Lágrimas(ラグリマス)
1993(直輸入国内盤の発売は1994)
Movieplay Portugues SMP 850500(東京エムプラス PE 51003)

 (たぶん)最初に買ったポンテスのアルバムであるが、トラック1 "Canção do mar" からいきなり仰天してしまった。何とも不気味な立ち上がりに続いてイントロが開始されるが、打楽器リズムと管楽器ソロによって静かに奏でられる「ミーファミーファミーファミファミファ、レーミレーミレーミレミレミ・・・・」の音型が、一転して2巡目(1分ジャスト〜)からは弦楽合奏などによって大惨事の前触れのようにゴージャスな(?)音楽へと変わる。この展開の巧さにまずやられた。が、それは序の口に過ぎず、しばらく間を置いて1分20秒から始まった女性歌手のカタストロフを嘆き悲しむような唄には心底から戦慄を覚えた。私はそれを最後まで抑えることができなかった。何という痛切な、そして情熱的な歌唱! 「こりゃまたとんでもないものに出くわしてしまったぞ。」ドゥルス・ポンテスとの衝撃的な出会いである。
 しばらくして「このメロディ、どっかで耳にしたことがある」と思ったので、CDラックのポルトガル音楽を収めた辺りから何枚か取り出して聴いてみたところ、アマリア・ロドリゲスのベストアルバムに収録されている "Solidão"(孤独)と同じであることが判明した。要はすっかり忘れていた訳だが、改めて聴き比べても印象には格段の違いがあった。が、これは歌手ではなく伴奏に原因を求めるべきだろう。先に「ゴージャス」と書いたけれども、当盤におけるオーケストレーションはかなり大胆かつ斬新である。(ただしポンテスが歌うところでは絶対に邪魔をしない。押すところと引くところをわきまえているから裏方役としては申し分なしだ。)しかしながら今になって思うのだが、超人的スケールを備えた彼女の歌声は通常のファドの編成では支えきれない。(ついでながら、間奏での叫びのようなヴォカリーズも非常に効果的である。)
 この1曲目から受けたインパクトはあまりにも大きく、しばらく耳を離れなかったほどだが、以降も名曲がズラリと並んでいる。とにかく趣向を凝らしに凝らしたオーケストレーションが素晴らしい。敢えて私が1つ挙げるなら多重録音を駆使して変則的アカペラに仕上げたトラック7 "As sete mulheres do minho" だろうが、凡庸な曲はほとんどない。アレンジャーは相当な凄腕の持ち主に違いない。そして、それらを完璧に歌いこなしているポンテスの適応力には舌を巻くばかりである。
 ここで総合評価である。先に「ほとんど」と書いたけれど、最後に収められた "Os índios da meia praia" が惜しいことに唯一の例外だ。ボーナストラックではないのだろうが、別になくてもいいと思った。それ以上に問題なのがタイトル中2番目の単語である。(歌詞中にも出てくる。)ブルックナーのページの6番ショルティ盤評に記した理由により、私の気分を少なからず害してくれた。「インド人」の意味で用いられているとは考えられないから情状酌量の余地なし。よって95点とする。

おまけ
 CDそのものだけでなく、日本語解説も秀逸である。執筆者は中川燿(中川ヨウ)というライターで主にジャズ分野で活躍しているらしい。(ジャズ評論界の事情にはあまり詳しくないが、もしかするとクラシックよりレベルは高いのだろうか? ただし「藤○△昭」という名の中川とは対極にあると言いたくなるほど劣悪なるライターを知っている。)中川はポンテスの歌を初めて聴いたときの印象を述べ、続いてその声や音楽の特徴に踏み込んでいる。(某「うんこライター」によるマドレデウス "Movimento" の解説と展開の仕方は一緒だが、稚拙そのものだったあちらとはまさに月とスッポンである。)平明なスタイルで書かれてはいるものの内容はなかなかに濃く、読語の満足度は高い。(私も見習いたい。)続く2作にも寄稿しており、一部に使い回しが目に付いたけれども直接あるいは電話取材を交えたライナーはやはり素晴らしい出来だった。彼女のような優れた紹介者に恵まれてポンテスは本当に幸せ者である。(それにひきかえ・・・・以下略)少し引かせてもらうとしよう。

  世界地図を広げて、ポルトガル、とだけは指せない広大な世界地図を、
 彼女は持っているのである。
  それでいながら、どんな曲を歌っても、そこにいるのはまごうことなき
 ドゥルス・ポンテス自身。それが彼女の強さである。
  私たちは、ファドの代名詞であるアマリア・ロドリゲスを知らない世代だ。
 それでいいとも思うのだ。私たちはドゥルスがファドを歌うから好きなので
 はない。ドゥルスが毅然と彼女自身でいることに、魅せられているのだから。

私はかつてデビュー・アルバム "Lusitana" 聴後の印象をKさん宛の私信にしたためたことがあるが、その際当盤にも少し触れている。前作よりも格段に表現の幅が広がっていることに驚愕し、「窮屈だった服を脱ぎ捨て、ようやく自分に合うサイズのものを彼女は見つけたのだ」と書いた。とにかくポップスにせよファドにせよ、彼女は最初から特定ジャンルの枠に収まるような歌手ではなかったから、遅かれ早かれ既定路線とは決別する運命にあったのだ。
 ところで上で引いた部分の直前の段落にて、中川はポンテスの歌に認められるアラブやユダヤ音楽の特徴、さらにはロシア・東欧との関連に言及している。この点については関西圏在住(今いずこに?)だったネット知人Mさんのサイトでも「アマリアの後継者、などといわれつつも、ファドのみならずその歴史の中にながれこんでいるだろうアラブ・ユダヤ音楽・ブルガリア民謡もすでに視野に入れている」と述べられている。ついでにもう1つ。CDジャーナルに掲載された試聴コメント(今も各種データベースで閲覧可能)はこうだ。内容そのものにケチは付けないけれど酷いねえ。

 ポルトガルの歌謡曲ファド・シーンに登場した新世代のドルチェ・ポンテスが
 93年に録音したアルバム。伝統性よりも、多様の外来音楽に接した後にファド
 と再会した世代ならではの今日性がポイント。ファドの内にあるアラブ的なも
 のが魅力に輝いている。

いくら知名度が低かったとはいえあんまりだ。それで検索すると今でも数件出てくる。このレビューのせいだったとしたら重罪だぞ!

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