鉄道の駅舎は別にあるため建物内を通って高原鐵道に乗り換えるのは無理なようだ。)これにはガクッと来た。次の紫香楽宮跡(しがらきぐうし)から先はOKということだが、路線図を見て再度脱力。この第三セクターによる鉄道は最初の区間(すなわち貴生川〜紫香楽宮跡)が9.6kmで残る4区間のトータル5.1kmの倍近くにも上る。それを自走しなければならないと考えたらアホらしくなってくる。参加意欲は完全に霧散消滅してしまった。そういえば近江鉄道も一部例外的に自転車持込不可という駅があるが、それらのうちで利用者が特に多いと思われる彦根および近江八幡については、あるいは貴生川と同じ理由ではないかという気がしてきた。本当にそうだとすれば、JR西日本の度量の狭さに対して怒りを禁じ得ない。

10月9日
 今日は体育の日だが、思わぬ形で障害物競走に挑むことになった。詳しくはこれから述べる。
 先日ネットで「岩手峠」をチェックしていたら偶然「林道池田明神線」のページに行き着いた。明神の森から池田山に至る「古屋スカイライン」が建設中であるとの情報は既に得ていたが、それが開通していたとは知らなかった。mapion.co.jpで調べたら確かに載っている。(国土地理院サイトの地図に先んじていた。)ありがたい。これまで行こう行こうと思っていながら延び延びになっていた池田山にもやっと登れる。
 単に上って下りるだけではつまらないので周回コースにしたかった。何年か前には、ミツバチ村を経て不破ノ滝に至る旧道(地図上では二重線で表示)から先に進んでみたことがある。ところが滝を過ぎてすぐ、林道上にまで生い茂っていた灌木によって行く手を阻まれた。ネットでそういう記載を目にはしていたが、廃道同然と化してしまっていたのをこの目で確認した訳である。結局その日は諦めて引き返した。作戦を練り直し、山頂の北に伸びている蛇谷あるいは足打谷沿いの実線道から詰めようと考えたのだが、本当に通れるのかは定かでない。(そもそも名前がどちらも良くない。)池田町あるいは春日村(現揖斐川町)の役場に問い合わせてもサッパリ要領を得なかった。しかしながら、この出来たてホヤホヤの林道を利用すれば、完て舗装道路による理想的な走行が楽しめる。(北のダートも気にならないではないが、あるネットの登山日記に「足打谷併用林道は危ないので通らないほうが良い」と書かれていたからキッパリ諦める。)ということで、急遽池田明神線走破を敢行することにした。岐阜へのツーリングは福井や湖西よりも近いというイメージを何となく抱いてはいるものの、冷静に考えたら結構な距離と上り下りがある。半日ではとてもとても。なので朝食後直ちに出発(6時50分)。
 テレビで天気予報を見たら近畿6府県プラス周辺各県(福井県嶺南、三重、香川、徳島)全てが午前午後とも降水確率0%である。こういうことは滅多にない。(三重の尾鷲市や福井の旧今庄方面は日本有数の多雨地帯である。)そういえば東京オリンピックを開催するにあたり、過去に晴天となることが最も多かった10月10日が開会式に選ばれ、後に体育の日となったことは知っている。この祝日は連休を増やすという政府の方針で2000年から10月の第2月曜日に改められた。そのため今年は1日早い10月9日になったけれども雲一つない上天気。五輪のご威光は今も健在のようである。
 先に岐阜行きについて触れたが、自宅から東に10分ほど走ると山東町(現米原市)へ抜ける観音坂隧道がある。その上りが結構キツイ。私は前が3速、後が6速による走行を基本としているが、いつもここで後を5速に落とす。よく考えたら北に向かう場合、最初にギアチェンジするのは国道303号線なら岩熊トンネルの手前(湖西ツーリング)もしくは川合〜杉本間(八草峠越え)、同365線なら柳ヶ瀬を過ぎてからである(もちろん強い向かい風の時は別)。距離は短いものの体が十分温まっていない内に急坂を上るのはやはり辛い。(それを避けて市の北東部をかすめるように通っている国道365号線まで迂回する気にはさすがにならない。時間&距離で大損するから。)
 トンネルを過ぎたら直ちに左折→右折し、農道経由による最短距離で国道365線に入ること。(地図で研究されたし。)大野木の交差点までは緩やかな上り、そこを過ぎると傾斜が急になる。(そういえば、この国道は山東町→伊吹町→山東町→伊吹町とコロコロ変わるのが面白かったが、ともに米原市として合併されてから町名表示の看板がなくなった。)下りに転じるまで2kmちょっとのはずだが、実際以上に長く感じる。なんともイヤらしいダラダラ上りだ。栃ノ木峠を北から越えるよりもシンドイのではなかろうか?(もっとも、あそこはその前の椿坂峠でほとんど終わっているのだけれど。)今回初めて出発からの経過時間をチェックしてみたところ、岐阜県に出るまでに48分かかっていた。1時間後にようやく笹尾山トンネル(国道21号線関ヶ原バイパス)通過である。ここでも北行きを思い起こせば、国道365号線ならだいたい鏡岡中学校の辺りまで行ける。(風向が良ければ池原やその先の小谷まで、悪くとも余呉湖に向かう下余呉交差点には到達できる。)それと比べたら思ったほど進んでないなぁというのが実感である。
 さて、自動車で関ヶ原バイパスに入るなら信号を右折し、高架を通って本来の国道をまたいでから東に進むのであるが、自転車ではその必要はない。左折して高架下(南側)の細い道を行くと笹尾山トンネルの直前でバイパスと合流(そのまま歩道と接続)できるようになっている。トンネル通過後は結構急な下り。過去に逆方向をママチャリで上ったことを思い出す。大学院博士前期(修士)課程を終えて休学する直前、および後期課程を修了した後、下宿を引き払ったが、自転車だけ残して名古屋から長浜まで帰ることにしたのである。(確か2度とも8時前に出て15時半過ぎに着いたと記憶している。)大垣〜関ヶ原間も辛かったが何とか登り切った。ところが、このバイパスでは向かい風にもたたられて漕げども漕げども前に進まず、それこそ這々の体でトンネルまで辿り着いたのである。
 もちろん下りだからこんな苦労はない。が問題がない訳ではなかった。私は常日頃から歩道走行を推奨している。もちろん自分でもそれをなるべく守るようにしているのだが、ここは除草が全く行われていなかったため草本植物(木本だったら大変だ)によって腕や顔面を何度もひっぱたかれた。さらに気が付いたら雑草の種子(いわゆる「ひっつきむし」)が左太腿から靴にかけてビッシリ。こりゃタマランと車道に出た。(途中から北側にも歩道が設けられているが状況は全く同じだった。)あんな管理の悪い歩道ならあってもなくても一緒だ(怒)。
 先に池田山からクリアすることにした。ネット情報によると最大傾斜が15度を超えるほどの急なジグザグ上りがあるとのことで、押すのは全然構わないが下るのが非常に怖いからである。野上北の交差点で左に折れてバイパスに別れを告げる。(ウッカリ直進すると21号線に出てしまうので注意。ちなみに私の持っている1999年発行の県別マップルにはこの分岐は載っていない。バイパスが工事途中だったからだが、そろそろ買い直した方がいいかしらん?)県道53号線(岐阜関ヶ原線)に入ると正面に堂々とそびえ立つ池田山が見える。目標をここまで明確に視野に捉えたら否が応でも気合が入るというものだ。右手に建っている中学校を過ぎ、続いて左手に小学校が見えたら左折。あくまで岐阜関ヶ原線を進む。こちらから梅谷越に向かうのは2度目。前は集落内を通る旧道から入った。が、直進方向に「池田町 池田山へ→」という看板が立っている。もしかすると新道工事が完了したのかもしれない。上手くいけばトンネルまで掘られていて梅谷越をスキップできるかも、と期待を抱いた。が甘かった。しばらく進むとガードレールによって行き止まり。反対側からも舗装道路が造られているようだが、開通まではもう少し時間がかかりそうである。仕方なく左折して狭い県道(冬期閉鎖)に入る。
 とはいえ、この梅谷越はそんなに嫌いではない。日光はほとんど射し込まず鬱蒼とした杉林の中を通る。なかなかに渋い雰囲気で、思わずブルックナーの第4交響曲第2楽章が聴きたくなった。しかも交通量は非常に少ない。(大垣池田線が道幅拡張とトンネル完成によって完備されたためと思われる。)途中から傾斜が急になったので降りたが、5分ほど押したら最高点に着いた。ここで出発から90分が経過。下って間もなく左手に簡易舗装道が見えた。あるいはショートカットできるかもしれないとも思ったが、行き止まりだったら泣きを見るので自重した。(後で見たら点線道は付いているようである。が、本当に通れたか否かは知る由もなく、その選択が正解だったか不正解だったかも結局分からず仕舞いである。)
 登山口にて左折。最初のコーナーまでは漕いだが、これは手に負えそうにないと思い押しに変更。今度は二之瀬越を三重県側から上って岐阜県側を下った日のことを思い出した。相当な急勾配だった。途中でグループと思われるサイクリストとすれ違った。めいめいが自分のペースを守っていたと見え、そこそこ間隔は開いていたが、みんな漕いで上っていたのに驚いた。華奢な体つきの女性までも。ペダルの回転から想像するに、ギア比を最低近くまで下げていたに違いない。実は私はあれができないのである。急坂では腰を上げて体を左右に揺らしながら上る「ダンシング」という高等技術があるらしいということは知っている。が、実際やってみても息が続かない。おそらくは(自己流でやってるから当然だが)基本が全然なってないからであろう。それもあるが、「歩くスピードと大して変わらへんやないか」と考えたらアホらしくなって結局「押し一徹」に堕してしまうのである。そんな訳で、自転車関係の部とかサークルに入っていたような人達と一緒に走ろうものなら、私は十中八九お荷物になってしまうことだろう。「峠の神様」こと岐阜のNさんのBBSにてツーリング・オフ開催の情報を得ても、いざとなると参加に踏み切れないのはそういった事情による。
 既にお気付きかもしれないが、当サイトの走行記録は例外なく単独行によるものである。NHK-FM「日曜喫茶室」で日本中をバイクで旅するというテーマだった日のこと、ゲストの誰かが「自分は絶対1人でしか出かけない。自分より遅い同行者を待っているのが嫌だし、それ以上に自分より先に行った人を待たせていると考えたら心苦しいからだ。」と語っていた。その気持ちは痛いほど解る。(少し違うかなという気もするが、)音楽や読書といった他の趣味にしてもそうだ。それらに浸っている時に他人から茶々を入れられるのを私はとにかく好まない。(明石家さんまも同様らしく、サッカー中継を観ているときに話しかけられるのが大嫌いだそうだ。)少なくともプライベートでは今後もこういうスタンスを貫き通すであろう。
 ついつい余計な話をしてしまった。8時50分(2時間経過)に「池田山林道」と書かれたゲートを通過。ここからが本当の林道らしい。路面状態が急に良くなったが、「池田明神線」としてセットで整備されたのだろう。(途中に工事箇所があり、平日は一部時間帯しか通れないようだが、今日は大丈夫だった。)さらに30分ほど押すと「ここから池田の森」の看板があった。既に尾根筋に出ていて右手に濃尾平野が見える。噂には聞いていたが、この眺めは素晴らしい。これで地上付近が靄っていなかったら完璧だった。それにしても何という絶好の自転車日和であろうか。上空には雲一つ見えない。(見つけたと思ったら飛行機雲だった。)風も全く吹いていない。時折迫ってくるバイクの爆音に気分を害されたが、いくら何でもこれに文句は付けられまい。(四輪車はさほど気にならない。)
 相変わらず押し主体。10時までに着ければいいと思っているのだから気は楽である。傾斜の緩いところは乗ったが、せいぜい全行程の1割程度ではなかったか。ところで、漕ぎに必要な筋肉と押しに必要なそれとは明らかに異なり、片方が活躍している間もう一方は休めるようだ。ならば両者を交互に使い、しかもその比が半々に近いという上りが理想的なのかもしれない。なかなかそんな道に出会ったことはないけれど。(そういえば栃ノ木山中線はそれに近かったような。)さらに進むと道が二手に分かれていた。直進方向は駐車場に車が停まっており、その向こうには滑空中のパラグライダーが見える。これに対して左に折れる方はどことなく寂れた感じだ。既に私の習性はご存知だろうから、どちらを選んだかは敢えて記すまでもないだろう。(案内図には最終的に山頂で合流するように描かれていたが、距離的にもそちらの方が短そうだった。)
 いくら押しといっても結構な上りが延々と続いているのだから次第に疲れも堪ってくる。が、先月の近江坂に比べたらどうってことないと思えてしまう。やはり経験値を上げるのは重要だ。3時間経過。「沙羅ふるさと林道」の看板が立っていた。全長9921mとある。今回はその走行こそが主目的である。山頂まであと少しのようだが大して興味はない。が、まあ折角ここまで来たんだからと「森の駅」(休憩所)から右に入って登山道を押すことにした。この土道が思いの外長く、結局着いた時には10時を少し過ぎていた。木造の展望台に上ってみたものの、山頂付近まで木が植わっているため360度の大パノラマとはいかなかったのが残念。むしろ「森の駅」からの方が周りがよく見えた。
 登山道入口に戻り、いよいよ林道を西進。下ってすぐの上りは押したが、概ね乗ることができた。それにしても交互に立っている「垂井町」「春日村」(現揖斐川町)の看板を何度目にしたことだろう。どうやらこの林道は入り組んだ境界線を突っ切っているらしい。そういう事情は解るものの、「ここはおらが土地だべ」とわざわざ明記する必要があるのか疑問を感じずにはいられなかった。そんなことを考えていたら、長ーい上り坂になって再度の押し。視界が開けている分、池田山よりも眺めは良い。下に明神ダムが見える。ならば終点も近いと思っていたら間もなく県道257線(川合垂井線)に出た。岩手峠はすぐ近くのようだ。ここに来るのは2回目だが何年ぶりだろうか? 前回は最初に国見峠を越えた時だったと思い出したが、長谷川沿いを延々と南下する県道の走行中は薄暗くてひっそりした感じが何ともいえず快かった。(なお、その次の国見峠越えの際は古屋からさざれ石公園内を通って笹又に至り、その先は担ぎで伊吹山ドライブウェイまで出たため、ここは通っていない。)最後は傾斜が少しきつくなったが、押しに頼らずとも何とか岩手峠まで着くことができた。(ただし、本来の岩手峠道とは明神湖から抜ける古道のことであり、地図には点線道として描かれている。もちろん私は好奇心から挑んだのだが見事門前払いに遭ってしまった。詳細な記述で一部マニアに知られる「美濃の峠」というサイトでもこの道が現在通れるか否かについては明言していないし、登山記録でさえ通行可能という情報は確認していない。)ところが、峠を過ぎてからは急勾配のジグザグ下りとなり、それが長々と続いたのに恐れ入ってしまった。こんなのを逆から上ろうとしたらエライことだ。かつてトライした鞍掛峠→二之瀬越→国見峠ルートによる「三国(滋賀・三重・岐阜)攻め」があえなくヘタレ(藤川越で入県)に終わったのもそれが原因である。県道56号線(南濃関ヶ原線)を北上する際の逆風攻撃によって体力を相当消耗していたとはいえ、残るハードルが国見峠だけだったら這ってでも越えてみせると意を決して向かっていたはずだ。そして何とかなっていたと思う。けれども、その前に強力な番人が待ち構えていると想像しただけで心が挫けてしまった。そこでアッサリと兜を脱ぎ、そのまま国道365線から滋賀県に入ってしまった。そんな訳で私にとっては因縁の場所なのである。(→追記:このように一度は記したが記憶違いであった。実際にはジグザグ急坂を2往復ほど上ったところで絶対無理と判断して引き返したのを後に思い出した。)
 それはさておき、左に行けば明神の森を下って国道21号線(最も早く帰れる)、右に行けば国見峠から滋賀県に入る。(それが常識的な選択肢だろう。旧久瀬村→旧坂内村に出て品又峠、新穂峠、さらには鳥越峠や八草峠orトンネルという手もなくはないが、いくら何でもムチャである。)で、最初に決めていた通り右に曲がった(すなわち茨の道を選択)。しばらく下るとサプライズ。通行止である(今月末までの予定)。それも土嚢による完全シャットダウン。手前に停まっていた軽自動車内で若者が寝っ転がっていた。例によって無視して入る。休日だからと高をくくっていたが、パワーショベル2台で作業をしていた。詫びを入れつつ、そっと脇を通してもらった。
 その少し先で悪い癖が出た。長谷川が分岐している所から左に折れる道があった。そっちに入ってしまったのである。とはいえ、全くの思い付きという訳ではなかった。先述の笹又経由による伊吹山ドライブウェイ下りの際、左手に作業道の看板が目に入った。鉄製のゲートで閉ざされてはいたもののずっと先まで続いており、草ボウボウだったが何とか通れそうだった。そこで後日調べてみたところ、相当ウネウネながら川合垂井線とドライブウェイとを結ぶ実線道(最初から最後まで)があると知ったのである。それが気に懸かっていながら未踏のまま何年も経過していた。もしかしたらこのダートがそうかもしれない。幸いにしてこの地帯の国土地理院の1/25000図も携行している。これは絶好のチャンスである。ためらいはなかった。が、既に11時を過ぎ腹も減っていたため、ここで栄養補給と体力回復。
 実線道とはいえ道幅は十分あり、通行(押し)に支障はない。右手に川が見えているから、この谷沿いの道で間違いない。ひたすら前進のみである。明神池田線とは大違いで誰にも出会わない。(熊は恐いが時に奇声を発することで避けてもらうことにした。それ以上にヤバイのはスズメバチだが、こちらは出会わないことを祈るのみ。そういえば来週日曜日の「所さんの目がテン!」のテーマだから見逃さないようにしよう。)耳障りな排気音も聞こえない。「おひとりさま」にとってはまさに打ってつけのコースである。
 ところが、「作業道 藤川谷線」の看板付きゲートを通った途端に道が悪くなった。(その鉄製ゲートからして壊れていた。)人も車も通った形跡がない。そのため下草が繁茂しているし、日当たりの良いところでは左右からススキがせり出していてシングルトラック並の広さしかない。それならまだしも、道の中央にまで生えている所も多く閉口した。根鉢ごと落下している樹木も立ちはだかる。その予備軍も数知れず。どうやら廃道化プロセスを順調に(?)消化しているようだ。そうなると行き止まりが心配になってくる。が、それでも引き返せば明るい内には帰れるだろう。いつもの方針通り行けるところまで行くことにした。なお傾斜は相当キツイ。林道池田線どころではない。本日最高値更新(20度近い?)である。少し上っては休む、を繰り返すしかなかった。
 この道を通るに際し、何よりも気を付けなければならない点がある。途中にあるY字型の分岐点で右前方(少し上る)に進路を取らなければならない。(迂闊にも直進してしまったら道が突如終焉を迎えて途方に暮れることになる。地図上に点線道は載っているが、上りも下りも急でメチャメチャ怖そうである。)ところが、いつまで経っても出くわさない。「まさか見落としたのでは」と思ったが、実線道ゆえその可能性は低い。ここは一息ついて地図を見るに限る。そうすると長谷川最源流部の谷を横切ってから左に直角に曲がったところにあると判明。自分が立っているのはちょうどその谷の上である。あと少しだ。だが、こういう山奥では地図上でせいぜい300m程度の道のりがとても長い。ようやくにして思っていた所に思っていたような分かれ道を発見した時は嬉しかった。
 最初は急な上りだがやがて緩やかになる。舗装されていたら乗れそうだ。このまま楽な道だったら助かるなあと思った。後に見通しの甘さを思い知らされることになるが。後ろを振り返ると少し前に登った池田山が見える。今立っている場所の高さは向こうの頂上とさして変わらない。一度下って再度上り直した訳である。我ながら何と非生産的なことをしているのだろうと呆れてしまった。
 さて、右に左に何度か曲がった後で遠く前方にガードレールが見えた。まず間違いなくドライブウェイだろう。とホッとした直後にトラブルに遭遇した。大規模な崖崩れによって木が集団で落下して道を塞いでいる。路肩も少し落ちている。パッと見には通れそうにない。(国見峠道を2度目に通った時の崩落は凄まじかったが、土だけだったのでちょっとした山登りで通過することができた。)身をかがめたら何とかかんとかくぐり抜けられそうではある。しかし自転車と一緒では無理だ。ならば自転車を外に出して路肩ギリギリを通れば何とかなる。以前なら本当にそうしたかもしれない。が、万一バランスを失えばただでは済まない。ここでも近江坂での教訓が生きた。困った時は深呼吸して気を落ち着けるのが一番。そうしたら山側に僅かながらスペースを発見したので、先に自転車を投げてから倒木の上を乗り越えた。どうにかピンチを脱出。それにしてもヤマビルがいないのはホント助かった。
 以後は滋賀&岐阜県境とほぼ並行する尾根に沿って進む。時に左右ともに切り立った崖となり、自分がとんでもない場所を歩いていることを改めて認識した。ドライブウェイを通る車の音が次第に大きくなってくる。間もなく生還できる! だが最後の直線数百メートルは完全な芒野と化していた。おそらくこの道に整備の手が入る可能性はほとんどないだろうから、曲がりなりにも通れるのは今のうちである。(もしかして私がヒトとしては最後になるかも?)作業道の終点に辿り着いたのは13時03分。2時間足らずというちょっとした障害物競走であった。なお、ちょうど出た所に県境を示す看板が立っていたので、その下からが滋賀県のようである。とはいえ少し下りたら再度岐阜県に入ってしまうため、当然ながら「県境越え」ページには登録しない。
 ここから先も選択肢は2つある。最初はいっそのこと頂上まで登ったろかと思った。垂直方向にあと500m余り。時間的にも体力的にも余裕はある。ただし、上りはいいが登山道を担ぎで下りるのは危ないだろうし、登山者の邪魔にもなりかねない。かといって同じ道を引き返すのはつまらない。結局は素直に下ることにした。(伊吹山頂へは日を改めて、たぶん登山者として挑むことになるだろう。車は絶対イヤだ。)休日のため交通量はやたらと多い。が、不届きな乱入者は他ならぬ私の方だから迷惑にならぬよう気を遣わなくてはならない。今回は途中にあるはずの(前回見つけられなかった)脇道を探しつつ走った。右に折れるヘアピンカーブを過ぎて間もなく、左前方に砂利道が目に留まった。地図にある尾根筋の点線道ではなく、その西の谷沿いを緑ヶ谷まで抜けられる道のようだ。道幅はたっぷりあるし、距離的にはかなり得をしそうである。ただし最初の下り坂が恐ろしく急に映る。それで止めにした。「ここまで来て怪我をしたらつまらない」と考えたから。
 程なくドライブウェイ入口の信号交差点に到着。往きと違う道で帰るなら次の信号を左折し県道229号線(牧田関ヶ原線)経由で今須に出て、あとは国道21号線や旧中山道、あるいは柏原から北上するなどいくらでもルートはある。が、そうせずに国道365号線を戻ったのは理由がある。帰りにこそ立ち寄りたい場所があった。「名水百選」に指定されている泉神社である。大腸菌が発見されたというニュースを耳にして以来、足が遠のいていたから実に久しぶりだ。(別にそれが怖かったからではないが。)で行ってみたら様子が少し違っていた。以前は神社内で水が湧いていたのだが、外に設けられていた休憩所が「御神水受拝所」に改造され、全方位に備え付けられたホースから水が出るようになっている。あんな騒動があっても人気は相変わらずのようで、十人以上がペットボトルやタンクを引っさげて水を汲みに来ていた。車のナンバーを見たら「岐阜」「三重」「名古屋」「尾張小牧」とことごとく県外であった。
 所要時間のまるで読めないツーリングではあったが、そして帰路で道草を食ったけれども15時前に家に着いた。少し休んでからこれを書いている。町内の法事で昨日もらってきた鮒鮨を肴に日本酒を飲みながら。御神水も悪くないが、やっぱり私はこっちの方がいい。

10月22日
 今月13日付「滋賀夕刊」(ローカル紙)に北陸本線の長浜〜敦賀間の直流化および長浜新駅舎開業を記念する特集「長浜駅舎と北陸線の歴史」が掲載された。
 鉄道マニアやこの辺(湖北や福井嶺南)のある程度の年齢層以上にはよく知られているが、明治時代終わりに開業した当初の北陸本線は木之本から今庄までの区間が現在とは全く異なっていた。詳細に述べていくとキリがないので端折るが、現在のように木之本からしばらく北進して余呉湖付近で左(西)に曲がるのではなく、そのまま北上して柳ヶ瀬集落を過ぎてからようやく左折し敦賀市刀根に至るというルートだったのだ。(もし中核都市の敦賀を通る必要がなければ、国道365号線とほぼ同じ道筋で武生・鯖江方面まで敷設されたであろう。)ところが、この間を結ぶ柳ヶ瀬トンネル(全長1352mで1884年開通当時には日本最長の鉄道トンネルだった)があまりの急勾配のために貨物列車が立往生して乗務員が窒息死するという痛ましい事故が契機となり、傾斜がやや緩やかな現行ルート(深坂越から越県)に変更されることとなった。一方、敦賀より先もかつては大変な難所で、葉原(はばら)で大きく左(北)に曲がって(葉原大カーブ)からは、葉原トンネル、杉津(すいづ)トンネル、山中隧道といったトンネル街道、および4箇所もあるスイッチバックを経て嶺北に入っていたのだが、こちらも北陸トンネル開通によって敦賀から南今庄までをショートカットする新線に改められた。そんな訳で、由緒ある旧線の方は既に私が生まれる前に廃業となっていたのであるが、その線路跡は整備されて一般道として今も利用されている。(ただし刀根の一部区間は外れており、小刀根トンネルは指定文化財として保存されている。ついでながら「新疋田駅」の「新」が旧線の駅と区別するためであることは自転車遠乗りを始めてから知った。)特に福井の県道207号線(今庄杉津線)は地元民以外にとっては「知る人ぞ知る」というべきマイナー道路だが、実は自転車乗りにとって格好のツーリングコースとなっている。私も既に2回走った。杉津パーキングエリアからの眺めは掛け値なしの「絶景」である(特に下り線)。
 ようやくにして改段落だが、要は冒頭で触れた記事を読んでいる内に久しぶり(3年ぶり?)に走ってみたくなったのである。件の直流化は21日に完了し、ついに「琵琶湖環状線構想」が現実のものとなった。(実際には1本の列車が琵琶湖を周回する訳ではないが、北陸本線と湖西線の接続が格段に良くなる。)それにあやかって、私も「北陸線歴史探訪ツアー」(要は往きに旧線、帰りに新線沿いを走るだけだが)を企画した。加えて未走のまま既に1年半以上が経過している木ノ芽トンネル(昨年3月に開通)のチェックも併せて行うつもりだ。ただし、土曜はちょっとした仕事を抱えていたし、成分献血の日に当たっていたため(今年中に大台をクリアするためには一度たりとも休めない)今日にしたのである。今月3日分に記したサイクルトレインによる信楽行きがパーになったので、その埋め合わせということもある。
 ・・・・と、ここまで書いて、あとは帰宅してから執筆するつもりだった。が、やむを得ぬ事情のため結局中止。説明すると長くなるだろうが、金曜夜に職場内での飲み会に参加し、自室(寝袋常備)に泊まったことから始まる。(今年春の失態後に自己嫌悪に陥ったこともあって、外に飲みに行くのが私はすっかり億劫になってしまった。このところ飲酒は専ら自宅か学内である。とにかく酩酊状態での移動は御免こうむる。)そのため留守録が6時間近く溜まってしまった。中身は年度後半の日課であるCNNとTVEのニュースが2日分、N響定期演奏会、そして2006年プロムスのラストナイト・コンサート(9月9日)である。
 ここで他ページでも延々と思い出を綴っているラストナイトについて脱線する。以前は生中継されていたが、ここ数年は字幕付き録画放送となっている。現地の聴衆との一体感は減少したけれど、却ってそれで良かったのではないかと考えている。というのも、かつて劣悪な同時通訳に閉口させられたことが忘れられないからである。何人かの女性が交替で担当していたが、うち1人は自然科学系の書物で何度か目にしたことのあるベテラン翻訳者だった。ところが彼女は入れ歯を忘れたのではないかと思いたくなるほど聞き苦しい話し方で、私はすっかり興醒めしてしまった。某掲示板でも非難囂々だったが、NHKにも抗議が殺到したに違いない。翌年から録画になったのは十中八九そのせいであろう。さて、今年はマーク・エルダーという聞き慣れない指揮者が振った。約20年ぶりの登場らしい。話術に長けた人で笑いのツボを押さえたトークは愉しめたが、演奏自体は特に良くも悪くもなかった。(そういえば「ルール・ブリタニア」はソリストが入って4番まで歌うというA・デイヴィス時代のスタイルが一番良かったなぁ。)むしろ、コリン・マシューズ(ハレ管弦楽団の専属作曲家というナレーションがあった)が自作演奏後に舞台に上がったことが印象に残った。どこかで見覚えのある名前だったが、しばらくして「冥王星」の作曲者であると思い当たった。彼はハレ管の委嘱に応じてホルストの組曲「惑星」(作曲当時は「海王星〜神秘主義者」で終わっていた)を補完すべく2000年に「冥王星〜再生する者」を書いたはいいが、そのわずか6年後に冥王星が「矮惑星」に格下げされてしまうという不運に見舞われたのである。それを彼はどのように受け止めたのかが気になる。ついでに書いておくと、曲の合間に限っているとはいえBBCのアナウンサーはいくら何でも出しゃばりすぎだ。さらに今年はゲストのしゃべりも鬱陶しかった。(この際だから他の不満もぶちまけておくと、放送衛星による他会場の中継は程々にしておくべきではないか? あれではとてもコンサートに集中できない。思い出したが、ウィーン・フィルのニューイヤー中継でバレエの映像を多用するオーストリア放送協会(ORF)にも腹が立つ。)
 閑話休題。いざ日曜朝を迎えてみると、ビデオを再生しようにも時間が全然足りないことに気が付いた。(金曜日に帰宅していれば夜にN響アワーと日課1日分を消化できた。)家の野菜畑の管理作業(中耕と培土)は半時間もあれば終わるだろうが、午前はワールドシリーズ初戦があるし(→先発フル出場したカージナルスの田口壮は最終打席にヒットを放った)、夜は日本シリーズの第2戦(→日ハム会心の逆転勝ち)が待ち受けている。まさに「前門の虎、後門の狼」である。(森内名人が対局するNHK杯将棋トーナメントは諦めた。)それだけではない。今日は菊花賞じゃないか! 後者は普段なら別にスルーしても構わないのだが、昨年に続いて三冠のかかったレースだから見逃す訳にはいかない。(短中長距離全てに適性を示す馬などそう滅多に現れないから夢と終わる公算が大きいとはいっても、やっぱり観たいものは観たい。)偉業に挑むメイショウサムソンは既に6敗を喫しているため、もし勝てば「史上最多敗戦三冠馬」になるという話だ。(2着以下を一緒くたに敗戦扱いするのも酷だという気がするが。)ディープのようなエリート中のエリート(無敗で三冠達成)とはまさに対照的だが、こういう雑草タイプが脚光を浴びるというのもいいものだ。(→4着という残念な結果に終わった。やはり絶対的本命不在の年は「荒れる菊」になることが少なくないと再確認した。)ここまで重大イベントが並んでいたら、遠乗りは言うに及ばず外に出る気にすら到底なれない(という出不精な私である。それでもプロムス・ラストナイトの第2部は月曜回しとなった。)
 ということで不本意ながら先送りすることになった。やはり土日よりは祝祭日(月〜金の間)の方が動きが取りやすい。が、寒さと強い北風を大の苦手とする私ゆえ、今年出かけられるのはあと1日か2日が関の山、しかも未だ済ませていないノルマが1つ残っている(来月3日予定)。下手すれば来年回しになってしまうかもしれないな。

11月3日
 峠について先日ネット検索していたところ、「未踏の岐阜県境800キロを歩く」(岐阜新聞社)という本が出てきた。商品詳細情報ページ掲載の目次を見ると「国見峠〜品又峠」「品又峠〜新穂峠」など魅力的な文字列が並んでおり、私は即座に「本やタウン」に注文を入れた。が、届いてみれば何のことはない。この本の中身は岐阜県と隣接県との境界全てを延べ900余人もの大垣山岳協会のメンバーが5年の歳月をかけて馬鹿正直になぞったというだけで、稜線歩きを愉しむ登山愛好者以外にはほとんど何の役にも立たない。しかも踏み跡の状況やら所要時間など大部分は客観的な記述であり、読んでいても全然面白くない。ハッキリ言って1620円(定価1800円×生協の割引率0.9)は無駄な出費だった。ただし、「鳥越峠〜八草峠」の項に記されていた県境沿いの林道(揚水発電所を建設するための調査用)は私の目を引いた。これは両峠間の近道として有効利用できるかもしれない。ということで、せっかく買った本の顔を立てるためにも(?)今回は八草峠からは国道303号線を進まず南下することにした。(以下余談:この本では他に「五僧峠〜谷山<点名>」も気になった。五僧峠林道は岐阜県側の工事完了がしばらく先になりそうだが、峠から「谷山」という458.1mのピークまでの稜線は切り開かれ、明瞭な作業道が続いているという話だ。ならば自転車行も十分可能と思われるが、「谷山」から白谷に下りるにしても、県境沿いに国道21号線まで出るにしても、藪漕ぎ中に山蛭に攻撃される可能性は高い。汗ふき峠での悪夢を思い出したら腰が引けてしまった。ちなみに神奈川には「ヤマビル研究会」という団体があり、ウェブサイトも公開されている。名称はいかにも怪しげだが中身は真っ当そのものである。活動報告のページには新年会や忘年会に参加した女性メンバーと思しき写真が掲載されているが、それが「べっぴんさん揃い」であるとして自転車関係のBBSで評判になったことがある。たしかに・・・・)なお関西電力による発電所の建設計画は結局おじゃんになったから、もし林道が通じていなければ未完成のまま放置される可能性は高い。その場合は尾根筋歩きを余儀なくされることになる。が、9月の近江坂でそれは経験済みだから何とかなるだろう。(余談その2:木之本町に隣接する余呉町では丹生ダムの建設見直し、少なくとも規模縮小が必至となり財政面で苦境に立たされているが、手詰まり状態からの一発逆転、起死回生を狙ってか、最近になって放射性廃棄物処理場の誘致に乗り出した。もっとも淀川水系の最上流に位置するとあっては県内はもちろん京都府および大阪府からの強硬な反対は避けられず、建設に漕ぎ着けるまでには多難を極めると予想される。もちろん私としても気持ち悪いので、運悪くできてしまったら同町へは足が向かなくなるに違いない。)
 ただし気になる事があった。既に何度か述べている熊である。今年の日本全国の目撃総数は2年前を大きく上回っているが、滋賀県も例外ではなく、既にあちこちで猛威を振るっている。何と私が住む長浜市にも現れた。それが今年初めの合併で大きくなった「新」長浜市の旧町区域(特に旧浅井町の山間部)なら話は分かるが、以前からの市部、それも住宅地で大暴れしたというのだから驚きの一言である。もし遭遇したら相手は餌不足で気が立っているから一戦交えることになるかもしれない。それは冗談としても、連中だってわざわざ尾根筋のような切り立った場所を歩いたりしないだろう、という自分でもよく解らない根拠に納得してしまったので出かけることにした。(←いいんかいそれで?)
 次なる問題は所要時間。全く読めない。普通に舗装道路を通るとだいたい6時間弱で戻って来られるが、その場合は八草峠から一旦下って登り直すことになるし当然ながら大回りになる。一方、いくら山歩きとはいえ今回のルートは大幅ショートカットだから所要時間は同程度、うまくいけば少なくて済むのではなかろうか? ならば日曜朝の雑用を済ませて10時に出ても明るいうちに帰宅することは可能だろう。そんな風に考えていた。大甘だった。事前にネットで登山記録を検索したところ2件見つかったが、いずれも十分休憩を取ってはいるものの両峠間の移動だけで6時間以上もかけている。まして当方は約16kgの手荷物付きである。時短に貢献するような乗車可能区間はそう多くはないはずだ。稜線歩きを除く行き帰りに4時間は欲しいところ。ならばトータル10時間のツーリングということになる。そこで予定変更して本日3日に決行することにした。奇しくも昨年と同じく文化の日となった訳である。7時少し前に出発。
 1時間経っても木之本町杉本の手前までしか行けなかった。何年か前、絶好の追い風に後押ししてもらった時は時は杉野の集落を抜けて湖国バスの「わらべ橋」停留所まで行けた。その日は2時間5分ほどで八草峠に着いた。その時は「もし日の裏林道(裏道&近道)を利用すれば2時間を切れるかもしれない」と思い、しばらくの間それを目標に掲げていたこともある。しかし今は降ろしている。(「琵琶湖一周10時間以内」と一緒である。)あんな好都合の風がそうそう吹くはずはないし、私はしょっちゅう出かけている訳ではないから走力の飛躍的向上も望めない。それよりもオーバーペースが災いして事故や怪我に見舞われたら何にもならない。今日は先述のバス停通過に1時間8分かかり、そこから八草トンネルの入口までさらに27分を要したから、この時点で2時間を切る可能性は限りなくゼロである。なお、昨年が日の裏林道経由だったから今回は正規ルート(国道303号線のみ)。特に理由はないのだが、何となく1年措きになってしまった。
 少し戻って、トンネル開通によって自動車での通過時間が約40分から5分程度に短縮されたということだが、結構高い所に掘られたので入口に辿り着くまでが大変だ。(アクセスのための高架工事が続けられているが、まだまだ完了まで時間がかかりそうである。ところで、トンネルができてからも相変わらず冬期通行止なのは何とかならないものだろうか? それを私から聞いた岐阜のNさんは少し驚いた後に「冬通れないのだとしたらかなり無意味ですね」とコメントされていた。全くその通りである。「峠の神様」の不興を買うような事態が一刻も早く解消されることを願うばかりだ。)途中に乗れる区間があるが、その前後は必ずといっていいほど(よほど体調が良くない限り)押しである。さて、例によってトンネルの右奥から上に続いている旧道に入ろうとして驚いた。通行止である。それもガードレールや土嚢といった甘っちょろいものではない。巨大なコンクリートブロック4つで塞いである。「何が何でも通さんぞ!」という強烈な拒絶の意志が伝わってくる。川合トンネルを出た直後に「金居原〜八草峠まで落石注意」という電光表示を見たから、危ないながらも通れるだろうと思っていたが・・・・看板には「落石、路肩崩れ、崩土のおそれのため」と書かれていた。とはいえ、左脇に単車か何かの車輪が通った跡が残っていたので私も後に続くことにした。(別にそういうのがなくとも入っていたに違いない。)  昨年以上に落葉が堆積しており自動車が通った形跡はない。途中で何度も路肩の崩れを目にした。自転車なら問題なしだが四輪だと相当怖い。これでは封鎖もやむなしと納得した。また、雨がしばらく降っていないにもかかわらず水が溜まっている場所がいくつかあった。これも過去にはあまり記憶にない。(岐阜県側はそれこそ至る所にあるけれど。)荒廃過程が着実に進行しているという印象である。ここで気になったのだが、新ルートの建設に今後も相当な金を注ぎ込まなければならないような状況下で、敢えてこの傷んだ道を修復するような金銭的余裕が国にあるのだろうか? 先の看板には確か通行止の期間が記載されていたはずだが、もはやあのブロックが取り除かれる日は永遠に訪れないかもしれない。そうなったら中河内木之本線の旧道と同じく安楽死を迎える=廃れるままに任されることになるだろう。感傷に陥っていても仕方がないから景気の悪い話はもう止めにする。
 トンネルを過ぎてからも押し→漕ぎ→押しというパターンは同じ。しかしながら、日の裏林道が合流する所の手前からは勾配が緩やかで楽に乗れる。(なお、合流地点の前後もご丁寧にガードレールが通せんぼをしていた。これで滋賀県側は四輪車による峠越えは全く不可能となった。)さらに合流地点を過ぎて以降は乗車可能区間が結構長いのが嬉しい。脚の疲労回復が図れるからだ。そういえば先月執筆した池田山登頂記にて「漕ぎと押しの比率が半々が理想」などと述べたが、この峠道は結構それに近いような気がする。
 さすがに最後は押し応えのある上り坂が続く。右に直角に折れて一気に上った先が切れているように見える。が私は何度も来ているからトリックには引っかからない。本当の峠はその先にある。(なお、今日は押しが全然辛くなかった。いつもはその「偽峠」にてアタック前のインターバルを取ったりしていたのだが・・・・やはり先月の作業道藤川谷線で鍛えられたことが大きいと思う。)2度目の右折れ付近は十分乗れる。最後の最後こそ急坂だが、ここはギア比を下げてでも何とか漕ぎでゴールを迎えたいところだ。峠到着は出発から2時間20分後。そんなに悪くないペースである。9時30分まで休憩。
 県境を挟んで林道が2本南に延びている。迷ったが、開かれてから日が経ってなさそうな東側(岐阜県側)の道にした。そこそこ傾斜もある。が、それは覚悟の上。何せこれから標高1317mの金糞岳まで登らなければならないのだ。勝負はこれからである。(ふと気が付いたが、もし登頂に成功すれば自転車行による最高到達地点となる。従来の記録はハッキリしないが、高倉峠もしくは笹又から登って伊吹山ドライブウェイに出た地点のどちらかだろう。ちなみに八草峠は750mである。なお、私がメキシコシティや南米のアンデス諸国で自転車に乗っていたら、ちょっとやそっとでは破れないような大記録が残されていたことだろう。もちろんキセルだが。)国土地理院の1/25000図に描かれている実線道を信じるならば、2度の分岐で進路をともに右に取らなければならない。例によって念仏のように「右、右、右・・・・」と唱えながら進んだ。最初は上り(右)と下り(左)にハッキリ分かれていたので間違えようがない。(左に入ったらとんでもない場所に連れて行かれそうだ。)途中でコンクリートによる簡易舗装に変わる。そのまま道なりに進めば2度目の分岐も問題なくクリアできた。所々に芒が繁茂していたが、出穂後でかなり落葉していたためさほど鬱陶しくない。時に石ゴロゴロや崩落にも出くわしたが、ここでも藤川谷線と比べたらアホみたいに楽である。やがて林道が尾根を横切って西側(滋賀県側)に出た。ふと下を見るとさっき通ったばかりの峠道、さらにははるか遠くに金居原の集落が見える。多くの山の頂きも私が立っている所より下にある。高倉峠に挑んだ時もそうだった。その上あの時は雲海をも見下ろしていたので、爽快な気分を味わっただけでなく、何となく自分が実質以上に偉くなったような錯覚を抱いてしまった。山登りにのめり込む人々の気持ちが少しだけ解ったような気がした。
 それはともかく、私には不安があった。稜線は林道の左手にあるが、崖になっているため簡単にはアクセスできない。(地図上では等高線1本分だが、もちろん10mもよじ登るのは不可能。)この林道がいつか行き止まりになるのは判っている。そこで速やかに登山道と合流できれば良いのだが・・・・崖は次第に高さを増すばかりである。心細さも募ってくる。が、行けるところまで行ってから考えることにした。(いつもの行き当たりばったりである。)林道終点にて「山火事注意」と書かれた小さな札が下がっており、そこから細い道が続いている。落葉が積もっていたが踏み跡はしっかりしていて担ぎで十分通れた。「これはいいぞ」と思った。ところがである。倒れた杉が行く手を遮っていた。何とか2度は越えられたが、見るとその先にも倒木が何本もある。しかも道は少しずつ下っている。どうやら間伐用に付けられた簡易作業道のようだ。明らかに私が進むべき道とは違う。もちろんUターン。このように納得ずくで引き返す場合は精神的ダメージも小さい。こうなったからには何としてでも稜線に出なければならぬ。林道との交差点から相当進んでしまっているので、途中にどこかないかと捜しながら下っていたところ、茂みのやや薄くなっている場所を見つけた。中に入って絶句。先述の登山記録から藪漕ぎ必至という情報は得ていたが、辺り一面がクリントン、いやブッシュである。「本当の藪漕ぎというのはこういうものなのか!」と愕然とした。歩きなら何とかくぐり抜けられても、大きな鉄の塊を抱えていては到底不可能である。踏み倒すことのできる草本植物ならともかく、木本は相手にするには悪すぎる。マチェテ(山刀)を持っていたら道を切り開きながら進めたであろうが、それでは間違いなく日が暮れてしまうだろう。他の登山道と合流する1161mのピークまで辿り着ければ、そこからは白倉岳→金糞岳→鳥越峠まで道が整備されているという話だったが、無理なものは無理。完全撤退を余儀なくされた。峠に戻ったのは11時近くだっただろうか? 全く意味のない約1時間半の遠足であった。(そして例の本はブックオフに持って行くか廃品回収に出すしかなくなった。)点線道ですら何度も返り討ちにあっているというのに、それすら記載されていないルートに挑んだのが敗因である。まあ熊の餌食にならなかっただけ良かったとしよう。(→11月16日追記:今朝新聞を読んでいたら、昨日金糞山登山道に熊が現れて人を襲ったという記事が目に入った。危なかったぁ。)
 もはや残された選択肢は1つ。素直に揖斐川町(旧坂内村)川上に下って鳥越峠に向かうしかない。水溜まりが目に付いたが毎度のことなので今更驚いたりしない。岐阜県側は最近舗装されたと思しき区間もあり路面状態は良好に保たれ、まだしばらくは四輪車も通れそうである。新旧道の分岐点に通行止表示こそあったが、特にゲートなどで進入を阻止したりはしていなかった。
 ここから先はあまり書くことがない。鳥越林道の入口に昨年と同じく「工事中につき通行止」と記した看板が立っていた。むしろ、それがないことの方が珍しい。それでも通れなかったことは過去一度もない。おそらく誰も本気にしていないのだろう。イソップ童話のオオカミ少年といい勝負だろう。もちろん躊躇なく道を進んだ。(ただし実際に滋賀県側の下りで実際に路面の整備と崖の補修を行っていた。通行に支障はなかったが、数日前なら四輪車は困難だったかもしれない。)車を何台も見かけたのも同様。
 1年前と異なっていた点もある。9割以上は押しだったが息が上がったりすることはなかった。これもやはり先月分の残効のお陰だろう。(よく考えたら昨年は椿坂峠→中河内木之本線→杉本トンネルという遠回りをした後だったから途中でへばったのも当然だ。)樹木のモザイクも今一つという印象。その理由の1つは霞がかかっていたこと。デジカメを持って来たので途中で何度かシャッターを押した。が、気に入った写真は全然撮れなかった。こんなもんで勘弁してくれ。

         

私の感性の鈍化(慣れ)もあるだろう。が、それ以前に紅葉自体が不十分のように思われた。シャツの袖をまくり上げたほどの暑苦しさを感じたが、昨年よりも気温が高いのは明らかで、それがアントシアニンの蓄積を抑制していたと考えられる。
 鳥越峠到着は13時半。(撮影によるロスタイムは15分程度か?)県境表示の看板を見て、ここから長浜市かと思ったら笑えてきた。峠から金糞岳に向かうこともできただろうが、自転車行のポリシーに反するため自粛した。登山は決して目的ではない。私にとっては山頂も通過点の1つに過ぎないのである。スーパーマーケット2店(ジャスコと西友)で買い物したので帰宅は16時少し前になったが、寄り道しなければ峠から家まで1時間半もあれば十分のはずである。なお、午後はほとんど快晴だったにもかかわらず、後ろを振り返ったら金糞岳方面だけ雲がかかっていたのが何故か可笑しかった。

11月4日
 先々週行くはずだった「北陸線を辿る旅」(←名前変わってますよ)を今日済ませることにした。言いっ放しが嫌いな性格ということもあるが、既に今庄方面に来年2度訪問する計画(後述)を立てており、これも来年回しとなればウンザリしてしまうかもしれないと思ったからである。
 今回のツーリングでは懐中電灯の携行を忘れてはいけない。なるべく光量の大きいものが望ましい。)敦賀のトンネル街道には照明設備が不十分なもの、もしくはあっても機能していないケースがある。暗中では平衡感覚が狂ってくるため(目を閉じると片足で立てないのと同じ)、自転車では直進するのが難しく、下手をすると側壁にぶつかって転倒する恐れもある。(自信がなければ降車して押すのも賢明な選択である。)足下を照らすだけでなく、自動車が見えた場合に電灯を左右に振ってこちらの存在を知ってもらうという用途もある。ゆえに必需品である。電池をチェックしてからデイパックに入れる。例の場所に行くつもりなので16時がデッドラインである。昨日の今日というのが気に懸かるけれども、山歩きをする訳ではないので(国道8号線や365号線の厳しい上りでは押すだろうが)いくら何でも9時間はかからないだろう。それでも念のため30分早く家を出た。
 昨日同様、朝は肌寒い。息が少し白い。それよりも手がかじかむのが困る。湖北献血ルームの職員によると私の手は異常に冷たいそうで(自覚なし)、暖かい時期は40分以内で採血が終わるものの、冬は1時間以上かかってしまうこともあった。(その対策として携帯用カイロを握らせてくれるようになってから少しは短縮された。)やっぱり23日(勤労感謝の日)に出かけるのは無理だ。ということで、今年の遠乗りはこれが最後となる。脚の疲労が十分回復していないためか1時間漕いでも中之郷交差点までしか行けなかった。かなり遅いペースである。(以下しばらく非合法の行為について綴っているから目立たないようにする。)
 さらに半時間ほどで最初の関門の前に着いた。柳ヶ瀬トンネルである。(既に何度も書いているはずだが、軽車両は通行禁止である。これはあんまり書きたくないけれど、道路交通法に違反する行為であるから通るならもちろん自己責任で!)片側通行で信号待ち時間は結構長い。青に変わり最後尾の車が進入したのを確認してから後に続く。内部は十分明るい(懐中電灯は必要なし)のだが、入った直後は真っ暗に感じて怖い。予め中に入って目を慣らしておけば良いだろう。漕がなくても勝手に進んでいくが、もちろん少しでも離されないように全力で漕ぐべし。(それでも置いていかれる。私は未だその経験がないが、運悪く後続車が迫ってきた場合は途中2箇所に設けられている待避所でやり過ごすべきかもしれない。そうなると相当待たなければいけないが。)「柳ヶ瀬トンネルを挟んで25パーミル(25/1000)の急勾配区間が7km続くが、自転車にとっては大したことない」といった記述を複数のサイトで目にしたことがある。それは本当だが、漕いだら相当なスピードが出るので傾斜はある程度実感できるはずだ。冷静になってみれば幅はそこそこある。なので運悪く信号無視の車が迫ってきても、路肩に停車すればすれ違うことも十分可能だろう。ただし「大型車進入禁止」が守られなかったら運の尽きだ。出口付近にカーブありの表示がある。自転車なら余裕で曲がれるはずだが一応徐行する。通過するまで2分もかからないが、逆方向(登り)なら倍以上を要するはず。絶対に止めるべきだ。(どうしてもというなら倉坂峠経由で。玄蕃尾城跡を訪れるための舗装道路が左手に着けられているから、そっちに迂回する。所要時間は約30分。ただし滋賀県側は土道である。もちろんルール破りが嫌なら方向に関係なくこのルートを利用するしかない。)通り抜けてから信号が変わるまでの時間を計ったら256秒だった。気持ちは解らんでもないが、1台だけ待っていた車は残り時間のレベル表示がゼロになるのを待ちきれずに進入してしまった。ケシカランなあ。(←お前が言うなよ。)

 律儀に旧線跡を辿るなら、そして小刀根トンネルを見たいのであれば県道140号線(敦賀柳ヶ瀬線)→国道8号線を疋田まで直進だが、私は刀根の気比神社付近で右折しショートカットさせてもらう。帰りには嫌というほど8号線に付き合わされるのだからいいだろう。この笙の川沿いの道は車も少なく、走り心地は抜群だ。杉箸を過ぎると傾斜が少しずつきつくなる。普段なら何ともない上りだが、やはり疲れの抜け切っていない脚には少々こたえる。池河内の集落を過ぎると湿原に出た。さらに気分が良くなる。が、間もなくジグザグ下りになる。傾斜はかなり急(昨日の鳥越峠級)なので、アッという間に国道476号線に出てしまった。まさに「ドスンと落ちる感じ」という形容がピッタリだ。(なお岐阜のネット知人Nさんのサイトによると、ここは「西谷峠」と呼ばれているらしい。また、一方だけが急傾斜となっている地形を「片峠」と呼ぶということも同所にて知った。)
 旧線跡に復帰してからも相変わらずペースは上がらない。以前来た時よりも格段に交通量が多いが、やはり木ノ芽トンネルが開通したためであろう。途中に越坂への迂回路があるが、これも押した挙げ句に最後はドスンと落とされるだけだから面白くない。その直後に田尻に向かう分岐があるが、「五幡へは抜けられません」という表示があるから興味は湧かない。点線道で描かれているウツロギ峠道が通れるならいつの日か挑んでもいいと思っているのだが・・・・葉原小学校の交差点で国道と別れてからは単独行となった。トンネル入口までゆっくりゆっくり進む。蒸気機関車の苦労が分かったのは脚の疲労のお陰である。
 葉原トンネルは水平方向には直線だが上って下るため出口が見えるのは途中から。概ね通行に支障のない明るさだったが、蛍光灯による照明が一部途切れていた区間では懐中電灯を使った。次のトンネルは照明なしだが短いので問題なし。問題は次の曽路地谷トンネルである。オレンジ色のライトは光量が足りないため足下ですら全然見えない。懐中電灯フル稼働だ。(なお、以後のトンネルは蛍光灯がしっかり照らしてくれたから必要なかった。)ところで入る直前に軽トラックが猛スピードで追い抜いていったが、トンネル内でなくて助かった。(もちろん車が見えたら降りて通過するまで待機する。あんまり想像したくはないが、万一こちらに気付かずに突っ込んできた場合に備え、自転車を盾代わりに使うべきかもしれない。なお、最後&最長の山中トンネルでも車2台とすれ違った。この日はそれで全部だったが、これもトンネル効果と思われる。)
 杉津パーキングエリア、もちろん眺めの良い下り線の方に登って休憩。ここで用事を済ませなくてはいけない。成分献血の予約である。実は昨日中に入れておくはずだったのだが、献血ルームに何度電話しても通じなかった。祝日ゆえ閉まっているのを失念していたのだ。公衆電話からいつものフリーダイヤルにかけたところ音声案内で「エリア外です」とのこと。よって手帳(最近カード式になった)に記載されている草津の赤十字血液センターへの直通番号に呼び出しを試みた。今度はつながったが予期せぬ展開に。午後は詰まっていて15時からしか空いていないとの返事。一瞬迷ったが「では、それでお願いします」と言ってしまった。こういうのを安請け合いという。通話を終えた途端、これはエライことになったと思った。予定を1時間前倒しにしなくてはならない。(もし余裕を持って半時間早めに出ていなかったら諦めていたと思う。)それでも時間は十分あるはずだが、約束を守るためには一刻の猶予も許されない。9時半まで休憩するつもりだったが、絶景を愉しむ暇もなく出発(トホホ)。一応証拠写真を載せておく。
 この先も長いトンネルが4つあるが先述のように通行は問題なし。第二観音寺山トンネルはほぼ直線。曲谷トンネルと伊良谷トンネルはそれぞれ途中で左および右に折れている。最後の山中トンネルは相当長いものの、恐ろしく真っ直ぐなので入った直後から遠くの出口が見える。お陰で全く不安はなかった。路面が濡れてはいたが。ところで、これらトンネルの合間の所々で国道8号線まで下る小道(実線道)が付いている。地図では等高線の間隔が広く見えるが騙されてはいけない。実際にはかなりの急傾斜なので一度降りてしまうと登り直すのは大変だ。
 トンネル街道が終われば下りオンリー。右手に北陸トンネルの出入口が見えたと思ったら間もなく南今庄駅を通過。10時ちょうど。もし北陸本線(新線)にこだわるなら新道(註:集落名)で右に折れて由緒ある北陸道を辿るべきだが、もちろんそんな時間はないから直進する。(が、この二ツ屋を経由して木ノ芽峠に至るルートについても数年前の記憶を頼りに文字を起こしてみよう。舗装道路を延々と進む。折り返しによる急な上りを過ぎれば切り開かれた草原が目の前に広がる。要は今庄365スキー場のゲレンデなのだが押しは大してきつくない。ただし本来の道がどこにあるのかサッパリ判らないのが不満だった。地元でも古道がズタズタにされてしまっている現状を嘆き悲しむ声が上がっていたらしい。実際には最上部の右(北)端に道が残っており、そこを登り切って広域基幹林道の栃ノ木山中線に出ると、かつて道元禅師が通ったことを記した碑が立っている。新保から木ノ芽峠まで登ったのはその前年か2年前だが、整備の行き届いたハイキングコースだった。)異常に腹が減っていたのでJRの踏切を過ぎたところで昼食休憩。少し早いような気もするが献血ルームに着きさえすればジュースや菓子を摂取できるし(飲み&食い放題)、いざとなったら今回十二分に持参した血糖値回復用の飴があるから大丈夫だろう。ここでもサッサと切り上げて道を急ぐ。
 今回は栃ノ木峠まで行く必要はないものの、例によって国道365号線の上りは辛い。それでも休憩を挟みつつ何とか漕ぎで頑張る。さすがにスキー場へ向かう道との交差点の手前でどうにもならなくなったので押し。トンネル入口は板取に着けられていると聞いていたが、ここに至っても出くわさないのは意外だった。その後も長ーい直線区間をしばらく押していたら前方に青い看板が見えた。ようやくにして国道の分岐点に到着。ちょっとビックリした。木ノ芽トンネルに向かって緩やかに上っている476号線が本道のように見えたから。少し左に折れて下っている365号線はまるで脇道である。この不当な扱いも道幅や路面状態が違うため仕方ないのかもしれないが、実際にも道なりに進む車の方が多いようだった。
 最初の計画より規模縮小されたとはいえ(註)トンネル全長は1783mとかなり長い。(註:このトンネルは文字通り木ノ芽峠のほぼ直下を通って新保と二ツ屋を結ぶように掘られるはずだったという記述を何かのサイトで見たことがある。つまり昔の北陸道と同じく距離優先コースで今庄に出られるようデザインされていたのだ。ところが財政難の折からコスト削減を余儀なくされ、結局は新保〜板取ルートに変更されたという訳だ。先のプラン通りに建設されていたら全長はどのくらいになっていただろうか?)これまで私が通ったうちでは八草トンネル(3025m)に次いで2番目だろう(岐阜の上石津トンネルは途中の切れ目で3つに区切られているから参考記録)。難点を述べる。まず歩道の幅が1m程度しかない。疲弊した脚では真っ直ぐ漕ぐのも心許ないから、下手をすれば転落しかねない。反対側にも同じ幅で付けられていたが、こんな中途半端なことをする位なら片方にまとめてもらいたかった。また一部区間では照明が消えていた。暗闇でバランスを失う。危険を感じたため車道に降りて速やかに通過した。(もちろん車が来ないのを確認してから。交通量が少ないため救われた。)もう一つある。抜けた直後の段差だ。スロープぐらい付けろ! こんなんでは自転車には全く優しくないトンネルと言わざるを得ない。出口からは相当急な下りで、新保の集落脇を猛スピードで通過。かつて木ノ芽峠を越えた時はこんな所を登ってきたのかと我ながら感心してしまった。勢いは衰えることなく、さっき通った葉原にもあれよあれよという間に到着。以後しばらくは旧線跡を再履修する。上りと下りが違うことで知られていた樫曲トンネルだが、上りは取り壊されて獺河内(うそごうち)トンネルに付け替えられ、下りもガードレールで封鎖されて脇を通るようになっている。(崩落の恐れのためと思われるが、小刀根トンネルのように保存されるのだろうか? そういえば、この辺りの北陸自動車道は上り線と下り線がクロスしたり全然違うところを通ったりしているのはなんでだろー?)
 河原町交差点で国道8号線(敦賀バイパス)の高架に上がる。本線と合流する交差点の看板を見て「自分はいつの間に27号線に出てしまったのか」と心細くなってしまう。そろそろ慣れなければ。左折して後は帰るだけ。自転車行の私にはどうでもいいことだが、北陸本線はとうの昔に高架になっているのに対し、列車の本数がはるかに少ない小浜線の方は踏切のままである。この日も敦賀市街に向かう方が酷い渋滞になっていた。
 最後に待ち構えているのは新道野越だが、いい思い出が全くない。県別マップルには最高点が260mとあるから、多くの県境峠を幕内とすればせいぜい新十両がいいところである。にもかかわらず押さずに登り切れた試しがない。麻生口までは何とかなる。(ここで一息吐くのが習慣になってしまった。)その先はほぼ一直線で、同類としては椿坂峠の北側(中河内側)が挙げられるだろうか。あちらはよほど疲れていない限り漕ぎ100%で登り切れる。しかしながら新道野にはまるで歯が立たない。斜面が絶対的に長いため途中に休憩を挟むのは当然としても、下るスピードから想像するに傾斜自体は同じレベルか、こっちの方がむしろ緩いような気もするのだが・・・・とにかく難敵である。交通量の多さによる心労も多分に影響しているかもしれない。が、思うに最大の原因はそれまで散々タフな走りをこなしてから挑むためであろう。昨日の分が加わっているので既に脚はパンパンである。登坂車線は全て押すことにした。それでも30分はかからなかった。琵琶湖を見たのはそれから25分後。
 時刻はまだ13時を過ぎたばかりである。楽勝だ。あまりにも順調にいきすぎた感がある。そうなると8号線をこのまま南下するのが惜しくなった。よって賤ヶ岳隧道を出てすぐ左折して県道44号線(木之本長浜線)から湖岸に出ることにした。(なお、このトンネルには歩道の真上にも蛍光灯による照明がある。少しは見習え木ノ芽トンネル!)というのも、これが今年最後となる可能性が強いため、湖周道路(別名「さざなみ街道」)をのんびり走りたくなったのだ。(というより、実はそれが目的で先を急いだのである。)帰宅する場合は相当な迂回となるが、これから向かう先にとっては大して遠回りにはならない。山本山をぶち抜いている片山隧道を抜けてからはギヤ比を下げてスローペースでの走行。ただしクタクタだったので景色を愉しむ余裕はなかった。早く着きすぎてもしょうがないので何度か停まって時間を潰す。こんなツーリングは初めてだ。(湖北野鳥センターは言うに及ばず、多数のバードウォッチャーが湖畔にも立っていたが、あいにく私にその趣味はない。)何もなければとっとと帰って缶ビールか冷酒をかっ喰らって布団に寝っ転がっていたところだが。(この気怠さを伴った眠りは快いこと限りない。)それでも献血ルームへの到着直後に飲んだCCレモンの味は格別だった。ちなみにチンタラ漕ぎでも14時半に着いてしまった。結果論であるが7時丁度に出発していたらピッタンコだった。(11月15日追記:この日の結果が今日届いた。上で「今回限り」などと書いたけれどWBC(白血球)だけ。やはり前回の2倍以上に跳ね上がり、上限の5割り増しの値を示していた。とはいえ、「以前もこういうことはあった」で押し通したのであるから実は納得ずくである。次も同じような値だったらさすがにヤバイが、まあ大丈夫だろう。)
 さて、これで今年は走り納めとなったが、来年は県境越え(正確には「府県境越え」)のコレクションにあと1つ加えたい。朽木村(現高島市)の生杉集落から西に向かい、ブナ原生林内を経て京大演習林に向かうルートである。ちなみに、越境後は京都広河原美山線→久多広河原線→麻生古屋梅ノ木線を通って滋賀県に戻ることになる。そして大津市葛川梅ノ木町から国道367号線を北上する。もちろん道の駅(くつき新本陣)までは輪行を利用するつもりだ。他に有力候補としては、もう何年もご無沙汰している高倉峠が挙げられるだろうか。ようやく貯水試験を始めたという徳山ダムを見てみたいし、前回は八草トンネルを利用したため「ヘタレ」で終わってしまった「三国攻め」も今度こそ達成したい。今思い出したが、福井県今庄町(現南越前町)上温谷(かみぬくだに)から赤谷を通って宇津尾に抜けるというルートも懸案となっている。(地図上では分水嶺の直前で分断されているように見えるが、数年前その東隣に位置する多留美川沿い林道から広野ダムまで走った際にちゃんと繋がっているのを確認している。)2005年9月の桝谷ダム完成に伴い道路も整備されているはずだから是非訪れてみたい。できれば今年中にとも思ったが、夏以降は芒による執拗な抵抗が予想されるため先送りとする。(先述した広野ダムへの下りでは閉口させられた。)加えて福井も熊のメッカのようだから自重した方が身の為だろう。そうなると、来年春(黄金週間)にこれを「前走」として持久力を付けてから「三国攻め」(GI)に挑むというのが賢いやり方かもしれない。ディープインパクトの凱旋門賞での敗北を他山の石としたい。
 なお、今後も琵琶湖一周および八草峠&鳥越峠のルーチン(ノルマ)は「自己確認」として毎年続けるつもりだが、それ以外の長距離ツーリングとしては今日走った北陸本線旧線跡や中河内木之本線などお気に入りのコース数種に限定したい。(ただし、前者は国道365号線(栃ノ木峠まで)〜栃ノ木山中線〜旧北陸線線跡(麻生口まで)〜新道野越というコースにするつもりだ。掟破りの柳ヶ瀬トンネル通過はもう止めようと思う。ついでながら、奥伊吹の甲津原は新穂峠道が荒れ果てているらしいので、行って戻ってくるだけになる公算が強く、あまり気が進まない。)要は行動半径をこれ以上拡げることは考えていないという訳である。むしろ来年は自転車乗りを本格的に初めて8年目、ウェブサイト作成に手を染めて3年目に当たるから、そろそろ次の「5ヶ年計画」のテーマを見つけるべくアンテナを立てなければならない。

11月5日
 本日放送されたNHK-FM「日曜喫茶室」のテーマは「のんびり行こうよ鉄道の旅」で、ゲストの関川夏央(作家)と野田隆(旅行作家兼高校教師)、ご常連役の池内紀らがメチャメチャ面白い話を繰り広げていた。普段から出不精を公言している私だが、実は嫌っているのは専ら新幹線と飛行機による移動で、ローカル線は結構好きなのである。なので業務出張の際もなるべく各駅停車、悪くとも在来線の特急や急行を利用するようにしている。出演者が熱っぽく語るのを聴いていたら体がウズウズしてきた。もしかすると私は鈍行列車の旅にいったん足を踏み入れたが最後、ズブズブと深みにはまり込んでしまうかもしれない。そんな予感がした。(けれど鉄道オタクには相当な偏屈人が多いという話だから仲間入りするのは嫌だなあ。ましてやクラヲタと掛け持ちになったら大変だ。)とはいえ、それを愉しむのは足腰が弱ってからでも決して遅くはないから当分先にとっておこう。乗れる間は自転車で頑張ろうと改めて決意した次第である。

11月6日(これで打ち止め)
 なんとなんと、このページの文字数が38000にも達していた。既に音楽関係の「私のクラシック遍歴」や「許光俊のページ」をも上回っており、たぶん当サイトで最多だと思う。来年の走行記録はこれを凌駕するんだろうか?(別にしなくたっていいけど。)

12月28日(予定変更)
 10月22日執筆分で触れた懸案に先日(12月16日)ようやく片が付いたので、一応ここでも証拠を提示しておく。(私は自分の個人情報を掲載することに対しては何の抵抗もない。ある人物に重大な示唆を与える結果となることだけが少々気に懸かるけれど・・・・彼は首尾良くここを見つけることができるだろうか?)さて、今後も何度か(順調にいけば5年に1度のペースで)区切りのいい数字(下二桁が00)をクリアすることは可能だろうが、数字をもう一桁増やすのは規則(年間回数と年齢の制限)があるため100%あり得ない。となると、4桁達成の夢は間もなく折り返し地点を迎えようとしているブルックナーに託すしかない。(←本気か?)

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