2005年走行記録

5月5日
 今年は3月にナミビア出張があったし、ダラダラと4月後半まで飛散し続けたヒノキ花粉のせいで花粉症が長引いたため、「自転車開き」がとうとうゴールデンウィークまでずれ込んでしまった。しかも恒例の余呉湖→賤ヶ岳→山本山コースには冬眠から目覚めたばかりの熊がウロウロしているという話だったので回避し、昨日いきなり琵琶湖一周を走ることになってしまった。(今更ながら気が付いたのだが、途中何ヶ所も設置されている「琵琶湖一周サイクルロード」という看板によると、瀬田の唐橋を渡る場合の全長は193kmらしい。)7時に家を出て12時キッカリに膳所城跡公園に着いたのは昨年と全く同じ。ただし、今回は途中で弁当の1/3を食べるなどしてしっかりカロリー補給もしていたのであるから、ガス欠は起こっていない。にもかかわらず同時刻に着いたということをもっとよく考えるべきだった。30分間の昼食休憩後に再出発し、瀬田川大橋(国道1号線)をちゃんと渡った。ところが、そこからは信号も歩道の段差もなく走りやすいはずなのに、どうにもペースが上がらない、というより落ちる一方。おそらく普段ならどうということもないような微風なのに、向かい風が非常に辛かった。琵琶湖大橋付近と長命寺の交差点で10分ずつ休憩するが疲労は回復せず、さらにペースダウン。当初は前年の記録(10時間5分)の更新を狙っていたのだが、目標時刻を大幅にオーバーしたため断念した。職場近くを通った時は既にバテバテで、そこから帰宅するまでの20km足らずの区間で3度も休みを取った。先述したように決してガス欠ではないし、足が吊ったり痛くなったりした訳でもない。やはり冬眠中になまってしまった体では無理で、ある程度持久力を取り戻してから挑むべきだったのだ。(後で考えるに、順調に走っていられたのは最初の2時間だけだった。)あまりにも無念であったため、「真っ当な一周で10時間を切る」を今後の目標とすることにした。ただし、このハードルは決して低いものではないだろう。(今年再チャレンジするかは未定である。ちなみに、某掲示板の「琵琶湖一周」スレッドでは5時間台で完走しているという投稿を見たことがある。たぶん極細タイヤの高速自転車なのだろうが、それにしても信じがたい。私にとっては完全に別世界の話である。)ところで、湖東に渡ってからのことであるが、キャンプ場や海水浴場付近では駐車場からあふれた車(多くは県外ナンバー)が歩行者&自転車専用道路を塞ぐような格好で停まっていた。それも数え切れないほど多くの場所で! そのたびに私はスピードを落とし、そして再度上げるために踏ん張らなくてはならなかったのだ。余分な体力を消費したし、それ以上に精神的に堪えた。全くもってマナーの欠片すら持ち合わせていない連中である。マジにムカついたので、次回はハンマーと五寸釘を持っていくことにしよう。(←おいおい。)

6月1日
 上述の尾根筋ルートを先日通った。古墳群を通る賤ヶ岳から山本山までの区間はアップダウンが激しいだけでなく、登山者用の階段が設けられているため担ぎ比率が高く、例年は四苦八苦するのだが、今年はあっけなく山本山の山頂に着いてしまった。やはり5/4は初走りゆえキツかったということだ。ところで、8月上旬には某団体主催のバーベキューパーティが近江舞子(志賀町)で開かれるということなので、天気さえ良ければ参加するつもりである。プライベートゆえ四輪車は論外であるし、JRも利用するつもりはない。寝袋を持参し、翌日は大津市→甲賀市→日野町→東近江市→多賀町(以下略)というコースで帰宅しようかと考えている。どこかのページに書いた大廻りの琵琶湖一周である。ただし霊山越えは回避する。山蛭攻撃に懲りたこともあるし、昨年秋に痛めた左膝が治ったというのに、そこで無理をしたら元の黙阿弥になりかねないからである。(追記:のっぴきらぬ事情が発生したため結局中止せざるを得なくなった。)

9月19日
 家の行事が先の日曜日で一区切り付いたため、昨日久しぶりに遠乗りに出かけた。目的は朽木の林道小入谷線の走破である。県別マップルには記載されていないが、小入谷から小浜市の上根来に出られるようで、ネット上に走行記録がいくつか載っていた。早速国土地理院サイトの1/25000図を見たところ、福井側(上根来線)は林道工事が完了し、滋賀側も県境近くまで実線道が描かれているから、既に完成しているものと思われた。完走すれば、これまで通った中で最も遠く最も西に位置する県境越えとなる。(最西の県境越えは生杉ブナ原生林を通って京大芦生演習林に抜ける道である。)「記録更新」を目指して朽木に向かった。
 実際行ってみたところ、これは本格的な林道である。山の上の方まで付けられた林道のガードレールが起点からもハッキリ見える。「あそこまで上るのか」と溜息を漏らしたが、実は見通しが甘かった。頂上付近の長いつづら折り(3往復)に圧倒されつつも、ようやくにしてそこまで辿り着いたのであるが、山の裏からさらに延々と道(もちろん上り)が続いているのに愕然とした。最高地点は標高800m強で、難易度も八草峠級である。なお、「おにゅう峠」の石碑が立っていたが、その名前は認知されているようには思えない。(新しいゆえ「おニュー」と引っ掛けたのだろうか? と思ったが、実際にはもちろんそんなことはなく、林道整備を機に「遠敷郡」と「小入谷」の共通する読みを峠名に採用したらしい。)平成15年10月開通ということで、さすがに新しい道だけに路面(滋賀側が完全ダートで福井側はごく一部がコンクリート舗装)の状態は良好で、落石が残っている区間もあったが比較的整備も行き届いていた。一方、林道を少し上った分岐点を左(道なり)に進むのではなく、右の道から詰めていくのが根来坂越で、こちらは由緒ある峠道である。(林道はその峠を避けるようにして少し西を通っている。)朽木から福井に抜ける道は他にもあるようなので、いつか通ってみたいところだが、駒ヶ越や木地山峠は滋賀県側が登山道ゆえ苦労しそうだし、池ノ河内越はさらに道が判りにくいらしい。京都方面へも似たり寄ったりのようである(以上、草川啓三「近江の峠 歩く・見る・撮る」より)。
 ところで今回は完全自走だったが、これがさらに大甘だった。昨年は道の駅まで輪行したため何ともなかったのだが、県道麻生古屋梅ノ木線の北川と針畑川との分水嶺までの上りが結構きつく、大幅にペースダウンしてしまった。言うまでもなく、奥琵琶湖トンネルや県道23号線の上りで消耗したためである。小入谷に着いたのは出発後なんと4時間半後(見込みより1時間近く遅れ)だった。山越えの後はヘトヘトで、可能ならば寄り道(後述)しようかと思っていたのだが、とてもそんな余力は残っていなかった。(ただし膝は大丈夫だった。どうやら完治したらしい。)若狭街道や岩熊トンネルの上りでは完全にバテバテで、足が言うことを聞かず押し一徹を強いられた。(追坂峠→奥琵琶湖トンネルはもちろん回避した。)朽木までの自走は今回限りにしよう。
 今回やり残した宿題(能登野から上って天増川林道を下る)を近日中にやり遂げなければならないし、以前「たぶん行かない」と書いた近江坂も調べてみたら粟柄河内谷林道ほど苛酷ではなさそうなので、それとセットにするかもしれない。また、昨年からの懸案である鈴鹿峠→武平峠の周回コースも今秋中に走ってみたい。(これまでで最も南の県境越えになるし。)長距離自走には懲りたので、もちろんサイクルトレインを利用するつもりだが、今年から近江鉄道のフリーきっぷが一年中(ただし土・日・祝日限定)利用できるようになったのは大変ありがたい。

10月10日
 昨日は先述した近江鉄道のフリーきっぷを利用して鈴鹿峠と武平峠越えを敢行したが、これ以下はないというほど散々な一日となった。「楽勝」(2004年のページ下参照)などと高をくくっていたら痛い目に遭うという見本である。
 その悲惨な一日に触れる前に「S・Sフリーきっぷ」について。近江鉄道だけの利用ならわずか550円と大変お得である。ちなみに昨日乗った分は正規運賃なら1860円にも上る。(さらに乗り放題区間を信楽高原鐵道まで拡張した1000円の「びわこ京阪奈線フリーきっぷ」もあるが、信楽方面の列車は自転車持ち込み不可のためサイクリストにとってはあまり意味がない。)ついでに近江鉄道のサイクルトレインについてだが、彦根と水口石橋、および近江八幡方面の各駅を除き自転車持ち込み可能である。以前は利用時間が9時から16時だったが、(後述する16時05分発の列車はダメなのかと)事前に問い合わせたところ10月から土・日・祝日に限って時間制限が撤廃されたということだ。なお、「サイクルトレイン」とはいいながら自転車用の特別な車両やスペースは設けられていないので、他の乗客の迷惑にならぬようなるべく後ろ(2両編成の場合は後部車両、1両編成なら車両後方部)に積み、チェーンなどでどこかに固定するか手で支えていなくてはならない。何にしても、こういうありがたい企画が他社の鉄道に広がってくれると大変嬉しいのだが・・・・(近江鉄道がいつも空いているから実施できるということは否定できない。ヨーロッパのように公共交通機関への自転車持ち込みが日常的光景になるのは当分先であろう。)
 さて、米原発9時07分発に乗り込む。私は物心ついてからこの鉄道を利用した記憶がない。もし幼少時に乗っていなかったら生まれて初めてということになる。自転車持ち込みは私以外に2人いた。また、大きな袋を持った人が鳥居本(次の駅)までの乗車券を買っていたが、彼は車内で折りたたみ自転車を展開し始めた。そして鳥居本で降りてしまった。発車までの待ち時間があれば着いてしまうほどの距離なのにわざわざ電車を使ったのはなぜだろう? 交通量が多く歩道も整備されていない国道8号線を嫌ったのかもしれない。それはさて措き、国道1号線最寄りの水口松尾駅に10時ちょっと過ぎには着くだろうと思っていたが、見通しが甘かった。近江鉄道のノロノロ運転と単線ゆえの通過時間を全く計算に入れていなかったのだ。結局着いたのは10時32分である。明るい内に帰宅するためには先述した16時05分発日野駅発米原行に乗らないといけない(その後自宅まで約25分の漕ぎ)。それがデッドラインである。これはちょっと拙いな、と思った。よくよく考えてみると電車利用のメリットは目的地付近までの往復の漕ぎが免除されるだけである。完全自走なら帰宅が多少遅れてもどうということはないけれども、電車は待ってくれない。しかも1時間当たり1〜2本しか運行していない近江鉄道の場合、1本乗り遅れると下手をすれば1時間待ちになってしまう。この心理的プレッシャーは決して小さくない。県別マップルには三重県側に面白そうな細い道(山道)が載っており、両峠道だけでは芸がないので可能ならそれらも走ってみようと当初は考えていたのだが、計画縮小を迫られることとなった。とりあえず鈴鹿峠まで行ってそれから考えることにした。
 ところが、駅を出てから1時間足らずで峠に着いてしまった。一部区間が片側2車線で高速道路並の広さのある国道1号線の走りは快適で、途中2箇所ほど丘を越える所が少々きつかったが、峠道自体は想像していたよりはるかに楽だった。前方に巨大な山が迫ってくることがないので、これは大したことないと思っていたが果たしてその通り。登りはダラダラ続くけれども傾斜はきつくなく、押しは全く必要なかった。登坂車線が設けられていないのも納得できる。ほどなくトンネル入口に到着。途中で足が吊って歩行が不可能となった石榑峠に続き、「峠」と名の付く県境越えでは漕ぎ100%での完走第2号となった。上り線(名古屋・東京方面)で三重県に出て下り線から滋賀県に戻り、その後トンネル上の休憩所で昼食を摂った。(ちなみに下りトンネルの方が高い位置にあるし、歩道も整備されていないため上りトンネルを強くお奨めする。余談だが、休憩所の東に防霜ファンが立っており、まさかと思って見に行ったら茶畑があった。こんな所まで栽培しているとは。あれは私有地だろうか?)やはり標高がたかだか350m程度の峠だけに疲労感はほとんどなかった。(ただし、少しだけ下った時に相当スピードが出たので、三重県側から詰める場合はそれなりに消耗すると思われる。)これではさすがに物足りない。そのまま国道を下る代わりにいったん麓に戻って少し北にある安楽越に挑むことにした。これが第一の落とし穴だった。
 甲賀市(旧土山町)笹路(そそろ)集落から東へ向かう。途中に分かれ道があり、最初はクリアした(右の山女原=あけびはら方面に行かずに済んだ)ものの2番目の分岐で迷いに迷った。立札を見ると左は「安楽越28km」、右は「安楽越(近道)15km」とあるが、どうも左が本流に映る。道幅が広くセンターラインもそちらに続いている。一方、右の道は狭くいかにも古びた感じだ。「いくら近道でも登りがきつかったらヤだな。『急がば回れ』という言葉もあるし多少遠回りでも左にしよう」と決断した。大間違いだった。しばらく行くとダートになり、やがて鬱蒼とした山道となった。さらに進むと登山者用の階段が付けられており担ぎを強いられる。何より焦ったのが「安楽越27km」という看板。ほとんど減っていない。「やられた!」と落胆しつつ分岐点に戻った。20分のロス。で、右の近道に入ったが、古いながらもアスファルト舗装はしっかり施され、しばらく押していたら意外とアッサリ最高点に着いてしまった。ちなみに、この道は三重県側の方がよく整備されている。
 そこから下ってあとは武平峠道(鈴鹿スカイライン=国道477号線)に向かうだけだったが、それもスンナリとはいかなかった。亀山市池山集落から北上する細い道が地図上ではショートカットに思われたが判らず、結局違う道に入ってしまい茶畑内をウロウロした挙げ句に行き止まり、やむなく引き返した。15分のロス。近道は諦めて県道11号線を北上することにした。(後悔先に立たずだが、この時いっそのこと国道306号線まで出てしまえば傷はまだ浅かったのだ。)ところが、この県道は所々で非常に狭くなり、道路表示も少ないため辿るのが困難だった。途中で何度か間違える。(1999年発行の県別マップルをいまだに使っているのも敗因の一つである。)極めつけが四日市東急ゴルフ倶楽部沿いを通って県道752号線に出た地点。鋭角的に左折しなければならないところを道なりに行ってしまった。正しい方を選べばほどなく近鉄の湯の山温泉駅に出られるはずだったが、一気に下って国道306号線に出てしまった。後で地図を見たら信じられないほどの迷走ぶりである。(「地図の読めない女」とかいうタイトルの本が結構売れたらしいが、私の地図読みの下手っぷりも相当なものである。)行けども行けども国道477号線に合流しない。「まさか通り過ぎてしまったのでは」とイヤな予感がしたところでようやく交差点の表示が前方に見えた。(今冷静に考えたらあり得ない話だが、もし477号線を逃していたら自走で帰宅する以外なかった。石榑峠や鞍掛峠を越えたとしても近江鉄道の駅までは相当距離があるため遠回りにしかならないからである。)いったん下ってしまったので登り直し。この時点でヘトヘトである。16時05分の列車に乗るのはとっくに断念していたが、既に15時30分を過ぎており次の16時45分もほとんど絶望的である。山沿いで結構アップダウンのある道、しかも初めてで土地勘の全くないところを走る場合、地図上の距離以上に時間とエネルギーが必要である。それを考慮すべきであった。
 何とかかんとか湯の山温泉駅についたが、浪費した時間と体力はもはや計算不可能である。そこからは交通量の多い酷道を避け、直進して湯の山温泉のホテル街に続く県道577号線を押すことにしたが、急な登りは本当に辛かった。景色はさぞ素晴らしかったと思うが、眺めている余裕は皆無だった。なお、県別マップルではこの県道が終点で国道と合流するように描かれている。それは間違いではないが、最後の最後でガードレールによって遮断されており、四輪車はもとより自動二輪でも乗り越えるのは苦しいだろうと思われる(自転車はもちノープロブレム)。途中に「この先行き止まり」の表示があるとはいえ、地図を信じて進んだ人は土壇場で愕然とする羽目になる。そうなれば何キロも戻って登り直さなければならない。余談ついでだが、「ここにゴミを捨てないでください」という意味の警告文の記された看板が立っていた。それもスペイン語とポルトガル語のみ。ラテンアメリカ人による不法投棄が頻発しているのかもしれないが、本当だとすれば大変残念なことだ。
 ようやく鈴鹿スカイラインに合流するが、ちっとも楽にはならない。大ヘアピンカーブのつづら折り4往復の間(もちろん完全押し)、何度立ち止まって呼吸を整えなければならなかっただろう。さすがは鈴鹿山系中、自動車で乗り越えられるものとして最も高い地点に位置する峠(標高850m)だけのことはある。(鳥越峠よりも低いのだから、とここでも私はなめてかかっていたのだ。)トンネルが見えたときは本当に嬉しかった。ここから一気に下れば何とか17時33分には間に合うだろうと考えた。またしても大甘だった。
 日野までひたすら下りだと思っていたのだが、野洲川ダムを過ぎ、県道9号線との分岐点から再度の上り、それも決して緩やかではない。こんな所で押しを迫られるとは思っていなかった。が、地図を見たら旧土山町と日野町の境界に平子峠(標高440m)というのがある。キツイのは当たり前だ。(事前に調べとけよ。)結局這々の体で日野駅に着いたのは18時ちょうど。米原行の出る6分前である。予定時刻の2時間遅れで3本後の電車になってしまった訳だが、さらに貴生川行(逆方向)に乗ってしまうというオマケまで付いた。あまりに疲れていたので反対側のホームに渡ることなど思いも寄らなかった。大部分が無人でホームが片側にしかない近江鉄道の駅の内で、あそこが数少ない例外、しかもほぼ同時刻に出発する2本の列車が止まっていたというのが運の尽きだった。泣く泣く次の駅で降りて乗り直し。それも八日市止まりだったので30分遅れてしまった。帰宅は20時10分。これに懲りて、しばらくは遠乗りに出かけようという気も失ってしまった。毎年恒例ながらまだ行っていない八草峠→鳥越峠コースのノルマ(?)を来月初旬にこなし、今年の走り納めとしたい。(後記:この日走ったのは甲賀市→亀山市→鈴鹿市→四日市市→菰野町→甲賀市→日野町というルートだった。ここまで市の占める比率が高いとは思っていなかったから驚きの連続だったが、特に四日市といえば伊勢湾に面する石油化学コンビナートのイメージが強いだけに「こんな山奥まで侵略していたとは!」と唖然とした。とはいえ、今後さらに合併が進めば全て市部を走行するというツーリングも決して珍しくなくなるだろう。考えてみたら琵琶湖一周もそうなる可能性が高いのだ。)
 最後になるが、今回は飲料水とともに他ページで触れた「燃焼系」アミノ酸入り飲料(2リットル)を携行した。敢えて昼食は炭水化物を少なくしたのだが家に着くまでガス欠は起きなかった。ドリンク自体で320kcalのエネルギーが摂取できるものの、それだけではもちろん足りない。ということは、やはりアミノ酸の働きにより脂肪の分解が促進されていたということになる。確かにダイエット効果があるようだ。今後も利用することにしよう。

11月3日
 上記ノルマを果たしに行った。「ノルマ」と書いたが本当は「自己確認」である。TBS系列で毎年新春に放映されているプロスポーツ選手の競技大会(跳び箱や樽投げなどがある)にヤクルト・スワローズの古田敦也は毎年(もしかしたら初回から?)出場している。出場者の中ではかなり高齢のため上位に入ることは難しいが、ある年の放送で「僕は自己確認のため毎年これに出ているんだ」と語っていた。(彼は来年からプレイング・マネージャーとなるが、現役を続ける限り出るだろうと私は思っている。)それを聴いて「ええ台詞やなー」と思った私は、同年生まれの彼を見習って琵琶湖一周および八草峠→鳥越峠周回コースを「自己確認」の場とすることに決めたのである。辛く苦しいのは事実だが、完走後の充実感は何物にも代え難い。もし「こんなのもうイヤだ」という思いが頭を過ぎったら自転車遠乗りを止めることにしている。あと10年は大丈夫だろうと思うが・・・・
 とはいえ、このコースは6時間弱で走れてしまうため昼食持参(一日がかり)のツーリングとしては少々物足りない。そこで、しばらく走っていなかった県道285線(中河内木之本線)とセットにすることにした。(丹生ダム完成後に沈んでしまう民家の引っ越しがだいぶ前に完了しており、上流の半明、針川、尾羽梨、鷲見、奥川並、田戸、小原という7集落は全て無人=廃村である。岐阜の徳山ダムの方が規模と共に建設反対の声も大きいため有名だろうが、要はあれと同じである。)とはいえ、先にそちらを通るとなると椿坂峠と杉本隧道(丹生トンネル)の上りも加わる。少々不安はあったが、とりあえず行ってみることにした。最悪の一日だった先月10日のリベンジである。トータル10時間(休憩含む)と踏んでいたが、今回は自宅発着なので途中でバテても大丈夫だろう。
 体力同様に気を揉んだのが天気である。3日(木)は曇り時々晴で翌日から崩れるという予報が前日になってひっくり返った。当日朝はどんより曇っており今にも泣き出しそうである。が、午前午後とも30%という降水確率を信じて出発した(6時35分)。ところで、10月は嫌がらせのように土曜日の天気が悪かった。昨年から毎週土曜の自転車通勤を10月いっぱいに延長(それ以前は9月まで)しているのだが、実際には第1土曜(1日)だけだった。さらに腹立たしいことに、第5土曜(29日)は50%以上の降水確率が出ていたにもかかわらず、結局ほとんど振らなかったのだ。そんな訳で買い物のチョイ乗りを別として、自転車に乗ったのはあの悪夢の一日以来だったのである。その弊害がモロに出た。自宅を出て1時間走れば余呉町の片岡小学校(池原)辺りまで行ける。追い風の日はその先の小谷まで、向かい風でも鏡岡中(中之郷)は通過できる。ところが今日は下余呉交差点(余呉湖に向かう道との分岐点)までしか行けなかった。明らかに体がなまっている。椿坂峠の上りも普段より手前から押す羽目になった。不安が募る。しかも、出発して間もなくポツリポツリ降り出した雨が本降りになってきた。やむなく柳ヶ瀬で雨宿りすることになりタイムロス。(こういう時に限って予報が外れやがる。しっかりせえ気象庁!)
 何とかかんとか峠を越えて中河内に到着、右折して県道285線に入る。(国道365号線の電光掲示板に「中河内木之本線通行止」の表示が出ていたけれども毎度のことなので全く気にしていなかった。)以前はなかった二車線の立派な舗装道路がしばらく続いていたのでビックリした。ダム建設に伴ってこの交通量の極めて少ない道も整備するのだろうか?(計画がポシャったらどうするのだろう?)が、すぐに馴染みのあるガタガタアスファルトに戻る。半明の湧水の側に置かれていたベンチは撤去されており、勢いよく水を吹き出す黒のホースだけが残されていた。この水はなかなかに美味いので給水し、ペットボトルに詰める。ここを走るのは約2年半ぶりだと思い当たった。そういえば前回ここを通った際、針川か奥川並に向かう道の脇に県外ナンバーの車が停まっていて驚いた。山菜や松茸の季節でもないというのに。私は廃村跡を見たくて支道に入ったのだが、しばらく行くと道路中央の雑草繁茂が著しくなり、窪みに水が溜まっていたので引き返した。が、後日あの方面で成人向けビデオの撮影が行われているというネット情報(もちろん真偽は定かでない)を得た。「もっと先に進むべきだったか!」と悔やんだのはいうまでもない。さて、少々の落石こそあったものの「通行止」になるような理由は見い出されない。と思っていたら、あと少しで菅並に出るという地点で大規模な(十数メートルにわたって)土砂崩れと巨大落石があった。それもかなり時間が経っている感じだ。修復が行われそうな様子は全くない。私は担ぎで事なきを得たが、四輪車はもちろん自動二輪でも通過は無理だろう。対岸に建設中の新道が見えたので、おそらくこの歴史ある道は見捨てられたに違いない。ここでは水位上昇に備えて山の上の方にも道が付けられていた。
 予定時刻より少し遅れたが、杉本隧道(なぜか両方の入口に書かれたトンネル名が違う)までが予想以上に楽だったので遅れは取り戻せた。八草トンネル開通に伴う国道303号線の新道工事は前回来た時と比べてあまり進んでいないように見えた。私はもちろん旧道に入る。ここでいったん小振りになっていた雨がまた強くなったが、杉林がことごとく遮ってくれたためほとんど濡れなかったのは助かった。峠が近づくにつれ霧が出てきた。何度も来ているがこんなことは初めてだ。もしかしたら視界が利かなくなるのでは、とビビったがそこまで濃くならずホッとした。県境の看板が「坂内村」から「揖斐川町」に変わっており、「マムシに注意」「熊に注意」の看板も上書きされていた。(「合併で随分大きな町ができたんだなあ」と思ったが、調べてみたらもっと上があった。合併後の高山市は日本一大きい市町村となり、その面積は香川県や大阪府をも凌ぎ東京都と同等らしい。)ここも「通行止」だったが最後まで通過に支障はなく、四輪車とも何度もすれ違った。とはいえ、路面には年々ひび割れが目立つようになり、彦根の廃村内の道とだんだん似てきたような気がする。いつまでここを通れるだろうか?
 最後に残ったのが最難関の鳥越峠。(例によって「通行止」で、ここは実際に崩落のため工事をしていることが少なくないが、その場合には脇をそっと通してもらっている。)いつもより長距離を走ってきているだけに、やはり体力の消耗は大きい。林道に入って間もなく押し一徹となった。(八草峠道は急な登りのため最初から覚悟している。)しかも連続して押していられる時間が短い。漕げそうな所で踏ん張ったら脚に鋭い痛みが走った。こういう場合、収まるまで絶対に降りてはいけない。足を着いた途端、本当に吊ってしまうから。以前これで酷い目に遭った時の教訓が生きた。しかし、この過酷な峠道にもいいところが1つある。それは視界が開けており(八草峠道の滋賀県側のように林内を通っているとダメ)、下から眺めた時に見えるガードレールの切れ目付近に本当に峠があることだ。(先々月紹介したおにゅう峠のようにその奥に上りが続いているようなことはない。)そのため「あそこまで登ればいい」と明確な目標が立てられるのである。これが精神的にものすごく大きい。最後のつづら折りに入ってからはあまり辛くなくなった。あと少しで峠という所に設けられた駐車場に自動車が何台も停まっていた。途中で私を追い抜いていった車で、「こんな悪天候の日にわざわざ来てどうするつもりだろう(滋賀県側には抜けられない恐れもあるというのに)」と私は訝しく思っていたが謎が解けた。濃緑の杉と黄橙赤に色付いた広葉樹の織りなすモザイクの美しいことといったら!(この点では杉の比率の高い八草峠は完敗である。)その見物のために来ていた登山客達だったのだ。(車は全て岐阜ナンバーだった。)きっと私もリピーターになるだろう。なお、この林道の「通行止」は案の定ハッタリではなく、滋賀県側では作業員がロープによじ登って崩落箇所の補修を行っていた。
 帰宅は16時44分。とはいえ途中ジャスコに寄ったからほぼ私の目算通りであった。今回もアミノサプリの効果が絶大であったことを最後に付け加えておく。

戻る